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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★≪箱根復路・朝刊①≫

2014年01月04日 06時14分33秒 | スポーツあれこれ


兄弟パワーだ東洋復路もV 設楽ツインズに続き服部兄弟も
 新黄金期到来の予感――。往路を制した東洋大は復路でも安定感抜群の走りを見せ、2位駒大に4分34秒の大差をつけ2年ぶり4度目の総合優勝を果たした。箱根デビューとなった服部弾馬(はずま、1年)が7区で区間賞の快走を見せるなど5区間中3区間で区間賞を奪い、5時間25分38秒の復路新記録もマーク。エース格だった設楽啓太、悠太(4年)のツインズは卒業するが、花の2区で区間3位の兄・勇馬(2年)とそろった服部ブラザーズは来年も健在で、新たな「鉄紺伝説」が始まった。
 左手の甲に黒いサインペンで書いた文字を指さし、続けてユニホームの胸の文字を右手でつかんだ。東洋大のアンカー・大津の手に書いてあったのはスローガン「その1秒をけずりだせ」――。ゴールテープを切ると、鉄紺の歓喜の輪ができた。東洋大、復路新記録で2年ぶりの完全V。3度宙に舞った酒井俊幸監督は「全員が想定通り走ってくれた。闘争心あふれる走りを誇りに思う」と選手を見つめた。
 駒大と59秒差の復路スタート。6区の日下が1分17秒差まで広げると、優勝を決定づける走りを見せたのが7区の1年生、服部弾馬だ。前日の2区で区間3位の兄・勇馬に書いてもらった「その1秒をけずりだせ」の左腕の文字を見ながらの快走で、追ってくる駒大の西山に37秒差をつけた区間賞。全国高校駅伝でも昨年11月の上尾ハーフでも敗れたライバルに初勝利し「ずっと勝てなかったので、倍返しでした」と無邪気に笑った。
 兄のあとを追って、東洋大に入学。しかし待っていたのは、壁だった。30キロ走では何度も嘔吐(おうと)した。大学駅伝初体験となった昨年10月の出雲では2区7位。11月の全日本のメンバーから漏れ、どん底も味わった。そんなとき、兄は「長い距離を走るのはピッチ走法がいい」とアドバイス。フォーム改造も、この日の結果につながった。
 兄が快走を見せた前夜、電話で「右のアキレス腱が痛い」と告白。「(疲労骨折して棄権となった山梨学院大の)オムワンバを見たから、そうなるんじゃないかと」という兄は一睡もできず、朝6時には母・麻理子さん(43)に「心配だ」と連絡した。だが、走り始めれば関係なし。中継所で安どの涙を流した兄を見て「何で泣いてるんだろう、と思った」という奔放な性格も、怖いもの知らずの弟の魅力だった。
 大みそか。「来年は午(うま)年。名前に馬がついている俺たちが活躍しなきゃ」と誓い合ったという兄弟が有言実行でV奪回に貢献した。設楽兄弟は卒業するが、2人の“駿馬”にはまだ先がある。「3年生の先輩も残るけど、服部兄弟がエース級の活躍をしないと」と早くも次を見据えた弟に、「あいつがエース区間(2区)を走るなら、譲ります」と苦笑いした兄。駒大3冠の夢を打ち砕いたブラザーズが目指すのは、来季の3冠倍返しという野望に違いない。

 ◆服部 弾馬(はっとり・はずま)1995年(平7)2月7日、新潟県十日町市出身の18歳。東日本大震災の影響で、12年に宮城・仙台育英高から愛知・豊川高に転校。全国高校駅伝は1区2位で、初優勝に貢献。1万メートルの自己ベストは30分7秒79だが、ハーフでは1時間2分54秒。1メートル75、58キロ。

 ◆服部 勇馬(はっとり・ゆうま)1993年(平5)11月13日、新潟県十日町市出身の20歳。宮城・仙台育英高から東洋大に進学し、昨年の出雲駅伝は5区で区間新記録をマークした。全日本では2区区間4位。1万メートルの自己ベスト28分22秒43は、日本人の2年生では最速。1メートル76、60キロ。


