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箱根駅伝・往路 ≪朝刊記事1 ≫

2024年01月03日 09時45分41秒 | スポーツあれこれ
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走往路 (2日、東京・千代田区大手町読売新聞社前スタート~神奈川・箱根町芦ノ湖ゴール=5区間107・5キロ)

 青学大が絶対王者の駒大に真っ向勝負で競り勝ち、5時間18分13秒の新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。2区で黒田朝日(2年)が7人をごぼう抜きして2位に浮上。3区で太田蒼生(3年)が駒大のエース佐藤圭汰(2年)を大逆転した。原晋監督(56)が「駅伝男」と呼ぶ2人の激走で勢いに乗り、完勝。1か月前にインフルエンザに集団感染するトラブルがあったが、指揮官の調整力と「負けてたまるか!大作戦」の反骨心で、箱根の山を駆け上がった。(曇り、気温4・7度、湿度58%、北西の風1・1メートル=スタート時)

 青学大が絶対王者・駒大を力業で破った。5区の若林宏樹(3年)が力強く優勝のゴールテープを切った後、原監督は思わず叫んだ。「最高だね! 君たち!」

 1か月前、青学大はどん底にいた。千葉県内で合宿中にインフルエンザに集団感染し、選手の大半がチームを離脱し、隔離生活を送った。しかも、この日、4区で区間賞を獲得した佐藤一世(4年)は虫垂炎を併発。原監督は「就任20年目でこんな時期にインフルエンザに集団感染することはなかった。一世は絶好調だったのに起用できないだろう。2位狙いでいきますよ」と漏らし、白旗を掲げたこともあった。

 今大会の大作戦を思いついたのは、そんな時だった。「駒大は強い。ひとつ間違えると、レースの序盤で終わる。チーム一丸で『負けてたまるか!』という気持ちで挑むしかない。名付けて『負けてたまるか!大作戦』です」とチームと自身を鼓舞するように宣言した。

 原監督は気持ちを切り替え「ここからが腕の見せどころ」と奮起。過去に成功してきた調整パターンを捨て練習量を例年の7割に落とした。その結果、疲労が完全に抜けて、往路5人全員が高いパフォーマンスを発揮した。

 1区の荒巻朋煕(ともき、2年)はハイペースに臆せず、区間9位ながら首位の駒大・篠原倖太朗(3年)と35秒差にとどめた。2区の黒田は7人をごぼう抜きして駒大と22秒差の2位に迫った。3区の太田は59分47秒の爆走で駒大のスピードランナー佐藤圭汰(2年)を大逆転して首位に浮上した。

 「きょうは勝った!」と原監督が確信したのは4区の佐藤の“いきなりスパート”だった。駒大の山川拓馬(2年)より4秒先にタスキを受けた佐藤はスタート直後に飛ばした。5秒以内であれば最初の1キロで後続ランナーが追いつくことが多いが、佐藤はそれを許さなかった。「追いつかせずに最初で勝負を決めるつもりで突っ込みました。虫垂炎になって気持ちが折れそうになりましたが、仲間が支えてくれた。仲間のために走りました」。4回目の箱根で初の区間賞を獲得した佐藤は感慨深い表情で話した。

 青学大はこれまで往路優勝した5回はすべて総合優勝を果たした。初優勝した15年以降、2年連続で優勝を逃したこともない。「往路新記録はびっくりしたが、ここまできたら、2年前に我々がつくった総合新記録(10時間43分42秒)を狙いましょう」と原監督は威勢良く話した。この10年、箱根路の主役を張ってきた青学大が第100回大会で、その真骨頂を発揮している。(竹内 達朗)


 青学大が絶対王者の駒大に真っ向勝負で競り勝ち、5時間18分13秒の新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。2区で黒田朝日(2年)が7人をごぼう抜きして2位に浮上。3区で太田蒼生(3年)が駒大のエース佐藤圭汰(2年)を大逆転した。原晋監督(56)が「駅伝男」と呼ぶ2人の激走で勢いに乗り、完勝した。

