前回伊邪那岐命と伊邪那美命の話をした。二柱の神が生んだ神々が住んでいた所を高天原と呼ぶ。
現在最も惹かれている古代史の権威・安本美典先生の「邪馬台国と高天原の伝承」を読み終えた。安本氏の著作はどれも豊富な資料、裏付け調査など非常に説得力に富み、他の古代史の本とは一味違い、読者を安本ワールドに引き込む強い力を持っている。
安本先生は‘邪馬台国九州論者’であり、‘卑弥呼は天照大御神’であるという説を展開している。ここから「天照大御神の住んでいた高天原は、卑弥呼の住んでいた邪馬台国を意味している」と言う論旨でこの本を纏めている。話の詳細は本を読んでいただく事にして大略の流れを紹介したい。
先ず現在の高天原論争を紹介している。大きな分類として1.天上説、2.海外説、3.国内説を紹介し、その国内説を更に1、大和説、2.九州説、3.その他の国内説を順次紹介し、氏の持論である邪馬台国九州論から、高天原は九州であったという説を展開する一方、他の説を詳しい資料を基に論破してゆく。
氏の古代史謎解きの基本的な考えは、「魏志倭人伝」などの外国の歴史書と共に、記紀などの日本の古文書の神話の部分に光を当て、「神話は史実が表現を変えて伝えられたもの」と言う考えの下、これに考古学の成果を加えて読み解く方法を取っている。私もこれまでのブログで、正にこの考えで物語を進めてきたので読んでいてうなずく事ばかりである。
高天原に出てくる地名が、邪馬台国=甘木市(福岡県)の近辺に多く見られることから、高天原=邪馬台国は北九州に有ったという考えには賛同する。しかし肝心の高天原に相当する地名が示されていない事と、架空の名であるなら何故高天原と言う名を付けたかの説明が欲しかった。最も大事な神達の住む所の名の由来についての説明がないのが残念である。
私は予てより`高天原'は何故`天の高原'としなかったのか?と言う素朴な疑問がある。そしてこの疑問を語った本に一度もお目にかかったことがないのも、また不思議である。この疑問を持ったきっかけは、古事記の高天原に出てくる地名や物の頭に(勿論神の名も含む)殆ど"天の~~"と付くのに、その元になる神達の住む所だけが"天"を冠せず"高天原"としたのかと言う疑問だ。ここには`天の高原'とせず`高天原'とした強い意志が感じられてならない。
具体的な例を述べておく。天の安の河、天の真名井、天の安河原、天の岩戸、天の沼矛、天の浮橋、天の御柱、天の香具山、天の朱桜・・・。
今一つは神の住むところは一般的には山で有る。何故‘原’としたのかと言う疑問だ。古事記の高天原には前述の‘天の香具山’や‘天の安河’など山や川があり、とても‘原っぱ’と言う感じではない。
ここに答えがある。
私のブログのテーマは「大和民族はイスラエルの失われた十支族の末裔である」と言う物語である。イスラエル人の祖となった人物の名をアブラハムと言う。アブラハムはこのブログの諏訪大社の御頭祭の物語で記した、イサクの父である。このアブラハムの生まれたところの名が`タガマ・ハラン'と言う。タガマハラン~タカマハラ~タカマガハラ~高天原。似すぎていないであろうか。
私のテーマに従えば、古事記を編集した大和朝廷は、自分達の先祖の出身地を何とか古事記の中に納めたかったのであろう。私が大和朝廷にいたらそうする。
大和朝廷は邪馬台国が東遷した王朝である。当然その王朝の誕生の秘話を神話化して伝え残そうとした時、邪馬台国の女王・卑弥呼を天照大御神に設定したであろう。そして邪馬台国を神話の世界に当てはめるために、大和一族・イスラエルの支族の先祖の生まれた地・タガマ・ハランを記録に留めたいと考えるのは、至極当然のことと思える。