服部兄弟名前の由来は…馬を飼っていたから
 服部兄弟の父・好位(よしのり)さん(44)と母・麻理子さんは、新潟県十日町市から上京した前日に続いて沿道で声援を送った。
 兄・勇馬以上に弟・弾馬は心配だったそうで「迷惑をかけないで走ってくれれば」と見ていたという。実家で馬を飼っていたことがあり「優しい目をしているのに勇ましい」ことから、3兄弟の名前に「馬」の字を入れた。「勇馬は自由に飛んでいく、弾馬は真っすぐ走るイメージ」。午年にイメージ通りの快走をした息子を称えた。




10区大津MVP 区間記録に9秒の好走
 大会MVPにあたる金栗四三杯には、東洋大のアンカー大津(4年)が選ばれた。
 10区の区間記録に9秒と迫る好走で2位に大差をつけ、復路新記録に貢献したことが評価された。区間賞は2年時の8区以来2度目だが、「本来なら主要区間を走らないといけないのに調子が上がらず、後輩に負担をかけた」と恐縮しきり。「後輩の貯金を使うわけにはいかない」と序盤に飛ばして酒井監督にたしなめられ「落ち着いて走っていたつもりが、またいいペースになってこの記録につながった」と苦笑いした。


6区日下流れ引き寄せた 追いすがる駒大と差広げた
 復路の流れを引き寄せたのは箱根初出場の6区・日下(4年)だった。
 駒大と59秒差でスタートし、9キロ地点では55秒差とされたものの「次が1年生(服部弾)なので1秒でも差をつけて渡そう」と最後は1分17秒差に広げた。実家が福島第1原発に近い南相馬市にあり、両親は新潟県内へ避難中。足のケガ続きで1軍に定着できず「仲間が結果を出しているのを見て悔しかった」という4年生は「両親に走っているところを見せたかったし後悔したくなかった」とホッとした表情だった。


東洋大 意見交換を活発化→4年生に危機感
 出雲、全日本と2位に敗れた東洋大は敗因を分析。「走力はあってもチームワークが足りない」(酒井監督)という結論に至り、1カ月に1度だった全体ミーティングとは別に学年別ミーティングの回数を増やした。
 その際には下級生から意見を取り入れる方式をとり「4年生の残食が多い」「上級生になればなるほどあいさつの声が小さい」などの声も出てきたという。この声で4年生は危機感を持ち、最終的にはチームをまとめ上げてみせた。




駒大3冠逃す エース窪田9区投入も時すでに遅し
 逆襲劇の幕は開かなかった。過去6度の総合優勝のうち4度を往路2位からの逆転で決めた駒大だが、今年は往路2位、復路も2位で東洋大に完敗。10年度の早大以来となる出雲、全日本、箱根の3冠には届かず、大八木監督は「まだまだ力がない。長い距離に対して、足りないところがあった。前を走ったら東洋大は強い」と振り返った。
 復路最長の9区(23・2キロ)に、窪田主将(4年)を起用。補欠から当日の選手変更でエースを投入したが、東洋大とは絶望的な大差が開いていた。往路終了時に59秒だった東洋大は窪田がタスキを受けた時点で3分40秒も前方に。爆発力に欠ける区間2位で28秒縮めるのが限界だった。アンカーがフィニッシュ後は「申し訳ないです」と号泣。閉会式会場に向かうバスでは前の座席に頭を押しつけ、チームメートも話しかけられないほどショックは大きかった。
 ようやく落ち着いたのは、レース終了から2時間以上経過してからだ。「自分の力不足。東洋大の背中は全然、見えなかった。心と体にズレがあった。箱根は難しい」と窪田は真っ赤な目で振り返った。往路、あるいはまだ挽回の可能性があった7、8区で窪田を起用し、リードを奪う戦略はなかったのか。大八木監督は「悩んだよ。悩んだけどねえ」と話し、「やり方によっては、もうちょっと(東洋大との)差は詰まったかな」と“采配ミス”を認めた。
 経験が生きる箱根路で10区間中、4年生はわずか2人。選手層の薄さも敗因だった。「自分に甘えた者と甘えなかった者の差が極端過ぎる。自分に厳しくなってほしい」と訴えた指揮官は「粘れる選手をつくらないと。中堅から下は練習の取り組みをアレンジしてやり直す」と続けた。メンタルもフィジカルも鍛え直して、再び3冠の夢を追う。


