シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

シベリア慰霊の旅3

2006-12-14 21:06:18 | シベリア抑留
2004年8月20日(金)
我々遺児の慰霊団40名はロシアの裏玄関ハバロフスクに着いた。外の方の心境は知る芳もない、そこで私の昨年初めて来た時に感じた事を記したメモがあるので、それをご披露しよう。
「ハバロフスクの上空に来ると、何だか埋葬の為墓に連れて行かれるか、牢屋にでもしょっ引かれて行く思いだ、と言っても両方とも経験の無い事で、良い気分ではない。兎に角、ハワイへ行く時のホノルルの上空から下を見下ろすのとは大違いである。」
「空港で小柄な、とても美人のガイドが迎えて呉れたが、話をするのも嫌だった。市内のホテルまで『ここがオヤジを殺した国か』と怒り骨髄までである。夕飯もロシア料理など食えるかと息子と日本レストランへ行ったものである。しかし1週間後にハバロフスクに帰って来た時は、「こいつ等が悪いのではない」とトーンダウンしていた。
私の知る父上をシベリアで亡くされた境遇の同じ方で「怨念を超えて」と言われる方が居られるが、私はそこまで人間が出来ては居ない。
新潟空港からダリアビア航空(機材TU214、164席)でスケジュールより遅れたが、ロシア製の「EFES」という生ぬるい缶ビールのサービスがあり呑んで居たら、1時間43分でハバロフスク(気温は22度とのアナウンスがあり)に到着。
夕食は宿泊するインツーリストホテルの11階、去年と同じ和食「ユニハブ」で、午後9時というのに窓から日没を見ながら、本日4回目の食事、全て和食。
両替、1ルーブル=¥3.94、