 「駅伝男」というより「箱根駅伝男」だ。青学大の太田が3年連続で湘南で爆走した。1万メートルでU20日本記録(27分28秒50)保持者の駒大・佐藤から22秒後にスタートすると、7・4キロで追いついた。前半の10キロ通過は驚異の27分30秒。1万メートルで日本歴代10位に相当するハイペースだったが「まだ、余裕はありました。少し休んで終盤に勝負するつもりでした」と涼しい顔。狙い通りに残り約3キロで佐藤を突き放し3大駅伝23区間連続トップだった駒大に“土”をつけた。

 1年時は3区、2年時は4区で快走したが、いずれも区間2位だった。3大駅伝通じて初めて獲得した区間賞は日本人で初の1時間切り。ハーフマラソン(21・0975キロ)より長い距離で、同日本記録(1時間0分0秒)をも上回った。太田は「負けてたまるか!という強い気持ちで走りました」と原監督発令の作戦名を挙げて笑った。

 新春の箱根路で抜群の強さを発揮する太田は別府大分毎日(2月4日)でマラソンに初挑戦することを表明。「2時間6分30秒を目指します」と日本歴代8位に相当する高い目標を明かした。昨年の同大会で青学大の先輩の横田俊吾(現JR東日本)がマークした2時間7分47秒の日本学生記録、昨年の大阪で西山和弥(トヨタ自動車)がつくった2時間6分45秒の初マラソン日本記録の更新を狙う。

 野望はさらに大きい。「五輪のマラソンで優勝したい。日本人がケニア人に勝てないという概念を打ち破りたい」とさらりと話した。25年春の卒業後の進路として既存の実業団チームに加えてプロランナーも視野に入れている。「箱根から世界へ」。箱根駅伝の理念を追求する。(竹内 達朗)

 ◆太田 蒼生(おおた・あおい)2002年8月26日、福岡・篠栗町生まれ。21歳。篠栗北中から大牟田高(福岡)に進学。全国高校駅伝は1年6区10位、2年4区6位、3年1区10位。21年4月、青学大コミュニティ人間科学部に入学。箱根駅伝は1年3区2位、2年4区2位。自己ベストは5000メートル13分53秒10、1万メートル28分20秒63。176センチ、58キロ。


 青学大が絶対王者の駒大に真っ向勝負で競り勝ち、5時間18分13秒の新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。2区で黒田朝日(2年)が7人をごぼう抜きして2位に浮上。3区で太田蒼生(3年)が駒大のエース佐藤圭汰(2年)を大逆転した。原晋監督(56)が「駅伝男」と呼ぶ2人の激走で勢いに乗り、完勝した。

 持ちタイム以上の強さを発揮する選手を原監督は敬意と信頼を込めて「駅伝男」と呼ぶ。今季、指揮官に「新・駅伝男」と指名された黒田が「花の2区」で期待に応えた。東洋大の相沢晃(現旭化成)が20年に記録した1時間5分57秒の日本人最高記録に次ぐ1時間6分7秒の好記録で7人をごぼう抜き。もうひとりの「駅伝男」太田の逆転劇をお膳立て。「後半、ペースを上げて、最後の上り坂もしっかり走れましたね」と明るく話した。

 父の将由さん(42)は法大1年時の01年箱根駅伝1区で3位と好走し、駿河台大の徳本一善監督(44)と「オレンジエクスプレス」を編成した名選手。弟の然(ぜん、岡山・玉野光南高3年)は昨年の全国高校総体3000メートル障害2位。今春には兄を追って青学大へ進学する。妹の六花(りっか、岡山・京山中3年)は昨年の全日本中学陸上1500メートル優勝。さらには昨年12月の全国中学駅伝ではアンカーとして優勝のゴールテープを切り、兄より先に「駅伝日本一」に輝いた。黒田によると、末妹の詩歌(しいか)ちゃんもまだ幼稚園児ながら駆けっこが抜群に速いという。

 近い将来、日本陸上界を担う可能性もあるランナー一家の長男は「弟も妹も頑張っている。長男の意地です」と笑顔。家族は岡山から上京し、沿道で声援を送った。「大舞台の箱根駅伝でも楽しんで走ってほしい。私も楽しんで走りましたから」という父のエールは確かに黒田に届いた。底知れぬ能力と明るさを持つ黒田が、青学大に勢いをもたらした。(竹内 達朗)