日体大 9区矢野激走で逆転3位「最後は気持ち」
 9区の矢野(4年)が区間賞を受賞する力走で昨年総合優勝の日体大が総合3位に食い込んだ。4位でタスキを受け取る前から「差を詰めることしか考えていなかった」と矢野。15キロ地点で前を走る早大・田口を捉えると「ここまで来たら絶対に追いついて(アンカーの)甲斐にタスキをつないでやる」とエンジン全開で一気に抜き去った。
 仲間の頑張りに刺激を受けた。往路5区。7位でタスキを受けた主将の服部が3人を抜き、チームを4位に押し上げた。主将の力走をチームメートで6区を走った鈴木と観戦。「総合優勝の可能性は低かったが、復路で優勝を狙おうと約束した」と奮起した。約束通りに鈴木は区間2位の好タイムでタスキをつないだ。矢野も「最後は気持ちだと思った」と懸命に足を動かした。
 2年連続の総合優勝は逃したが、全日本のシード権は手にした。矢野は「後輩たちに来季につながる最低限の結果は残せた」と安心したように笑った。 




4位早大3強崩せず 渡辺監督「勝ちたい気持ち足りない」
 早大は9区で日体大に逆転を許して4位。東洋大、駒大、日体大の3強崩しはならなかった。
 9区の田口(3年)は2分のリードを守れず、残り1キロ手前でかわされた。「悪い流れをつくってしまった。気持ちの部分が足りなかった」。左アキレス健痛で5区を回避した山本(3年)から「頼むぞ」と託されたが、応えられなかった。東洋大に13分近い差をつけられ、渡辺駅伝監督も「出雲、全日本、箱根と4位だらけ。最後に競り負けるのは勝ちたい気持ちが足りない」と厳しかった。
 1区を走ったエース大迫(4年)の最後の箱根路は4位。「下級生が活躍してくれたので来年以降に期待したい」とエールを送った。新主将となる山本は大手町のゴールでは笑顔で待ち受けたが、直後の大学報告会では涙が止まらなかった。「自分が走れなかったことより、チームの結果が悔しかった」。だが、頂点奪回へ下を向いている暇はない。「勝ちにこだわる。個人の能力を上げる」と山本。悔し涙を歓喜の涙に変えてみせる。


青学大最高タイの5位 残り1キロで明大抜く執念
 青学大のゴールはテープよりも先にあった。最終走者の竹内(4年)はゴールラインを通過しても減速せず、奥で待ち構える仲間たちに一目散に抱きついた。
 「うまくいかないこともあったけど、4年間やりきったうれしさがこみ上げてきた」と笑顔の次に涙が浮かんだ。昨年はケガでメンバーを外れ、今回も12月上旬に右足を故障。欠場も考えるほどだったが、最後の箱根に懸け、「足の状態はギリギリだった」という残り1キロで明大を抜き去る執念を見せた。
 往路は5位。6区の村井(2年)が区間18位に沈んだ悪い流れを7区の小椋(2年)が区間2位の力走で断ち切った。大黒柱の出岐(中国電力)が卒業し、2年生エースの久保田はケガで欠場。それでも12年と同じ最高順位の5位に食い込み、原晋監督は「強くて確実、上位を狙っていける5位」と地力を増した選手たちが頼もしげだった。


天国の母へ…広瀬、明大77大会ぶりの6区区間賞
 総合6位の明大は山下りの6区で広瀬大貴(4年)が区間最高に5秒と迫る58分16秒で自身初の区間賞を獲得した。明大の選手が同区の区間賞を獲得するのは32年の片渕昇以来77大会ぶり。入学直後に亡くなった天国の母・美保子さん(享年45)に、大学最後のレースで最高のプレゼントを贈った。
 大学最後の箱根路を下っていく広瀬に順位は関係なかった。「力を出し切る」と胸に誓って7位で芦ノ湖をスタート。急傾斜を果敢に攻めて行った。前を行く拓大、青学大を序盤で抜き去った。
 15キロまでは千葉健太(11年、駒大)の区間記録を上回るペース。終盤「バテてしまった」と失速しかけたが、再びエネルギーを取り戻したのは15キロすぎだった。沿道には母の遺影を抱えた父・渚さん(52)の姿があった。母の顔を確認し、「あと5キロ!」と叫ぶ父の声をはっきり聞き取ると、再びギアを上げた。5位で小田原に帰ってきた。狙っていた区間記録にはわずか5秒届かなかったが、同区では明大勢77大会ぶりの堂々たる区間賞。「区間新を獲れなくて、母には詰めが甘いと言われるかもしれませんね。でも最低限の区間賞を獲れてよかった」と言って、笑顔を見せた。

