倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

古事記編集会議「弟神・素戔鳴尊の造反」

2007-05-29 14:32:53 | 歴史
 伊邪那岐命政権が天照大神に移譲された話まで纏まった。弟神のスサノオの造反についてどう記すかが今日の編集会議の主題となった。
荒筋としてはイザナミが完全に引退した後の物語とし、姉神・天照に対しさまざまな妨害や狼藉を働き、戦いを挑んだ様をどのように神話化するか、頭を悩ました。
先ずスサノオにが何故姉に戦いを挑む事になったかについて話し合った。結論として「海原を治めよ」という、本人の希望と大分違った役目を申し付け、言う事を聞かぬスサノオを根の国に追放した話で始め、後の造反の基とした。
伝わっていた史実はイザナギ系の天照大御神と、イザナミ系の素戔鳴尊の派閥争いが元の話であったのではないかと私は考えているが、神話を依り面白くするために編集者達が考えたのが以上の物語であろう。
そして天照大神がこのスサノオとの戦いでなくなった話を、天岩戸の物語としたと考えている。その根拠は私は度々天照大神を卑弥呼に置き換えているが、卑弥呼が死んだ年と言われている西暦247年、249年に北九州に二度にわたって皆既日蝕が起きている。(本件は安本美典先生の著作「倭王卑弥呼と天照大御神伝承」に詳しく載っているので参照されたい)
当時は当然皆既日蝕などと言う物理現象が解る訳は無いので、言い伝えを聞いていた編集者達は、昼間太陽が隠れたのは太陽神・天照大神の仕業だと言う話と結びつけ、日の神・天照大神(卑弥呼)が隠れて、世の中が暗くなった話としたらどうかとのアイディアが出て、これをベースに物語を作ることとした。
この基本構想がどのように古事記に表わされたかを見てみよう。
イザナミがスサノオに「汝は命じた国(海原)を治めずに、哭いているのか」と聞くと、スサノオ曰く「僕は母(イザナミ)の国・根の堅州国(ここで黄泉の国が根の堅州国に変わっている)に行きたくて哭いている」。イザナギ曰く「ならばこの国(高天原)に居る事ならぬ」と追放した。
イザナミは天照に高天原の運営を任せ懐かしい淡路島に隠居した。
イザナギのいなくなった高天原を組みやすしと見たスサノオは、乱暴狼藉の限りを尽くす。田の畔(あぜ)を壊し、その溝を生め、神殿を汚し、機織を壊し、機織女も殺してしまった。
あまりの狼藉に驚いた天照が天岩戸に隠れ、扉を閉めたため、世の中全てが暗くなってしまった。その後有名な天岩戸物語を経て再び高天原は明るくなった。
 以上が荒筋である。このスサノオの乱暴について、ある本で「狩猟民族であった縄文人が、稲作文化を持ち込んだ弥生人に戦いを挑んだ話を神話化したのではないか」と言う仮説があった。確かに田を壊したり、機織機を壊すというのは新しい文化を破壊している様子と理解できる。私はスサノオが高天原を追放されて国津神となることから、この仮説が基になってこの物語となったのではないかと思っている。
 そして再び天照が現れたとする天岩戸の物語は、先に紹介した安本先生の本の中に、次のような解釈が述べられている。魏志倭人伝には、天照大神の死後、その宗女・台与がその後を引き継いだ話が記載されているが、台与の登場を天照大神が再び現れるという神話として残したのではないか。
その台予の登場を編集者が天照の再来として「天岩戸物語」とした様子を見てみよう。
 真っ暗になった高天原を何とかしようと、八百万の神が天之安河原に集まって協議した。鏡を作り、珠を作り、天之児屋尊が祝詞を上げ、これに合わせて天の宇受命が乳かき出し、紐を陰に押し当て踊った。これに八百万の神が大笑いした。この騒ぎに驚いた天照大御神が何事かと岩戸を一寸開けた時、その隙間に手をかけた天之手力命が岩戸をこじ開け、天照大神を岩蔵から引き出し、ここにめでたく高天原は照り輝いた。
今日の編集会議は大きな成果があった。史実に残る邪馬台国の女王・卑弥呼の死と、その後を継いだ卑弥呼の宗女・台予の話と、その当時北九州にあったと言われる太陽が隠れ昼が暗くなったという伝承を上手く組み合わせ、天岩戸物語と言う神話らしい神話が出来たことに全員が満足して編集会議が終わった。

