私は常々古事記の国生みの物語で伊邪那岐命と伊邪那美命が最初に創る島が何故淡路島なのかと言う疑問を持っている。私が神なら先ず本州を創り、次が四国と言う順番にすると思うが・・・。
大杉博氏著「古代ユダヤと日本建国の秘密」に記された邪馬台国・四国論を面白く読んだ。是まで私はM・トケイヤー氏の説「失われたイスラエルの支族」が倭国に辿り着いて大和朝廷を作ったという論を紹介し、自分なりの考えを展開してきた。そしてその支族は九州の日向の海岸に最初の一歩を刻んだとして来た。しかし古事記の国生みの物語のなかで、伊邪那岐命と伊邪那美命が最初に淡路島を創ることと、大杉氏の四国論を重ねて考えてみると、何故、淡路島なのかの問いに答えがあるような気がする。
もう一度古事記の国生みを読んでみた。
@ 最初に生める子は比蛭子。この子は葦舟に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも又この例(たぐい)に入れざりき。
日本書紀の注釈で比蛭子は皇氏の流産を表わしているが、私は伊邪那岐命と伊邪那美命(イスラエルの支族)が最初に侵略する島を何処にすべきかの意見が合わず小さな島(比蛭子)見送ったことを表わしていると見る。次の淡島も小さすぎて拠点にはならなかったのではないか。淡路島の南に小さな島がある。地図では青島(昔は淡島)と言い、島の対面の四国側に淡島神社がある。この島を意味しているのだろうか?
@ 最初の国生みに失敗した後、天ツ神の指導を受け再挑戦して最初に出来た島が淡路島(淡路の穂の狭別島)。次に四国(伊予の二名島)を生みき。この島は身一つにして面四つ(愛媛、讃岐、土佐、阿波)あり。
ここに日本列島最初の国としてなぜか淡路島が生まれる。そして四国が生まれる。これはイスラエルの支族が四国を攻める拠点として先ず淡路島を占領し、体制が整った後、四国全土を占領したと言う史実を表わしていると推測した。紀州側には強い豪族(長須根彦・・後に神武天皇により滅ぼされる)が居た為、先ず四国を目指したと見ている。
@ 次に隠岐の三つ子島を生みき。
四国占領の後何故日本海の孤島の隠岐島を突然攻略したのか。地図を見ると隠岐島の西側に三つの島がある。島の南の本土側は出雲だ。こう解釈したがどうだろう。イスラエルの支族は十支族有った。内一つが淡路島に上陸した。そして別の支族が隠岐の島に上陸して出雲を侵略したと考えられないか。隠岐島を調べてみると島には2000年の歴史を持つ崇神天皇ゆかりの水若酢神社がある。訳有りの島である。
@ 次に筑紫の島を生みき。この島も身一つにして面四つ(筑紫、豊、肥、熊曾)あり。
大和族の話に戻り、四国完全制覇の後、九州を制圧した事を意味していると考えられる。
@次に壱岐の島を生みき。次に津島(対島)を生みき。
この二つの島は九州と朝鮮の間に有る島である。この頃朝鮮側の倭人の管轄下に有った島を、占領したことを表わしているのではないか。
@ 次に佐渡島を生みき。
大和族や出雲族とは別のイスラエルの支族が、東北地方を侵略すべく、淡路島、隠岐島同様、佐渡島を拠点とすべく占領したことを意味しているのではないかと考えられる。
@ 次に大倭豊秋津島を生みき。この八島を先に生めるによりて、大八島国と言う。
この大倭豊秋津島は出雲から越の国までを含む日本海側と(隠岐島と佐渡島を生む物語により出雲地方、越の国を制圧したと考えると辻褄が合う)、瀬戸内の国(今の山陽地方)までの範囲を言い、畿内地方以東は含んでいないと推測している。その理由は畿内は神武東征により大和朝廷に属するのであり、関東地方は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって制圧される事が後に語られるからである。これらから大八島国は神武以前の大和朝廷の勢力範囲を示しているものと考えられる。それは即ち初期のイスラエルの支族の占領範囲と推測すると、古事記の国生みの物語の中に隠された歴史が見えてくる。この国生みの時点では九州に拠点を移した大和族と、中国地方を制圧した出雲族が向き合った状態であり、以降の国譲りの出雲神話で大和朝廷の軍門に下る事が物語られるのである。
古事記の国生みの僅かな記述から、壮大な「失われたイスラエル十支族」の倭国侵略の歴史が見えると同時に、この解釈で十支族のうち三支族の動きが見えてきた事になる。残りの七支族の行方も気になり始めた。又これらの新しい解釈からソロモンの秘宝「契約の箱」が四国・剣山中にある可能性が更に深まったと言えないだろうか。
大杉博氏著「古代ユダヤと日本建国の秘密」に記された邪馬台国・四国論を面白く読んだ。是まで私はM・トケイヤー氏の説「失われたイスラエルの支族」が倭国に辿り着いて大和朝廷を作ったという論を紹介し、自分なりの考えを展開してきた。そしてその支族は九州の日向の海岸に最初の一歩を刻んだとして来た。しかし古事記の国生みの物語のなかで、伊邪那岐命と伊邪那美命が最初に淡路島を創ることと、大杉氏の四国論を重ねて考えてみると、何故、淡路島なのかの問いに答えがあるような気がする。
もう一度古事記の国生みを読んでみた。
@ 最初に生める子は比蛭子。この子は葦舟に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも又この例(たぐい)に入れざりき。
日本書紀の注釈で比蛭子は皇氏の流産を表わしているが、私は伊邪那岐命と伊邪那美命(イスラエルの支族)が最初に侵略する島を何処にすべきかの意見が合わず小さな島(比蛭子)見送ったことを表わしていると見る。次の淡島も小さすぎて拠点にはならなかったのではないか。淡路島の南に小さな島がある。地図では青島(昔は淡島)と言い、島の対面の四国側に淡島神社がある。この島を意味しているのだろうか?