 ◆広瀬 大貴(ひろせ・だいき)1991年(平3)10月6日、京都府生まれ。洛南高卒。1万メートルのベストは29分54秒45。13年関東インカレ1500メートル4位。1メートル77、58キロ。


明大来年はベスト3だ 6位は「喜べる順位ではない」
 明大は6区の広瀬で5位に浮上したが、最終10区で順位を1つ落として総合6位に終わった。
 昨年より1つ順位を上げたが、西監督は「9区(区間14位)と、10区(同22位)で流れを断ち切ってしまった。喜べる順位ではない」と残念がった。来年は今大会走った10人中8人が残るだけに「チームの中心の3年生の集大成。ベスト3を争うぐらいじゃないといけない」と話した。



日大5年ぶりシード権「日本人の力ついてきた」
 日大はアンカーの高松(3年)が区間4位と力走し、5年ぶりのシード権をたぐり寄せた。
 6区と8区ではシード圏外の11位でタスキをつなぐ苦しい展開もあった中で小川監督は「シードを獲れたことが何よりの収穫」と笑顔。往路では5区の留学生ダニエルが失速し、10位に沈んでいただけに、指揮官は「日本人の力がついてきたということ」と評価した。


帝京大 何とか8位「今回は生みの苦しみ知った」
 帝京大は何とかシード権を守った。往路の12位から耐えて9区で10位、アンカー杉山が区間3位の好走で8位にまで引き上げた。
 前回は4位と躍進したが「小さな誤算が積み重なった。今回は生みの苦しみを知ることができた」と中野監督。11月末から2週間、台風で被害を受けた伊豆大島で合宿を敢行。島民から「お帰りなさい」「頑張れ」と声を掛けられ選手らは発奮。「合宿をやってよかった」と指揮官は話していた。


拓大コケて「パニック」もシードつかんだ9位
 8位でタスキを受けた拓大の8区・宇田朋史(1年)の9キロすぎだった。3人の集団で走っていたが、前にいた東農大の選手の足につまずき、左足をひねって転倒した。
 「転ぶ前から精神的に余裕がなかったけど、あれでパニックになった」。転倒を含む区間は5キロで16分40秒と大幅にペースダウン。「タスキがつながるのか胃が痛かった」と岡田監督も冷や汗をかく予想外の展開だ。何とか9区につないだ時にはシードラインぎりぎりの10位。「注意不足だった。4年生に申し訳ない」と宇田は自分を責めたが、ここから主将の奥谷裕一、アンカーの木寺良太と2人の4年生が踏ん張って1年生を救った。
 昨年のチームは故障者が続出し、予選会でも落選。今年は「ケガをしない、させない」をテーマに据えた。夏合宿中もトレーナーの帯同日数を増やし、1日2度の体重計測で体をチェック。アイシングやストレッチなどの重要性も理解し、取り組んできた成果が3年ぶりのシード奪取につながった。大手町のゴールでは「すみません」と先輩たちに頭を下げていた宇田。「気にするな」「来年も頑張れ」と口々に励まされ「次は自分がチームを助けられるように成長したい」と誓った。


大東大5年ぶりシード権 粘走10区大西ニンマリ
 大東大は4年生が執念を見せ10位に入り、5年ぶりにシード権を獲得した。
 8区の吉川主将(4年)は区間4位で11位から7位に浮上させ「プレッシャーもあったけど、(奈良)監督からも8区で勝負を決めろと言われていたので」と胸を張った。9区は11位まで落としたが、アンカー・大西(4年)が粘り10位に滑り込み。大西は「(9区に)11番で来てくれた方がいいと思っていた。守るより攻めたかったので」と“見せ場”をつくりニンマリだった。