古事記編集会議「イザナギの軍拡」

2007-05-20 01:02:23 | 歴史
 今回の編集会議はイザナミと別れ、単独政権を確立したイザナギが、出雲国の軍備増強に対抗するため更に軍拡をして行ったと伝えられる話をどう纏めるか。その後イザナギの政権が安定し、天照大神に政権を譲った話をどのように纏めるか議論する事になった。
出雲・イザナミ側の軍拡は既に次のように表わしている。「黄泉の国のイザナミの頭から、胸から、腹から、陰から、左右の手足から八柱の雷神が生まれた。この軍装備に恐れをなしてイザナギは逃げ帰った」。
またイザナギも既に「もしイザナミが千人生めば、吾千五百人を生む」と軍拡宣言している。
黄泉の国(死者の国)から高天原に帰った伊邪那岐命は、直ちに軍拡に取り組んだと伝えられている。その様子は今までの物語と同じように、新たな神生みで表わす事になった。そして「黄泉の国(死者の国)から帰った物語としたのだから、禊をし無ければならない。その禊した物から神が生まれる話はどうか」との案が出され異論なく決定した。
具体的には伊邪那岐命が黄泉の国に行った時身に着けていた品々(杖、帯、袋、着物、袴、冠、手巻きなど)を禊した時に神が生まれる事とした。それだけではその後に作られた閣僚の数に比して少なかったため、伊邪那岐命が体を禊した時にも神が生まれた事にして、合計26柱の神を作った。その中には安曇族の祖となった底津、中津、上津の各綿津身神や、住吉三神と成る底、中、上筒男神があった。安曇族も海に長けた一族、住吉三神も海の守り神とされている事から、主に水軍の増強を表わしていると判断できる。(既に山津神(陸軍)は沢山生んで有る)
次に今日一番重要な議題、伊邪那岐命内閣の後継者たちの誕生を、どう表わすかの討議に入った。纏まった案は伊邪那岐命が顔を洗うときに、目や鼻から生まれることに決まった。
伊邪那岐命は顔を洗う。左の目を洗ったときに天照大神、右の目を洗った時に月読尊、最後に鼻を洗った時、素戔鳴尊が生まれる話で纏まった。
こうして高天原で最も大事な神・天照大神が生まれるところまで物語が進んだ。この三柱の神を‘三貴子’と呼ぶ事になった。
この話から見えることは単なる軍拡ではなく、邪馬台国全体の組織固めが行われ、イザナギから見てもほぼ安心して引退できる体制が出来た事を表わしているのではないだろうか。
編集委員は次の伊邪那岐命の言葉で、邪馬台国・高天原の体制が整った事を上手く表わした。「この時伊邪那岐命、大(いた)く歓喜びて詔りたまひしく、『吾子を生み生みて、生みの終(はて)に三柱の貴き子を持つ』と詔りたまいき」。
古事記の編集者達はイザナギ、イザナミを夫婦神とし、国や神を生む話を進めてきたが、ここに来てついにこの物語を構成する基本事項を根底から崩してしまった。それは男の神である伊邪那岐命が、単独で沢山の神を生む話としてしまった事である。否、せざるを得なかったのであろう。
もし編集者達が最初から私の物語のように、「イザナギ、イザナミは共に勇猛な武将であった」と言う仮説で話を進めてくれば、ここに至り‘男の神が子を生む’と言うしまらない物語には成らなかったであろう。
古事記の編集者達はこの不都合には目を瞑り、次のテーマ、伊邪那岐命から天照大神への政権委譲の話へ議題を写した。
古事記の中でも次の話は、天孫降臨物語に並ぶ大事な一節である。それは最後に生まれた三貴子の内から、大和一族の祖と成る神を決める物語だからだ。
この一節は議論の余地はない。編集会議前の大和朝廷の指示通り、言い伝えに従い当時の女王(卑弥呼であったと思う)を、天照大神と言う名とし、大和一族の祖とした。古事記には次のように記す事とした。
「すなわち御首珠お玉の緒もゆらに取りゆらして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく、『汝尊は高天原を知らせ』と事依りさして賜いき。」
ここに伊邪那岐命より高天原の統治権が天照大神に委譲された。