@ 最初の国生みに失敗した後、天ツ神の指導を受け再挑戦して最初に出来た島が淡路島(淡路の穂の狭別島)。次に四国(伊予の二名島)を生みき。この島は身一つにして面四つ(愛媛、讃岐、土佐、阿波)あり。
ここに日本列島最初の国としてなぜか淡路島が生まれる。そして四国が生まれる。これはイスラエルの支族が四国を攻める拠点として先ず淡路島を占領し、体制が整った後、四国全土を占領したと言う史実を表わしていると推測した。紀州側には強い豪族(長須根彦・・後に神武天皇により滅ぼされる)が居た為、先ず四国を目指したと見ている。
@ 次に隠岐の三つ子島を生みき。
四国占領の後何故日本海の孤島の隠岐島を突然攻略したのか。地図を見ると隠岐島の西側に三つの島がある。島の南の本土側は出雲だ。こう解釈したがどうだろう。イスラエルの支族は十支族有った。内一つが淡路島に上陸した。そして別の支族が隠岐の島に上陸して出雲を侵略したと考えられないか。隠岐島を調べてみると島には2000年の歴史を持つ崇神天皇ゆかりの水若酢神社がある。訳有りの島である。
@ 次に筑紫の島を生みき。この島も身一つにして面四つ(筑紫、豊、肥、熊曾)あり。
大和族の話に戻り、四国完全制覇の後、九州を制圧した事を意味していると考えられる。
@次に壱岐の島を生みき。次に津島(対島)を生みき。
この二つの島は九州と朝鮮の間に有る島である。この頃朝鮮側の倭人の管轄下に有った島を、占領したことを表わしているのではないか。
@ 次に佐渡島を生みき。
大和族や出雲族とは別のイスラエルの支族が、東北地方を侵略すべく、淡路島、隠岐島同様、佐渡島を拠点とすべく占領したことを意味しているのではないかと考えられる。
@ 次に大倭豊秋津島を生みき。この八島を先に生めるによりて、大八島国と言う。
この大倭豊秋津島は出雲から越の国までを含む日本海側と(隠岐島と佐渡島を生む物語により出雲地方、越の国を制圧したと考えると辻褄が合う)、瀬戸内の国(今の山陽地方)までの範囲を言い、畿内地方以東は含んでいないと推測している。その理由は畿内は神武東征により大和朝廷に属するのであり、関東地方は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって制圧される事が後に語られるからである。これらから大八島国は神武以前の大和朝廷の勢力範囲を示しているものと考えられる。それは即ち初期のイスラエルの支族の占領範囲と推測すると、古事記の国生みの物語の中に隠された歴史が見えてくる。この国生みの時点では九州に拠点を移した大和族と、中国地方を制圧した出雲族が向き合った状態であり、以降の国譲りの出雲神話で大和朝廷の軍門に下る事が物語られるのである。
古事記の国生みの僅かな記述から、壮大な「失われたイスラエル十支族」の倭国侵略の歴史が見えると同時に、この解釈で十支族のうち三支族の動きが見えてきた事になる。残りの七支族の行方も気になり始めた。又これらの新しい解釈からソロモンの秘宝「契約の箱」が四国・剣山中にある可能性が更に深まったと言えないだろうか。
面白い視点ですね。故郷を想う気持ちは誰にもありますね。