倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

伊邪那岐命‘安定政権’の誕生

2005-09-02 00:21:53 | 歴史
 古事記の国生みの物語は、失われたイスラエルの十支族が、「どのように倭国を侵略したかを記述している」と言う仮説を先に述べた。国生みの、次の節「神々の生成」で三十五柱の神々を生む様が物語られる。この節の最後にこう記述されている。「全て伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神、‘共に’生める島は14島、神は35神」。古事記ではこの節以降も沢山の神が生まれるが、大事なのはこの‘共に’と言う一言と考えている。確かにこの三十五神を生んだ後に、伊邪那美命は火の神を生み、それが原因となり黄泉の国へ行ってしまい、以後‘共に'神を生むことは無く島(国)を生むことも無い。この事に関する考察は後で述べたい。
 さて‘国生み'が‘国取り'であるとすると、この‘神生み'とは何を指すのであろうか?特にこの三十五神は名の有る神が少ない。どんな意味を持ってかくも沢山の神を生んだのか?先に「古事記は旧約聖書をまねて作られており、神生みで大量に生まれる神は、それら旧約聖書に登場する神を引用している」と言う話を述べた。しかし、最近読んだ桜井光堂氏著「古事記は神話ではない」では「神々は伊邪那岐命と伊邪那美命の合同政権の官僚を意味している」と言う考えを述べている。これはなかなか言い考察だと思う。と言うのは大八島国と他六国を占領した伊邪那岐命は、邪馬台国に凱旋した後、政権を安定すべく、閣僚を定め、それぞれの国に代官を配置しなければならないはずだからだ。35神という神の数は、旧約聖書の神の数を引用していると言う考えの下、神々の実態は、多くの地方官僚も含んだ伊邪那美命政権の重要メンバーと考えればよいと思う。
そして冒頭に述べた国生みと神生みを‘共に'なして来た、伊邪那岐と伊邪那美の連合安定政権はここまでで終わりを告げる。この二神は古事記では夫婦の神とされているが、私はイスラエルから一緒に海を渡り、倭国にたどり着いた同志と考えている。又力の拮抗した両雄であったとも考えられる。故事に曰く「両雄並び立たず」であったのであろう。
この新たな展開が古事記の次の節「黄泉の国」と「禊祓(みそぎ)と神々の化生」でその様子が描かれる。詳細な説明は省くが、「伊邪那美命が黄泉の国に行き、伊邪那岐命が後を追うが、再び一緒に成る事違わず、以後別々に神を生むことになる」としている。これは現代風に言えば、連合政権は政策の違いから伊邪那美党が伊邪那岐党と袂(国)を分けて野に下り、互いに争うことになったと推測できる。そして以後二神は別々に神を生むと記されている。伊邪那美命は雷の神など八神他を生む。伊邪那岐命は十数神を生み、最後に天皇家の祖となる天照大神と素戔鳴尊などの神を生む。互いに別々に神を作る様はお互いの軍備増強を表わしているのではないかと推測される。そして伊邪那美命は戦いに負け黄泉の国に葬られる。この時点で伊邪那美命の血筋は絶え、伊邪那岐命の単独政権となり高天原は安定する。そして伊邪那岐命の血を引く天照大神が高天原を納めることと成る。
ここに漸くにしてイスラエルの預言者イザヤの末裔・イザナギが倭国に安定政権を樹立したのである。
古事記はこの後、天の岩戸の話へと続く。

余談になるが日本の西のはずれに近い地方が何故「中国地方」と呼ぶのか?お隣の国の中国は中華思想の国、世界の中心と言う意味を表わしている。長い間、頭の隅に引っかかっていた疑問が今日解けた。日本の中国は「葦原‘中ツ国」からその名が取られているのであろう。中つ国は倭国の中心、言い換えると旧倭国の中でも突出した強国であったと言えるのではないか。
もう一つ余談。
映画「ロード オブ ザ リング」を見た。映画の中で色々な国の名がカタカナで現れるが、最後に目指す国が何と、漢字で「中つ国」であった。映画は遥か古代の物語である。葦原中つ国と何か関係が有るのか?気になる。



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