日本固有の文化とは何だろうか?有形、無形を問わず、世界中を訪ねても同じ物が無く、有ったとしてもその文化は日本から発信された文化と定義するのだろうか?
日本は大陸と地続きであった一万数千年前、大陸から移住した民族と、南から海伝いで船で移住した民族が混血して縄文人が形成されたと考えられる。この縄文人が考え出し、伝えた文明は間違いなく日本の固有文化と言える。その後海面が上昇し、大陸と離れた後、朝鮮、中国或いは西欧から伝えられた文化、文明は、和風にアレンジはしているが元祖がハッキリしているため、これらは日本固有の文化とは言い難い。
この様な観点で身の回りを見るとどれだけのものが日本固有の文化と言えるのだろうか?
思いつくままに「これぞ日本固有の文化」と思われるものをあげてみたい。
*仮名文字、ひらかな文字・・漢字の変形であるので判定が難しいが他国には一切ない
*漆・・・英語でJapanと言う。これぞ日本を代表する固有文化の筆頭である。北海道・垣の島で縄文初期の遺跡から漆が発見され、それまでの定説、中国からの伝承説が覆った。青森・八戸・是川遺跡から3000年以前の赤漆が発見されている。
*酒・・・米を発酵させて作るアルコールは他に無い
*納豆・・米と同じ発酵技術
*草履・・草鞋、下駄
*相撲・・モンゴル相撲があるが古事記の国譲りに記載されていることから、大陸と地続きだった頃に既に伝わっていたのではないか?
*社(やしろ)八百万の神を祭る信仰は日本固有。特に「村の鎮守様」はその代表。初詣、お宮参り、七五三など神社の関わる行事は固有の文化と思われる。
*寿司、味噌汁、醤油などは判定が難しい。
その他能、狂言、歌舞伎などの文化があるが、中国からの文化が変化した可能性がある。
私は常々漢字の読み方からその物がどんな歴史を持つかを考えている。漢字が日本に入って来た時、その漢字の意味するものが漢字の中にあった物は訓読み(倭読み)して使用した。「酒、漆」は是に当たる。伝わった漢字の中にそれらを表わす漢字が無かった物は、音と意味から造語した。それらが「納豆、下駄、草履」であろう。見事な当て字である。最近の中国は一挙に欧米の文化を取り入れているが、日本のようにカタカナが無いため大変な苦労をしているらしい。余談になるがちょっと紹介するとエイズは愛死、ビートルズは披頭四、ビタミンは維他命、これらは漢字の音と意味がマッチしている傑作だ。コンピューターは電脳、ビデオは録像機、ライターは打火機、これらは意味だけで作られている。日本も明治時代に西欧文明を輸入した時、それらの言葉を漢字で造語した。経済、議会、自由、民主主義・・・など。今の中国は日本が作った漢字・熟語を逆輸入して使っているという。それにしても古代の日本人はセンスが良い。
日本固有の文化を探しても意外に少ないので驚く。私はこの中で神社に関わる全ての事が、文化の殆どの供給元である中国、朝鮮に類似のものが無いことに注目したい。
世界中の原始的宗教は日本の八百万の神と同じように、岩、山、木の様な物体や、蛇、像、亀などの動物を祭っていた。日本の縄文時代もこれらの神々を祭り、それが村の鎮守の社に祭られていたのであろう。童謡「村の鎮守」で歌われる鎮守様の夏祭りが懐かしく思い出される。この社に関わる固有の文化を探してみよう。
初詣、七草粥、お七夜、初宮参り、神嘗祭、新嘗祭、お祓い、お清めなど日本の固有の文化と思われる風習・習慣が多い。しかしこれらの文化は何故か社とは結びつか無いような気がする。社が神社に変化・発展した時期に、これらの行事も生まれたのではないか?
古代の日本の社の御祭神であった八百万の神が、日本の神話の神々に置き換わり、社から神社へと変化した。それは古事記を編纂した大和朝廷が天皇家を神聖化することによりその権力を不動のものとする戦略からなされた。と同時に天皇家が神社の祭司として司っていた諸行事をも、同時に神社を通して全国へ伝えられた。それらの行事と一緒に種々の作法が伝えられ日本の習慣・風習となったと考えられる。こうして見ると仏教国のインド、中国、又広くアジアを見ても同種の物が見られず、日本固有の文化に見える。しかし、実は殆ど同じ形態の諸行事が大陸の西の果ての国・イスラエルの風習にあるというのだ。M・トケイヤー氏はこう言っている。
そもそも日本の神社はイスラエルのソロモン王が造った神殿と構造がほぼ同じであり、その機能(使い方)も同じだ。拝殿と本殿、鳥居に狛犬、そして手水舎までが在る。更に古代イスラエルでは正月にモッツァ(餅)と言う種の入っていないパンを食べ、正月の終わりに苦菜(七草粥)を食べるという。お七夜のお披露目は、割礼の変形であると思われ、汚れの思想から母親は産後1~3ヶ月、家に篭る事が変化し、初宮参りの時、母の変わりに祖母が赤子を抱いて宮参るという風習になったのではないかなどの説がある。
これらの風習を「失われたイスラエルの支族の末裔」と言われる天皇家が日本に伝え、大和朝廷の行事として司られて来たものが、神社を経由し日本の隅々まで伝承され、日本固有の文化と言われるようになったと考えられる。
私の最初の定義からすると外来文化の変形に分類されてしまうが如何だろう。
日本は大陸と地続きであった一万数千年前、大陸から移住した民族と、南から海伝いで船で移住した民族が混血して縄文人が形成されたと考えられる。この縄文人が考え出し、伝えた文明は間違いなく日本の固有文化と言える。その後海面が上昇し、大陸と離れた後、朝鮮、中国或いは西欧から伝えられた文化、文明は、和風にアレンジはしているが元祖がハッキリしているため、これらは日本固有の文化とは言い難い。
この様な観点で身の回りを見るとどれだけのものが日本固有の文化と言えるのだろうか?