古事記編集会議「イザナギとイザナミの戦いについて」

2007-05-12 19:58:52 | 歴史
 天武天皇より出された古事記編集方針の命題の一つに、「イザナミとイザナギが争いは上手く表現せよ」と言う事が有った。編集委員たちはこの難しい命題に対し、出した答えが「火の神・火之迦具土神を生んだことにより、イザナミが女陰を火傷して死に、出雲国と伯伎国の境の比婆山の山中に葬られる」と言う物語だった。然しもう少し上手い話が作れなかったのだろうか。失礼ではあるが今まで上手く作ってきた物語に比べ、編集委員たちの力量を疑ってしまう。
神話に隠された古事とは、イザナミがイザナギとの政権争いに負け`野に下った’。そしてその`野'とは出雲国と伯伎国との境の比婆山だったと思われる。その後イザナギは軍備の増強を図りながらも、イザナミともう一度同盟を組むべく出雲の国へ説得に出向いたが、交渉は難航し、最後は決裂する。そしてお互い軍拡への道を歩んだ。編集委員はそこまでの話をどう脚色するか討議に入った。
イザナギの軍拡は、イザナミが死ぬ原因となった火之迦具土神を殺した事により生じた反吐や尿、糞、血、最後は刀の柄からも、更に頭や腹、手、足から次々と神が生まれる話で表わす事とした。
私がこの話を何故軍備増強の話と言う解釈をしたかは、このとき生んだ神の中に武勇で名をはせた建御雷神や建経主神が生まれていることから推察した。
イザナギが再度の同盟を結ぶべくイザナミを訪ねたが、話は決裂し、その後お互い軍拡に走る話は次のようにアレンジする事となった。
まず死の国・黄泉の国にいるイザナミを訪ね「愛しき我汝妹の命、吾と汝と造れる国、未だ作り意へず、故、還るべし」と説得する。どうだろう。この台詞は誰でもが、壊れた同盟関係をもう一度修復しようと言っていると解釈出来る。表現があまりにも即物過ぎて、編集委員の努力の跡が見えない。しかしその後は神話の世界らしく纏めたと評価できる。それは、イザナギが見てはいけないイザナミの汚れた姿‘蛆がたかった頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には折雷居り、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷、合わせて八柱の雷神居りき’と表現したのは、イザナミ軍の力をそれと解らないように示したのであろう。中々である。そしてその軍備に驚いたイザナギが、醜いイザナミを見て逃げる話として表わしたのであろう。つまり編集委員は、説得にきたイザナギに対し、イザナミは自軍の装備を示し、同盟の決裂の意思を示した話をこのように表現したのではないだろうか。
争いとなった二人はお互い次のような捨て台詞を交わす。「イザナミ曰く『愛しき我が汝夫の命、かく為せば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。』と言いき。ここにイザナギ詔り賜まいしく、『愛しき我が汝妹命、汝然為せば、吾一日に千五百の産屋をたてむ』と詔りたまひき。」
どうだろう。今度は編集委員上手く纏めた様に見えるが、私如きにも見破られてしまうようでは心もとない。翻訳すれば「お前(イザナミ)が千人の兵を持てば、私(イザナギ)は千五百の兵を増やすであろう。」と言う互いの軍拡の話と解釈してよいだろう。
これまでの古事記の‘黄泉の国’の物語を要約すると次の如くなる。「イザナミとイザナギの夫婦神が、火之迦具土神を生んだ。その時イザナミが女陰の火傷が基で死に至り、出雲に葬られた。その後墓の中のイザナミに会いに行った(見に行った)イザナギが、イザナミの怒りを買い、最後は争いとなった。」
そして編集委員が隠した古事とは「淡路島攻略以来続いていたイザナギとイザナミと言う二人の将軍の同盟が壊れ、一方のイザナミが野に下った。イザナギが再度の同盟を求めて出雲へ説得に出向いたが、結局は和解はならず、以後出雲国と大和一族(邪馬台国)が軍拡を競う事となった」と言うことではないだろうか。そしてこの物語はこれからの出雲国と大和一族(邪馬台国)の争いの序章を表わしている様に見える。
難しいイザナギとイザナミの別れの話が上手く纏まり、編集会議は無事終わった。
次の議題は天照大神の誕生の物語である。

