6時モーニングコール、と云っても日本時間で4時だからさすがに眠い。
ハバロフスク発09:00-10:25イルクーツク到着、3時間のフライト。イルクーツクの気温は13度と機内アナウンスあり。
ガイドは金沢に2ヶ月居たとの事で、加賀市の私の知る人の家にホームステーしたことがあるとか、大きな国に来て、世間の狭さを感じた。
供花やお供え物を購入し、最初の慰霊地「オルハ墓地」に向った。
イルクーツクから幹線道路を北上し、1時間掛かった、(帰路は35分)
シベリア鉄道オルハ駅近くでバスを降り、線路を跨ぎ、約1キロ進み、左折して現地の墓地への坂道を200メートル、左折して50メートルの所に慰霊碑があった。
そこで今回最初の福井から来られた方の個人慰霊追悼を行った。
墓碑の状態は同徳台7期生有志の立派な石碑が2001年9月に建てられて居り、里見恒雄、佐藤貢と記されてあり、全抑協の「安らかにお眠り下さい」(20センチ角1.5メートル)木の碑も平成13年9月吉日に建てられていた。
里見さんが同徳台の戦友で、佐藤さんに関しては不明、福井の方の父上は、ここは鉄道建設の仕事で、ここの工事が済んだ後72キロ南に移り、そこで亡くなられた様だが、墓の場所は不明。
本年7月に東京ヤゴダ会が新潟―イルクーツクと飛んでここに来られ、その時造花があった。
ハバロフスク発09:00-10:25イルクーツク到着、3時間のフライト。イルクーツクの気温は13度と機内アナウンスあり。
ガイドは金沢に2ヶ月居たとの事で、加賀市の私の知る人の家にホームステーしたことがあるとか、大きな国に来て、世間の狭さを感じた。
供花やお供え物を購入し、最初の慰霊地「オルハ墓地」に向った。
イルクーツクから幹線道路を北上し、1時間掛かった、(帰路は35分)
シベリア鉄道オルハ駅近くでバスを降り、線路を跨ぎ、約1キロ進み、左折して現地の墓地への坂道を200メートル、左折して50メートルの所に慰霊碑があった。
そこで今回最初の福井から来られた方の個人慰霊追悼を行った。
墓碑の状態は同徳台7期生有志の立派な石碑が2001年9月に建てられて居り、里見恒雄、佐藤貢と記されてあり、全抑協の「安らかにお眠り下さい」(20センチ角1.5メートル)木の碑も平成13年9月吉日に建てられていた。
里見さんが同徳台の戦友で、佐藤さんに関しては不明、福井の方の父上は、ここは鉄道建設の仕事で、ここの工事が済んだ後72キロ南に移り、そこで亡くなられた様だが、墓の場所は不明。
本年7月に東京ヤゴダ会が新潟―イルクーツクと飛んでここに来られ、その時造花があった。