法大50秒差で涙 復活へ課題はメンタル面
 法大はわずかの差に泣いた。法大はアンカーの高梨(4年)が懸命な走りを見せるも11位に終わり、シード圏の10位でフィニッシュした大東大と50秒差で2年連続のシードを逃した。
 坪田監督は「攻めの走りができなかった。私にも甘さがあった」。今後の課題にメンタル面を挙げ、「きょうは休んであすから再出発します」と“オレンジ・エクスプレス”の復活を誓った。


中央学院大12位「頑張るべき区間が機能しなかった」
 中央学院大は総合12位でシードを失った。往路は序盤と山上りでつまずき13位。復路も9区の田中(4年)らが故障による調整遅れなどで力を出し切れなかった。
 川崎監督は「頑張るべき区間が機能しなかった」と険しい表情。4年ぶりのシード復帰を果たした昨年の10位から再び圏外に後退し「肉体的にも精神的にももっと強くならないと」とタフさを求めた。



東海大8区までシード圏内も…終盤に悪夢
 東海大は8区までシード圏内を守っていたが、9、10区と失速して13位に終わった。両角監督は「結果は出なかったが、選手は力を出し切ってくれた。次は明るく楽しいチームをつくりたい」と話した。
 前回大会は予選会13位で、連続出場が40回で途切れた。エース・村沢(日清食品グループ)ら実力者が卒業した穴も埋められず、「何を目標にするか。今は上位の影すら踏めていない。トータルで戦えるようにしたい」と指揮官は巻き返しを誓っていた。


古豪大苦戦 中大巻き返しならず15位
 古豪復活はならなかった。中大は往路の17位から巻き返せないまま総合15位。区間16位にとどまった6区の代田主将(4年)は「自分の役目を果たせなかった」と唇をかんだ。
 28年間守り通したシードを失い、予選会12位で辛うじて確保した85回連続の出場権。代田は「力は徐々についている。来年は今回のメンバーのうち7人が残るので頑張ってほしい」と後輩に復権を託した。


あと30メートル…国学院大無念の繰り上げ
 無情の号砲が鶴見中継所に鳴り響いた。9区から10区へのタスキリレー。国学院大の9区・吾妻(2年)はラストの直線で力を振り絞ったが、残り30メートル前でトップとの差が20分となって繰り上げでアンカーがスタートした。
 最後はうなだれるようにして無人のゴールにたどり着いた。前田監督は「力不足だった。9区の吾妻の状態が良くなかった」と振り返った。2年連続のシード落ちに「自分たちの甘さがあった。メンタルが課題。日々の生活から見直していかないといけない」と課題を口にしていた。


城西大 往路出遅れ響き19位「山と1区、2区育てたい」
 城西大は11年連続11回目の出場となったが、往路の出遅れが響いて19位。
 20位からスタートし、6区の菊地(1年)が区間6位で走って順位を1つ上げたが、それ以降はいずれも区間18位以下。過去最高順位の6位に遠く及ばず、櫛部監督は「往路で大きく遅れたことが全て。その後も流れを変える選手がいなかった」と力不足を痛感。「能力はあるので課題の山と1区、2区を育てたい」と話した。


山梨学院大5年森井“参考記録扱い”も力走
 箱根のため卒業を見送り、夢を実現した。山梨学院大の10区を走った森井(4年)は最終学年だった昨年の箱根駅伝直前に左足甲を疲労骨折していることが判明。初めてのエントリーが確実だった状況で夢が途絶えた。だが「箱根に出るまではやめられない」と諦めずに留年することを決意。両親と監督に相談し「1年だけ」と了解を得た。
 休み返上で体幹を鍛えつつ、3時間走でスタミナ強化。夢舞台でアンカーを任され、懸命に走り抜いた。「自分の中でやりきれた」。2区のオムワンバ(2年)が途中棄権したため参考記録となったが、区間タイムは全体5番目となる1時間11分10秒。レース後に松葉づえ姿のオムワンバは「すみませんでした」と頭を下げたが「自分も同じ疲労骨折。つらい気持ちは分かる」と気遣った。今後は実業団入りを目指し、3月のびわ湖毎日マラソンにも挑戦する。
(以上 スポ二チ)



