こう見てくると、1670年以来、幕府がこの地を傘下に治め、
その後、ロシア・イギリス・アメリカが寄港するようになったことがわかる。
ペリーが来航していたとは驚きだ。
当時の島の様子がよく描かれており、今日とそれほど変化していないことが貴重だ。ええl
Peel Island と呼ばれていたことが記録に残る。
幕府はこの島を「辰巳無人島」「小笠原島」としたが、 . . . 本文を読む
父島の姿がクリアーになると、どこか灌漑深いものが湧いてきた。
予てから一度はこの目で見ておきたい島だったからだ。
もっと緑の深い熱帯の常緑樹で覆われた島なのかと勝手に想像していたが、意外や意外、岩山なのだ。
海底から押し上げられてできた島。地層がそれを教えてくれる。
通信所も砲弾で崩れたままだ。
この建物はこの後ろの林の裏にある通信所のマモフラージュ用に造られたものだ。
造りが貧弱なのだ . . . 本文を読む
小笠原返還以降、インフラ整備のため、暫くは観光で上陸することはできなかった。
そのうち、旧島民の方々が戻りはじめ、やがて、働き盛りの若者たちが本土などから移住して、観光事業や漁業に
従事し始めました。
現在、島民は1500人ほどだ。
本土で見かける、押し車を押す高齢者の姿が見届けない。
幼児が人口比率からすると、かなりの数いる。
保育園は賑わい、まだ保育園に通っていない子たちは、波止場すぐ前の公 . . . 本文を読む
出港日の明け方は、台風の時のような豪雨だった。
「こりゃ、出港できるんかいな。ツアー中止なんてことになるのか?」と、目覚めたときの開口一番だ。
それでも、旅行者から「中止」の連絡はない。
「どうしたもんか?」とブツブツ言いながらも旅の最終準備を終えて、忘れ物・漏れはないかと、早朝から動き回っていた。
大雨なので、防水スプレーを靴・ズボン・上着にキャリーバッグにたっぷりかけて、出かけることに。
ザー . . . 本文を読む
知多半島から鳥羽へのカーフェリ(所要時間55分)はこの9月30日で、廃線となる。
最後の乗船となった。
前に乗船したが、時間までぶらぶら。
有名な「大あさり」が意外と小さくなっていたのにはガッカリ。
9月24日午前9時50分出港
飛び石連休の割には空いていた
追記 このブログ載せた直後、下記のニュースがあったので、載せておきます。(サンケイ新聞より)
伊勢湾フェリ . . . 本文を読む
犬山城は成瀬家代々が所有
現在は財団法人化して維持管理をしている
国宝だ
天守閣からの眺望
川は木曽川
土曜日なのにこんなに空いている
正面、行き着いたところに城はある
この通りは古き町並みを模して造られている
この家は100年を超える建物だ
第2回目のビール祭が行われていた。
まだまだ観光客対応ができてい . . . 本文を読む
雨の外宮正殿
外宮は豊受大御神を祭る
天照大神の食事の世話をする役目をおっている。
一説には
豊受の神は神功皇后またの名を卑弥呼の宗女【トヨ】ではないかといわれる。
天照大御神が一体では寂しかろうということで、
豊受の大御神を呼び寄せて、外宮に祭ったのが始まりという。
下は天照大御神を祭る内宮正殿
おもしろい話を衛士から訊いた。
【歴代の天皇は昔は伊勢神宮を参拝しなかった、というが本当ですか? . . . 本文を読む