 ◆黒田 朝日(くろだ・あさひ)2004年3月10日、岡山市生まれ。19歳。玉野光南高3年時に全国高校総体3000メートル障害2位。22年、青学大地球社会共生学部に入学。1年時は3大駅伝出場なし。自己ベストは5000メートル13分36秒55、1万メートル28分15秒82、ハーフマラソン1時間3分2秒。3000メートル障害を得意としており、自己ベストの8分37秒25はU20日本歴代4位。166センチ、50キロ。

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 青学大が絶対王者の駒大に真っ向勝負で競り勝ち、5時間18分13秒の新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。2区で黒田朝日(2年)が7人をごぼう抜きして2位に浮上。3区で太田蒼生(3年)が駒大のエース佐藤圭汰(2年)を大逆転した。原晋監督(56)が「駅伝男」と呼ぶ2人の激走で勢いに乗り、完勝。1か月前にインフルエンザに集団感染するトラブルがあったが、指揮官の調整力と「負けてたまるか!大作戦」の反骨心で、箱根の山を駆け上がった。
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 青学大は5人全員が、想定以上に素晴らしい走りで往路を制した。2位の駒大も往路新記録で、誰も悪い走りはしていない。2、3、4区で区間賞で5区も区間新での区間2位という青学大の走りが良すぎた印象だ。3区以降雨が降ったりはあったが、一日通して追い風で、好記録を生んだ要因となっていた。
 指揮官の緻密(ちみつ)な戦略も見事だった。昨年12月中旬。青学大の原監督は「佐藤君と山川君を抑えれば駒大に勝てる」とおっしゃっていた。その言葉通りに「チームで一番調子が良い」という太田君を3区に起用して出雲、全日本で勝負を決めてきた駒大の主軸・佐藤君に流れを渡さないように勝負をかけた。まさに原マジックが的中したレースだった。

 原監督は「学生スポーツに絶対はない」とよく口にする。チーム一丸となり、今季の絶対王者・駒大に立ち向かった姿勢が勢いを生み、勝因となった。駒大の藤田監督は「相手の背中を見た時に、動揺していつもの走りができない」と大会前に話していた不安要素が当たってしまった。

 復路を残して2分38秒差。第100回大会の節目にふさわしい、見応えのある優勝争いとなった。青学大は往路優勝した5大会はいずれも総合V。一方、駒大は8度の総合優勝のうち5度が復路逆転。駒大としては6、7区で1分台の差には詰めたい。昨年の優勝経験者の安原君、赤星君、花尾君の4年生がカギを握る。シード争いは大混戦。ハイレベルなタフなレースで1区間でもミスをしたら脱落する。堅実な走りをすることが欠かせない。(元早大駅伝監督、住友電工監督・渡辺 康幸)

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 2年連続5度目の往路優勝を狙った駒大は、5時間20分51秒の2位で往路を終えた。1区篠原倖太朗(3年)、2区鈴木芽吹(4年)、3区佐藤圭汰(2年)を並べる“神オーダー”が、青学大の太田にリズムを崩され逆転された。史上初の学生3大駅伝2季連続3冠へ復路で王者の真の強さを見せつける。

 学生駅伝5連勝中だった王道布陣が崩れた。駒大は3区を担った学生NO1のスピードランナー・佐藤が青学大の太田に逆転を許し、流れを失った。22秒差のリードを8キロ手前で失い、14キロで逆転された。「まさかそんなに早く追いつかれるとは」。15キロで再逆転した際、焦りから足がつる感覚に襲われ、残り3キロは再々逆転で突き放された。「自分のペースを乱してしまった」。佐藤も区間歴代3位の1時間0分13秒と決して悪くない記録。だが、前回箱根4区で首位に立ってから守ってきた学生3大駅伝首位通過記録を23区間で止められると、狂った歯車は最後まで戻すことができなかった。

 佐藤は前回大会、直前に胃腸炎になり出走がかなわなかった。「絶対に今年リベンジしてやるという思いがあって、いい練習も積めていたし、自信を持ってスタートラインに立った」。昨年12月は初の1万メートルで27分28秒50のU20日本新を樹立。出場選手でも最も速い記録を持ち、万全に調整を進めていたが、初の20キロ以上のレースで箱根の魔物に襲われた。「太田さんの方が一枚上だった。強かった。自分の気持ちの弱さがあったと思います」と佐藤は真正面から受け止めた。藤田敦史監督(47)も「自分も想定以上の走りの中で追いつかれて動揺したと思う。彼はこの悔しさを忘れずに1年かけてやってくれると思う」と期待を込めた。