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復路新記録!東洋大、総合歴代2位タイムで完全V
 第90回東京箱根間往復大学駅伝・復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖-東京・大手町=5区間109・9キロ)往路を制した東洋大が10時間52分51秒で、2年ぶり4度目の総合優勝を飾った。5時間25分38秒の新記録で復路優勝も果たし、「完全優勝」を決めた。7区(21・3キロ)の服部弾馬(はずま、1年)が区間賞の快走。往路2区で区間3位と好走した兄・勇馬(2年)に続いて存在感を示した。往路の5区と3区でそれぞれ区間賞に輝いた双子の設楽啓太、悠太兄弟(ともに4年)は今春卒業するが、午年に飛躍した“馬”の名を持つ服部兄弟の力で黄金時代は続く。
 ぶっちぎりの独走だった。東京・大手町には肩を組み歓喜の瞬間を待つ服部兄弟がいた。顔をゆがめる大津顕杜(4年)が姿を現すと、「ケントコール」で励ます。息を吹き返したアンカーは左胸をたたき、両腕に思いきり力を込めてゴールテープを切った。
 「楽しく走れてよかった。本当にいい走りができた」
 間違って“だんま”と呼ばれることもある服部弾馬が、文字どおり弾丸のような走りで駒大を突き放した。たすきを受け取った時点で2位との差は1分17秒。物おじしない性格を武器に後続との差をどんどん広げる。1時間3分27秒で区間賞を獲得し、史上4校目の大学駅伝3冠を狙ったライバルに1分54秒のリードを築いた。最終10区(23・1キロ)で大津がフィニッシュラインを越えたときには、その差が4分34秒にも広がっていた。
 決戦前夜、頼れる兄に助けを求めた。右アキレス腱の痛みから、勇馬の携帯電話へコール。「楽しんで走れ」とアドバイスをもらった。それだけでは物足りず、小田原中継所へ“緊急招集”。左腕に乱雑な文字でチームスローガンの「その一秒をけずり出せ!!」という“金言”を書いてもらった。
各校のエースが集う花の2区で大役を果たしたにもかかわらず、勇馬は弟の状態が不安でほとんど眠れなかったという。自身と同じ区間を走った山梨学院大のケニア人留学生エノック・オムワンバ(2年)が右腓骨(すねの外側の骨)の疲労骨折で途中棄権を強いられていたからだ。弾馬を追うように小田原から平塚へ向かい、声をからして応援。力走を見届け、無事にたすきをつないだ弟と対面すると、抱きしめて男泣きした。
 大みそかに勇馬はある誓いを立てた。優しい目をした馬が好きな両親の思いが込められた名前を持つ兄弟。2人そろって臨む箱根路は、くしくも午年だった。「馬が活躍しないでどうする」。兄弟の活躍で、往路も復路も制しての完全優勝は「山の神」柏原竜二(現富士通)が4年生だった2年前に続くもの。復路のタイムは新記録。総合のタイムも2年前に迫る歴代2位の記録だった。
 「兄に一歩近づけた。追いついて、自分がエース格にならないと」
 弾馬も飛躍を誓った。鉄紺のたすきを4年にわたって磨いた設楽兄弟は箱根路を去るが、ツインズがいなくなっても、東洋大には服部ブラザーズがいる。3大駅伝で5大会連続2位の“ダークホース”が、ついに“ウイニングホース”の座を奪回した。(江坂勇始)

東洋大とスポーツ
 ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリストで、昨年8月にプロデビューを飾った村田諒太(三迫)を筆頭に、各競技で世界を狙える逸材がそろう。競泳ではロンドン五輪男子400メートル個混銅メダルの萩野公介、男子200メートル平泳ぎ世界記録保持者の山口観弘が昨春に入学。4月には陸上男子100メートルで日本歴代2位(10秒01)のタイムを持つ桐生祥秀が進学する。

データBOX
◎…東洋大の10時間52分51秒は、第82回大会(2005年度)で現行の距離になってから2番目の好タイム。最速は第88回大会(11年度)で同大がマークした10時間51分36秒。
◎…東洋大の復路5時間25分38秒は、第76回大会(1999年度)で現行の距離になってからの最速タイム。これまでは第88回大会で同大がマークした5時間26分51秒が最速だった。
◎…往路、復路とも優勝する「完全優勝」は39度目で、東洋大は第85、88回大会に続いて3度目。


