伊邪那岐命政権が天照大神に移譲された話まで纏まった。弟神のスサノオの造反についてどう記すかが今日の編集会議の主題となった。
荒筋としてはイザナミが完全に引退した後の物語とし、姉神・天照に対しさまざまな妨害や狼藉を働き、戦いを挑んだ様をどのように神話化するか、頭を悩ました。
先ずスサノオにが何故姉に戦いを挑む事になったかについて話し合った。結論として「海原を治めよ」という、本人の希望と大分違った役目を申し付け、言う事を聞かぬスサノオを根の国に追放した話で始め、後の造反の基とした。
伝わっていた史実はイザナギ系の天照大御神と、イザナミ系の素戔鳴尊の派閥争いが元の話であったのではないかと私は考えているが、神話を依り面白くするために編集者達が考えたのが以上の物語であろう。
そして天照大神がこのスサノオとの戦いでなくなった話を、天岩戸の物語としたと考えている。その根拠は私は度々天照大神を卑弥呼に置き換えているが、卑弥呼が死んだ年と言われている西暦247年、249年に北九州に二度にわたって皆既日蝕が起きている。(本件は安本美典先生の著作「倭王卑弥呼と天照大御神伝承」に詳しく載っているので参照されたい)
当時は当然皆既日蝕などと言う物理現象が解る訳は無いので、言い伝えを聞いていた編集者達は、昼間太陽が隠れたのは太陽神・天照大神の仕業だと言う話と結びつけ、日の神・天照大神(卑弥呼)が隠れて、世の中が暗くなった話としたらどうかとのアイディアが出て、これをベースに物語を作ることとした。
この基本構想がどのように古事記に表わされたかを見てみよう。
イザナミがスサノオに「汝は命じた国(海原)を治めずに、哭いているのか」と聞くと、スサノオ曰く「僕は母(イザナミ)の国・根の堅州国(ここで黄泉の国が根の堅州国に変わっている)に行きたくて哭いている」。イザナギ曰く「ならばこの国(高天原)に居る事ならぬ」と追放した。
イザナミは天照に高天原の運営を任せ懐かしい淡路島に隠居した。
イザナギのいなくなった高天原を組みやすしと見たスサノオは、乱暴狼藉の限りを尽くす。田の畔(あぜ)を壊し、その溝を生め、神殿を汚し、機織を壊し、機織女も殺してしまった。
あまりの狼藉に驚いた天照が天岩戸に隠れ、扉を閉めたため、世の中全てが暗くなってしまった。その後有名な天岩戸物語を経て再び高天原は明るくなった。
以上が荒筋である。このスサノオの乱暴について、ある本で「狩猟民族であった縄文人が、稲作文化を持ち込んだ弥生人に戦いを挑んだ話を神話化したのではないか」と言う仮説があった。確かに田を壊したり、機織機を壊すというのは新しい文化を破壊している様子と理解できる。私はスサノオが高天原を追放されて国津神となることから、この仮説が基になってこの物語となったのではないかと思っている。
そして再び天照が現れたとする天岩戸の物語は、先に紹介した安本先生の本の中に、次のような解釈が述べられている。魏志倭人伝には、天照大神の死後、その宗女・台与がその後を引き継いだ話が記載されているが、台与の登場を天照大神が再び現れるという神話として残したのではないか。
その台予の登場を編集者が天照の再来として「天岩戸物語」とした様子を見てみよう。
真っ暗になった高天原を何とかしようと、八百万の神が天之安河原に集まって協議した。鏡を作り、珠を作り、天之児屋尊が祝詞を上げ、これに合わせて天の宇受命が乳かき出し、紐を陰に押し当て踊った。これに八百万の神が大笑いした。この騒ぎに驚いた天照大御神が何事かと岩戸を一寸開けた時、その隙間に手をかけた天之手力命が岩戸をこじ開け、天照大神を岩蔵から引き出し、ここにめでたく高天原は照り輝いた。
今日の編集会議は大きな成果があった。史実に残る邪馬台国の女王・卑弥呼の死と、その後を継いだ卑弥呼の宗女・台予の話と、その当時北九州にあったと言われる太陽が隠れ昼が暗くなったという伝承を上手く組み合わせ、天岩戸物語と言う神話らしい神話が出来たことに全員が満足して編集会議が終わった。