こうして『高天原』と言う名が生まれたのではないかと考えている。
現在最も惹かれている古代史の権威・安本美典先生の「邪馬台国と高天原の伝承」を読み終えた。安本氏の著作はどれも豊富な資料、裏付け調査など非常に説得力に富み、他の古代史の本とは一味違い、読者を安本ワールドに引き込む強い力を持っている。
安本先生は‘邪馬台国九州論者’であり、‘卑弥呼は天照大御神’であるという説を展開している。ここから「天照大御神の住んでいた高天原は、卑弥呼の住んでいた邪馬台国を意味している」と言う論旨でこの本を纏めている。話の詳細は本を読んでいただく事にして大略の流れを紹介したい。
先ず現在の高天原論争を紹介している。大きな分類として1.天上説、2.海外説、3.国内説を紹介し、その国内説を更に1、大和説、2.九州説、3.その他の国内説を順次紹介し、氏の持論である邪馬台国九州論から、高天原は九州であったという説を展開する一方、他の説を詳しい資料を基に論破してゆく。
氏の古代史謎解きの基本的な考えは、「魏志倭人伝」などの外国の歴史書と共に、記紀などの日本の古文書の神話の部分に光を当て、「神話は史実が表現を変えて伝えられたもの」と言う考えの下、これに考古学の成果を加えて読み解く方法を取っている。私もこれまでのブログで、正にこの考えで物語を進めてきたので読んでいてうなずく事ばかりである。
高天原に出てくる地名が、邪馬台国=甘木市(福岡県)の近辺に多く見られることから、高天原=邪馬台国は北九州に有ったという考えには賛同する。しかし肝心の高天原に相当する地名が示されていない事と、架空の名であるなら何故高天原と言う名を付けたかの説明が欲しかった。最も大事な神達の住む所の名の由来についての説明がないのが残念である。
私は予てより`高天原'は何故`天の高原'としなかったのか?と言う素朴な疑問がある。そしてこの疑問を語った本に一度もお目にかかったことがないのも、また不思議である。この疑問を持ったきっかけは、古事記の高天原に出てくる地名や物の頭に(勿論神の名も含む)殆ど"天の~~"と付くのに、その元になる神達の住む所だけが"天"を冠せず"高天原"としたのかと言う疑問だ。ここには`天の高原'とせず`高天原'とした強い意志が感じられてならない。
具体的な例を述べておく。天の安の河、天の真名井、天の安河原、天の岩戸、天の沼矛、天の浮橋、天の御柱、天の香具山、天の朱桜・・・。
今一つは神の住むところは一般的には山で有る。何故‘原’としたのかと言う疑問だ。古事記の高天原には前述の‘天の香具山’や‘天の安河’など山や川があり、とても‘原っぱ’と言う感じではない。
ここに答えがある。
私のブログのテーマは「大和民族はイスラエルの失われた十支族の末裔である」と言う物語である。イスラエル人の祖となった人物の名をアブラハムと言う。アブラハムはこのブログの諏訪大社の御頭祭の物語で記した、イサクの父である。このアブラハムの生まれたところの名が`タガマ・ハラン'と言う。タガマハラン~タカマハラ~タカマガハラ~高天原。似すぎていないであろうか。
私のテーマに従えば、古事記を編集した大和朝廷は、自分達の先祖の出身地を何とか古事記の中に納めたかったのであろう。私が大和朝廷にいたらそうする。
大和朝廷は邪馬台国が東遷した王朝である。当然その王朝の誕生の秘話を神話化して伝え残そうとした時、邪馬台国の女王・卑弥呼を天照大御神に設定したであろう。そして邪馬台国を神話の世界に当てはめるために、大和一族・イスラエルの支族の先祖の生まれた地・タガマ・ハランを記録に留めたいと考えるのは、至極当然のことと思える。
こうして『高天原』と言う名が生まれたのではないかと考えている。