アンカー初MVP!東洋大・大津、復路新の快走劇締めた
2年ぶり4度目の総合優勝を果たした東洋大は、最終10区(23・1キロ)で区間賞の大津顕杜(4年)が金栗四三杯(最優秀選手賞)を獲得した。9区(23・2キロ)の上村和生(2年)は区間4位の粘走で、追う駒大のエース窪田忍主将(4年)の追撃を抑えた。出雲駅伝、全日本大学駅伝を合わせた3冠を目指した駒大は2位に終わり、前回覇者の日体大は3位だった。10位の大東大までが次回のシード権を手にした。
 攻めの姿勢を最後まで貫いた。東洋大は復路でも3区間で区間賞を奪う快走。ライバル駒大にとどめを刺したのは、最終10区の大津だ。1時間9分8秒で区間賞。笑顔で仲間が待つゴールへ飛び込んだ。
 「この大会で優勝することにかけていた。復路は設楽兄弟の力を借りず、優勝したかった」
 2大会前の8区に続く区間賞獲得で復路新記録と総合優勝に貢献し、アンカーでは初めてMVPの金栗四三杯を獲得。「びっくりした。最低でも区間新(を出さないともらえない)と思っていたから…」と喜び、「後輩が粘ってつないでくれた貯金を使うわけにはいかなかった」と激走を振り返った。卒業後はトヨタ自動車九州入りが決まっている。「東京五輪のマラソンでメダルを取りたい。今回の受賞は夢に近づく自信になる」と目を輝かせた。
 その大津に弾みをつけていたのが、9区に起用された上村だ。往路に設楽兄弟を2人とも投入した東洋大が、エース窪田を温存した駒大から逃げ切れるか-。復路の最長区間として注目が集まる9区に、箱根初体験ながら指名された。
 今季は不調続きで、出雲、全日本はメンバー落ち。窪田の存在を「怖かった」と正直に振り返ったが、3分40秒の大差をもらったことで「余裕を持てた」。窪田との差を3分12秒に保ち、たすきをつないだ。
 「自信になった。連覇を狙えるチームだし、自分も主力として走れるようにがんばりたい」
 2年前に柏原竜二が卒業し、設楽兄弟もこの春に卒業するが、上村ら下級生の戦力も高い。この6年で優勝4度、2位が2度。黄金時代は続きそうだ。(只木信昭)

大津 顕杜(おおつ・けんと)
 1991(平成3)年12月7日生まれ、22歳。熊本・上天草市出身。千原台高から東洋大。箱根駅伝は2年時(2011年度)に8区で区間賞。1万メートルの自己記録は28分39秒54。1メートル63、52キロ

金栗四三(かなぐり・しそう)杯
 大会の最優秀選手に贈られ、第80回大会(2003年度)から始まった。1912年ストックホルム大会で日本初の五輪マラソン選手となり、箱根駅伝を提唱、創設に尽力した金栗四三の功績をたたえて設けられた。最多受賞は今井正人(順大)と柏原竜二(東洋大)の各3度。

東洋大学
 1887年に哲学館として創立され、1906年に現名称となった。東京都文京区白山を本部とし、6キャンパスに11学部がある。箱根駅伝は33年の第14回大会で初参加し、2009年の第85回大会で初優勝。翌年も制し、2連覇を達成。今季は出雲駅伝、全日本大学駅伝ともに2位。主なOBは、プロボクシングの村田諒太やプロ野球の達川光男(元広島)ら。


東洋大Vメンバー喜びの声 大津「優勝テープ切れてうれしい」
◆1区・田口雅也(3年) 「区間賞を取れず悔しさが残った。来年は連覇を果たして、後輩につなげたい」
◆2区・服部勇馬(2年) 「来年こそは自分がエースになる覚悟を持って、がんばっていきたい」
◆3区・設楽悠太(4年) 「ここがゴールじゃない。実業団ではもっと強い選手と戦えるようになりたい」
◆4区・今井憲久(3年) 「リラックスして臨めた。来年は自分がチームの主軸になって優勝したい」
◆5区・設楽啓太主将(4年) 「キャプテンらしい走りができた。後輩には連覇できるよう、がんばってほしい」
◆6区・日下佳祐(4年) 「2位との差を広げることを考えた。サポートに回った4年生の分まで走った」
◆7区・服部弾馬(1年) 「初めての箱根で優勝できてうれしい。区間賞はプラスになる。これからにつなげたい」
◆8区・高久龍(3年) 「2位の呪縛を解くことができた。優勝メンバーとして走ることができて光栄」
◆9区・上村和生(2年) 「トップでたすきを渡そうと思った。来年も優勝を目指してがんばりたい」
◆10区・大津顕杜(4年) 「後輩たちが粘って貯金をつくってくれた。優勝テープを切れてうれしい」