古事記編集会議「神生みの節」

2007-05-05 10:06:00 | 歴史
 国の形が出来たところで次の記述についてどうするかの会議が開かれた。ある編集員から「その当時の国の体制、官僚や各地に散らせた地方長官などを、夫々神として表わし、それらを国生みに継ぐ神生みの物語にしたら如何。」提案された。
流れとしては非常に良いのではないかと言う意見が多く、異論無く決定された。
それでは大和朝廷の閣僚や地方長官がどのようになっていたか、神生みの物語を同じ視点で見た人がいる。「古事記は神話ではない」を著した桜井光堂氏だ。
氏の考えを紹介しよう。大綿津身神・・海洋魚業大臣、天之水分神・・農業用水配分長長官、天之久比箸母智神・・灌漑用非常放水長等が揚げられている。
以下は岩波社の古事記の訳注を参照にした私の考えである。
*大事忍男神、石土毘古神・・石や土の人格化と言う註から土木大臣
*天之吹男神、大屋毘古神・・吹男を葺男と書き換えれば、屋根を葺く・家を立てるから建設大臣
*水戸神・・河口を治めるから港湾大臣
*沫那芸神、沫那美神、頬那芸神・・この三神は水戸神の子と言うことから、沫を波と読めば、港湾大臣の下部機関、今の海上保安庁か
*天之水分神・・訳注に分水嶺を司る神としている。古代も今も水の権利は重要である。今で言う水道局長か
*大綿津美神・・桜井氏は海洋魚業大臣としているが、既に上述の様に港湾関係の神が多数いることから考えると、また俗に海神と言われている事から見て海軍大臣であろうと考えている。従って後に出てくる大山津見神は陸軍大臣であろうと考える。
以下省略するが風の神、水の神、野の神、火の神、鳥の神、食物の神など総計40柱の神が登場するが前例のように読み進めば、皆夫々の所轄する職務が見えてくる。
従って古事記の神生みとは大和朝廷に伝わった大和一族(邪馬台国)の行政機構の重要な大臣達を、神として残したものと解釈できる。例えば後に神武が東征する時重要な役を務めるのが陸海の武将であるが、日向三代に登場する大綿津身神と大山津見神はその陸海を所轄する大臣と考えれば納得できる。
このように解釈してくると次のくだりは編集委員たちにどのような意図があったのだろうか。言い換えると何を後世に伝えようとして作られた話なのか理解に苦しむ。その話とはイザナミが火の神・火之迦具土神を生んだ時、女陰の火傷が原因で亡くなるという話だ。この話は以後のイザナギとイザナミの争いに繋がる重要な一節である。
私の解釈はこうだ。実はイザナギとイザナミは夫婦神ではなく、大和一族を支えてきた両雄であったという考えだ。淡路に上陸してから二人の知恵と勇気によって連戦連勝してほぼ倭国の大半を得、新しい国造も一段落着いたとき、次の戦略に方針の違いが出た。それは火の神を生むということではなかったか。火とは武器(鉄器、青銅器)を作る事を意味していたと考えられないか。つまり二人は軍事力をどうするかと言う基本的な問題で争ったのではないだろうか。
以前このブログでこの問題を考えた時、イザナミがイザナミのいう事を聞かず或る戦いに出て、火傷を負った事を表わしているのではないかと言う考えを述べたが、この新しい仮説の方が、より適切な仮説であろう。
どちらの仮説にしろ結果はイザナミが負け、高天原・邪馬台国を去ることになった。
神生みを議題とした編集会議はここで終わった。次の議題はイザナギとイザナミのその後の戦いを、どのような物語として残すかを議題とすることなった。