 1万メートル27分台を1区から3人並べた最強の布陣。篠原は区間賞を獲得するなど5時間20分51秒と大会記録を更新しながら、青学大に2分38秒差を付けられた。決して小さくないが、史上初の2季連続3冠への道が途絶えたわけではない。復路には今季の全日本で1区区間賞の赤津勇進、4区2位の赤星雄斗、6区区間賞の安原太陽、21年大会7区4位で総合優勝に貢献した花尾恭輔ら信頼厚い4年生が残る。「諦めるとかは全くない。チャンスは必ず巡ってくると信じてやっていきます」と新監督。逆境の中、真の強さを見せ、大手町で歓喜のゴールテープを切る。(手島 莉子)

 〇…駒大の大八木弘明総監督が2区の新子安駅付近で、教え子でもある鈴木芽吹主将にゲキを飛ばした。これまでは運営管理車から声をかけていたが、今回からは藤田監督に任せ、沿道からの指示となった。2位という結果に、鈴木主将は「相手が想定していた以上に強かった。まだ全然諦めていないし、本当に勝ちに行きます」と復路の選手を鼓舞した。

 〇…駒大4区の山川拓馬(2年)は区間6位に終わり、青学大に1分26秒のリードを許した。駒大が学生3大駅伝で区間6位以下に終わったのは22年箱根10区・青柿響(6位)以来、2年ぶり。11月の全日本後から股関節痛で、走り出したのは12月からだった。「想定より1分以上遅かった。練習が足りなかった部分が出た」と藤田監督は明かした。

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 5区の山上りで城西大・山本唯翔(4年)が1時間9分14秒で2年連続の区間新記録を打ち立てた。櫛部静二監督(52)に“山の妖精”と命名されたエースが引っ張り、チームは往路を過去最高の3位でフィニッシュした。

 “山の妖精”が軽やかに箱根の山を駆け抜けた。3位で受けたタスキ。前後は見えず一人旅となったが、沿道の友人や恩師らを見つけては手を振り、昨年はけいれんを起こした後半も踏ん張った。残り1キロ、箱根神社大鳥居で待っていた祖父にガッツポーズ。自身の区間記録を50秒も塗り替え「動きに余裕があって自信を持って走れた。過去の自分に勝つことだけを考えていた。本当にうれしい」。チームの往路最高だった12年の5位を塗り替え、晴れやかな笑みを浮かべた。

 山本が“妖精”となったのは前回大会だ。13位から猛烈に追い上げていると、櫛部監督から「山の神にならなくていい。山の妖精になれ!」と一風、変わったゲキが飛んだ。レース後の反響は大きく、周囲から「次は“山の神”になれるんじゃないか」と期待も受けた。

 重圧は感じたが、それ以上に「この1年間、誰にも負けないぐらい、上りの練習を頑張ってきた」と自負があった。「傾斜は箱根よりきつい」という大学近くの鎌北湖を囲む山道に何度も挑んだ。低酸素トレーニングや筋トレも常に山を意識したメニューを組んだ。ほぼ同じコースだった05年に順大の「初代・山の神」今井正人が記録した1時間9分12秒には2秒届かなかったが「神にはなれなかったけど、記憶に残る走りができた」と胸を張った。

 新潟・十日町市出身。小学校時代は往復2キロの坂道を登校し、クロスカントリースキーで鍛えた。妖精を育んだ故郷は1日、地震に見舞われ「勇気や希望を与える走りを」との思いも体現した。卒業後は実業団SUBARUに進む。「この経験を生かして、マラソンで五輪の表彰台に乗れるように頑張っていきたい」と決意を込めた。(林 直史)

 ◆山本 唯翔(やまもと・ゆいと)2001年5月16日、新潟・松代町(現・十日町市)生まれ。22歳。松代中を卒業後、実家を離れ、開志国際高に進学。2年時に全国高校駅伝3区21位。3年時に全国高校総体3000メートル障害14位。20年に城西大経営学部入学。尊敬する選手は同じ十日町市出身の東京五輪男子マラソン代表の服部勇馬(トヨタ自動車)。卒業後はSUBARUに進み「マラソンで五輪を目指したい」。168センチ、51キロ。