荒筋としてはイザナミが完全に引退した後の物語とし、姉神・天照に対しさまざまな妨害や狼藉を働き、戦いを挑んだ様をどのように神話化するか、頭を悩ました。
先ずスサノオにが何故姉に戦いを挑む事になったかについて話し合った。結論として「海原を治めよ」という、本人の希望と大分違った役目を申し付け、言う事を聞かぬスサノオを根の国に追放した話で始め、後の造反の基とした。
伝わっていた史実はイザナギ系の天照大御神と、イザナミ系の素戔鳴尊の派閥争いが元の話であったのではないかと私は考えているが、神話を依り面白くするために編集者達が考えたのが以上の物語であろう。
そして天照大神がこのスサノオとの戦いでなくなった話を、天岩戸の物語としたと考えている。その根拠は私は度々天照大神を卑弥呼に置き換えているが、卑弥呼が死んだ年と言われている西暦247年、249年に北九州に二度にわたって皆既日蝕が起きている。(本件は安本美典先生の著作「倭王卑弥呼と天照大御神伝承」に詳しく載っているので参照されたい)
当時は当然皆既日蝕などと言う物理現象が解る訳は無いので、言い伝えを聞いていた編集者達は、昼間太陽が隠れたのは太陽神・天照大神の仕業だと言う話と結びつけ、日の神・天照大神(卑弥呼)が隠れて、世の中が暗くなった話としたらどうかとのアイディアが出て、これをベースに物語を作ることとした。
この基本構想がどのように古事記に表わされたかを見てみよう。
イザナミがスサノオに「汝は命じた国(海原)を治めずに、哭いているのか」と聞くと、スサノオ曰く「僕は母(イザナミ)の国・根の堅州国(ここで黄泉の国が根の堅州国に変わっている)に行きたくて哭いている」。イザナギ曰く「ならばこの国(高天原)に居る事ならぬ」と追放した。
イザナミは天照に高天原の運営を任せ懐かしい淡路島に隠居した。
イザナギのいなくなった高天原を組みやすしと見たスサノオは、乱暴狼藉の限りを尽くす。田の畔(あぜ)を壊し、その溝を生め、神殿を汚し、機織を壊し、機織女も殺してしまった。
あまりの狼藉に驚いた天照が天岩戸に隠れ、扉を閉めたため、世の中全てが暗くなってしまった。その後有名な天岩戸物語を経て再び高天原は明るくなった。
以上が荒筋である。このスサノオの乱暴について、ある本で「狩猟民族であった縄文人が、稲作文化を持ち込んだ弥生人に戦いを挑んだ話を神話化したのではないか」と言う仮説があった。確かに田を壊したり、機織機を壊すというのは新しい文化を破壊している様子と理解できる。私はスサノオが高天原を追放されて国津神となることから、この仮説が基になってこの物語となったのではないかと思っている。
そして再び天照が現れたとする天岩戸の物語は、先に紹介した安本先生の本の中に、次のような解釈が述べられている。魏志倭人伝には、天照大神の死後、その宗女・台与がその後を引き継いだ話が記載されているが、台与の登場を天照大神が再び現れるという神話として残したのではないか。
その台予の登場を編集者が天照の再来として「天岩戸物語」とした様子を見てみよう。
真っ暗になった高天原を何とかしようと、八百万の神が天之安河原に集まって協議した。鏡を作り、珠を作り、天之児屋尊が祝詞を上げ、これに合わせて天の宇受命が乳かき出し、紐を陰に押し当て踊った。これに八百万の神が大笑いした。この騒ぎに驚いた天照大御神が何事かと岩戸を一寸開けた時、その隙間に手をかけた天之手力命が岩戸をこじ開け、天照大神を岩蔵から引き出し、ここにめでたく高天原は照り輝いた。
今日の編集会議は大きな成果があった。史実に残る邪馬台国の女王・卑弥呼の死と、その後を継いだ卑弥呼の宗女・台予の話と、その当時北九州にあったと言われる太陽が隠れ昼が暗くなったという伝承を上手く組み合わせ、天岩戸物語と言う神話らしい神話が出来たことに全員が満足して編集会議が終わった。