思いつくままに「これぞ日本固有の文化」と思われるものをあげてみたい。
*仮名文字、ひらかな文字・・漢字の変形であるので判定が難しいが他国には一切ない
*漆・・・英語でJapanと言う。これぞ日本を代表する固有文化の筆頭である。北海道・垣の島で縄文初期の遺跡から漆が発見され、それまでの定説、中国からの伝承説が覆った。青森・八戸・是川遺跡から3000年以前の赤漆が発見されている。
*酒・・・米を発酵させて作るアルコールは他に無い
*納豆・・米と同じ発酵技術
*草履・・草鞋、下駄
*相撲・・モンゴル相撲があるが古事記の国譲りに記載されていることから、大陸と地続きだった頃に既に伝わっていたのではないか?
*社(やしろ)八百万の神を祭る信仰は日本固有。特に「村の鎮守様」はその代表。初詣、お宮参り、七五三など神社の関わる行事は固有の文化と思われる。
*寿司、味噌汁、醤油などは判定が難しい。
その他能、狂言、歌舞伎などの文化があるが、中国からの文化が変化した可能性がある。
私は常々漢字の読み方からその物がどんな歴史を持つかを考えている。漢字が日本に入って来た時、その漢字の意味するものが漢字の中にあった物は訓読み(倭読み)して使用した。「酒、漆」は是に当たる。伝わった漢字の中にそれらを表わす漢字が無かった物は、音と意味から造語した。それらが「納豆、下駄、草履」であろう。見事な当て字である。最近の中国は一挙に欧米の文化を取り入れているが、日本のようにカタカナが無いため大変な苦労をしているらしい。余談になるがちょっと紹介するとエイズは愛死、ビートルズは披頭四、ビタミンは維他命、これらは漢字の音と意味がマッチしている傑作だ。コンピューターは電脳、ビデオは録像機、ライターは打火機、これらは意味だけで作られている。日本も明治時代に西欧文明を輸入した時、それらの言葉を漢字で造語した。経済、議会、自由、民主主義・・・など。今の中国は日本が作った漢字・熟語を逆輸入して使っているという。それにしても古代の日本人はセンスが良い。
日本固有の文化を探しても意外に少ないので驚く。私はこの中で神社に関わる全ての事が、文化の殆どの供給元である中国、朝鮮に類似のものが無いことに注目したい。
世界中の原始的宗教は日本の八百万の神と同じように、岩、山、木の様な物体や、蛇、像、亀などの動物を祭っていた。日本の縄文時代もこれらの神々を祭り、それが村の鎮守の社に祭られていたのであろう。童謡「村の鎮守」で歌われる鎮守様の夏祭りが懐かしく思い出される。この社に関わる固有の文化を探してみよう。
初詣、七草粥、お七夜、初宮参り、神嘗祭、新嘗祭、お祓い、お清めなど日本の固有の文化と思われる風習・習慣が多い。しかしこれらの文化は何故か社とは結びつか無いような気がする。社が神社に変化・発展した時期に、これらの行事も生まれたのではないか?
古代の日本の社の御祭神であった八百万の神が、日本の神話の神々に置き換わり、社から神社へと変化した。それは古事記を編纂した大和朝廷が天皇家を神聖化することによりその権力を不動のものとする戦略からなされた。と同時に天皇家が神社の祭司として司っていた諸行事をも、同時に神社を通して全国へ伝えられた。それらの行事と一緒に種々の作法が伝えられ日本の習慣・風習となったと考えられる。こうして見ると仏教国のインド、中国、又広くアジアを見ても同種の物が見られず、日本固有の文化に見える。しかし、実は殆ど同じ形態の諸行事が大陸の西の果ての国・イスラエルの風習にあるというのだ。M・トケイヤー氏はこう言っている。
そもそも日本の神社はイスラエルのソロモン王が造った神殿と構造がほぼ同じであり、その機能(使い方)も同じだ。拝殿と本殿、鳥居に狛犬、そして手水舎までが在る。更に古代イスラエルでは正月にモッツァ(餅)と言う種の入っていないパンを食べ、正月の終わりに苦菜(七草粥)を食べるという。お七夜のお披露目は、割礼の変形であると思われ、汚れの思想から母親は産後1~3ヶ月、家に篭る事が変化し、初宮参りの時、母の変わりに祖母が赤子を抱いて宮参るという風習になったのではないかなどの説がある。
これらの風習を「失われたイスラエルの支族の末裔」と言われる天皇家が日本に伝え、大和朝廷の行事として司られて来たものが、神社を経由し日本の隅々まで伝承され、日本固有の文化と言われるようになったと考えられる。
私の最初の定義からすると外来文化の変形に分類されてしまうが如何だろう。
「文化」と言うは大げさですが、たとえ些細なことであれ「何か」を残したいと願っています。