駒大3冠届かず笑顔なき2位…大八木監督「層の薄さ出た」
声をからし続けた駒大・大八木弘明監督の願いは、かなわなかった。59秒差の2位で往路を折り返したが、終わってみれば東洋大に4分34秒差をつけられる完敗。史上4校目の3冠は夢と消えた。
 「7、8区。そこの層の薄さが箱根では出た。(往路と復路の割合を)7対3と考えていて、東洋大もそうだった。ただ、その3が向こうは強かった」
 切り札につなぐ前に勝負は決した。9区には当日変更でエースで主将の窪田忍(4年)が待機。「窪田のところで(東洋大との差が)1分30秒ぐらいなら」。往路終了時、指揮官は逆転優勝の青写真を描いた。ところがたすきをつなぐごとに状況は悪化。7区の西山雄介(1年)は区間3位、8区の大塚祥平(1年)も区間6位の走り。差は開いていく一方だった。
 3分40秒差でたすきを渡された窪田だったが、走っても走っても東洋大の背中を見ることはできなかった。差を28秒縮めるのが精いっぱいで、1時間8分56秒は区間賞にも届かなかった。「やれることはやったつもりだから、実力が足りなかったということ」。目をまっ赤にして号泣した。
 「また強い駒大をつくるから、ついてこなあかん。自分に甘えた者と甘えていない者の差が極端すぎる。自分に厳しくなれ」
 ゴール地点で集合した駒大メンバーに、大八木監督は厳しい声を響かせた。出雲と全日本を制しながら、最後に苦汁をなめた。王座奪回を目指し、駒大の歴史は続く。(高橋かずみ)


V2逃すも意地!日体大・矢野「3位は最低限の結果」
2連覇の壁は高かったが、3強の一角を守った。往路4位の日体大は3位早大と1分23秒差で復路をスタート。8区を終えて差を2分0秒と広げられたが、9区で矢野圭吾(4年)が踏ん張った。区間新も狙えるペースで快走し、駒大の窪田を27秒も上回るタイムで区間賞。鶴見中継所の手前で早大を抜き去った。
 「3位は最低限の結果で、次も上を狙おうというモチベーションになる。チーム再建のいい材料になる」
 矢野は黄金期の再来という夢を後輩に託した。その同級生からたすきを受けたアンカー甲斐翔太(4年)は、早大の中村信一郎(2年)にぴたりと付かれ「嫌な感じだった」というが、冷静な判断で16キロ過ぎにスパートし、振り切った。
 最上級生の頑張りと経験で3位を死守したが、10度の総合優勝を誇る名門を再浮上させた4年生は、これが最後の箱根路だ。「来年度が大切。下級生に責任感や自覚が出てこないと」。別府健至監督は残る選手たちに奮起を促した。(只木信昭)


早大、競り負け4位…大迫の失速響く
早大は往路を3位で折り返したが、9区で日体大に抜かれ、4秒の差の4位で最終区へ。最後は中村信一郎(2年)が16キロ過ぎからジリジリと離された。今季の大学3大駅伝ですべて4位に終わり、渡辺康幸監督は「何秒差でも4位は4位」と無念さをにじませた。
 スタートでつまずいた。5000メートルの自己ベスト(13分20秒80)が今大会最速の大迫傑(4年)が、1区で5位と失速。計算通りのレースとはいかず、最後までその差を埋めることができなかった。
 大迫は大会直前まで米国で単独合宿をしていた。チームの団結力を低下させたことで総合4位に終わったという批判の声があがった。それでも渡辺監督は「批判は多いと思うけど、今回のことが間違っているとは思わない。主力を故障で使えなかったのが実力」とエースをかばい、自身を敗因に挙げた。

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