♪◆◆訪問感謝◆◆♪

   ★~逍遥遊民歩夢のブログ~★ ◆◆ゆっくり立ち止まって、読んでね。◆◆

母島

2010年12月31日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
ここは母島 父島に比べて緑豊かな島だ 母島へは少し小さめの船で行く そう、都道なのだ ガイドのお兄ちゃん、父島より母島のほうが好きだという。 母島は戦前までは悔恨が進んでいた。 サトウキビ栽培で結構豊かな暮らしをしていたという。 今ではサトウキビ栽培は廃れ、わずかに庭先や境界境にススキのような穂をつけている。 何をもって「外来種」というのかわからないが、固有種の植物・動物を保護しはじめ . . . 本文を読む

ホエール・ウオッチング

2010年12月28日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
絶好の好天に恵まれて、少し早いホエールウオッチングに。 冬になると、ベーリング海から南下して小笠原の海域に、フィリピンの海域まで戻って、暖かい海で 子育てを始める。 12月上旬は未だ南下するクジラはチラホラ。 船長さんも今年はまだ見ていないという。見られれば幸運ですよ、という声に微かな希望を抱いて、出港! 海は穏やかだ。 ツアーに参加した人は7人。 その中に、父島の女性がいた。 島の診療所のお医 . . . 本文を読む

「辰巳無人島」

2010年12月27日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
    こう見てくると、1670年以来、幕府がこの地を傘下に治め、 その後、ロシア・イギリス・アメリカが寄港するようになったことがわかる。 ペリーが来航していたとは驚きだ。 当時の島の様子がよく描かれており、今日とそれほど変化していないことが貴重だ。ええl Peel Island と呼ばれていたことが記録に残る。 幕府はこの島を「辰巳無人島」「小笠原島」としたが、 . . . 本文を読む

父島戦争の残骸

2010年12月26日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
父島の姿がクリアーになると、どこか灌漑深いものが湧いてきた。 予てから一度はこの目で見ておきたい島だったからだ。 もっと緑の深い熱帯の常緑樹で覆われた島なのかと勝手に想像していたが、意外や意外、岩山なのだ。 海底から押し上げられてできた島。地層がそれを教えてくれる。 通信所も砲弾で崩れたままだ。 この建物はこの後ろの林の裏にある通信所のマモフラージュ用に造られたものだ。 造りが貧弱なのだ . . . 本文を読む

父島

2010年12月25日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
小笠原返還以降、インフラ整備のため、暫くは観光で上陸することはできなかった。 そのうち、旧島民の方々が戻りはじめ、やがて、働き盛りの若者たちが本土などから移住して、観光事業や漁業に 従事し始めました。 現在、島民は1500人ほどだ。 本土で見かける、押し車を押す高齢者の姿が見届けない。 幼児が人口比率からすると、かなりの数いる。 保育園は賑わい、まだ保育園に通っていない子たちは、波止場すぐ前の公 . . . 本文を読む

出港

2010年12月24日 | ★ 【 旅ゆけば~ 】 
出港日の明け方は、台風の時のような豪雨だった。 「こりゃ、出港できるんかいな。ツアー中止なんてことになるのか?」と、目覚めたときの開口一番だ。 それでも、旅行者から「中止」の連絡はない。 「どうしたもんか?」とブツブツ言いながらも旅の最終準備を終えて、忘れ物・漏れはないかと、早朝から動き回っていた。 大雨なので、防水スプレーを靴・ズボン・上着にキャリーバッグにたっぷりかけて、出かけることに。 ザー . . . 本文を読む