 ◆5区の「山の神」と区間記録 05~07年に3年連続区間賞の今井正人(順大)が初代。09~12年に4年連続区間賞の柏原竜二(東洋大)が2代目。15年に区間新をマークした神野大地(青学大)が3代目。現在の函嶺洞門バイパスではなく、函嶺洞門を走るコースだった05年に今井が1時間9分12秒で走破し、現コースとほぼ同じため「事実上の区間記録」と呼ばれている。さらに、15年に神野は約2.45キロ長い旧コースを1時間16分15秒で走った。現コースに換算すると1時間8分54秒で「5区史上最速」と言われている。

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 18年連続シード権を確保している東洋大は往路4位と実力校の意地を見せた。当日エントリーで入った4区の松山和希主将(4年)が1時間1分37秒と区間2位の力走。昨年は故障で走れなかったエースは「区間賞を取りたかった」と苦笑いしたが「雨が得意なのでプラスに捉えて。この舞台で走れることが、どんなに幸せか改めて感じた」と振り返った。

 松山は1、2年時に、ともに2区を区間4位、5位の快走。「2区を走りたい気持ちはあったが、勝つために4区を走った」。酒井俊幸監督(47)の起用に応え、2年ぶりの箱根路で両親や中学時代の恩師が沿道で見守る中、懸命に腕を振って雨道を突き進んだ。

 初制覇した09年から19年まで、4度のVを含め11年連続で3位以内。だが昨年は10位と、この100回記念大会で正念場を迎えた。「上位争いに絡み、3位以内を目指す」という指揮官の大号令の下、2区では15位でタスキを受けた梅崎蓮(3年)が8人抜きで7位にジャンプアップした。

 目標の総合3位以内に向け、松山は「自分の中では出し切ったつもり。1年間、チーム一丸でやることを意識してきた。最後、結束力で3位という目標を達成したいので、信じて応援したい」。鉄紺の輝きを取り戻す大会にする。(岩原 正幸)

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 早大のエース・山口智規(2年)が2区区間4位の好走。OBの渡辺康幸・住友電工監督が95年に出した1時間6分48秒の学内記録を17秒上回り、チームを12位から4位に浮上させた。「(1区が)5番前後で来るかなと思ってたので『マジかよ』って思いましたけど『もうやるしかない』と覚悟決めて突っ込んだ」と勢いで走り抜いた。

 昨年11月の上尾ハーフで大迫傑(ナイキ)が持っていた学内記録を更新する1時間1分16秒を記録。続く“レジェンド”超えに「100点つけたい」と高評価したいところだったが、同学年で青学大・黒田朝日が区間賞。タイムでは24秒差で敗れ「黒田君に3大駅伝、全て負けてしまったので反省したい」と向上心をむき出しにした。後続も大きなミスなくタスキを運び5位。理想の位置で復路へと挑む。

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 国学院大のエース・平林清澄(3年)は「花の2区」で17位から華麗に8人をごぼう抜き。「僕が巻き返してやろうみたいな感じでいった」と覚悟の走りで、1時間6分26秒の区間3位。チームをシード圏内まで押し上げた。

 大会前日の1日午後4時10分頃、石川県能登地方で最大震度7を観測し、平林の出身地で、近隣の福井県越前市でも激しく強い揺れが起きた。北陸地方では被害も確認されている。「自分の走りがテレビに映って、北陸の人に諦めず元気を与えられるように、と思っていた。そこに関してはひとつできたのかなと思う」。平林の激走に刺激を受け、チームも6位で往路を終えた。復路ではさらなる上位進出を目指す。

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 5区の山上りで大東大・菊地駿介(4年)は区間4位の1時間11分41秒と力走。チームを14位からシード圏内の8位に押し上げた。

 降りしきる雨を吹き飛ばす晴れやかな表情で駆け抜けた。大東大の5区を担った菊地は「目標タイムも超せることができましたし、100点の走りができた」と“山の大東”をよみがえらせる力強い走りで区間4位となる1時間11分41秒。1区で西川千青(ちお、3年)が転倒するアクシデントもあったが、菊地の見事な6人抜きで8位でフィニッシュした。

 プラン通りの完璧なレースを展開した。昨年も5区を走った経験から、序盤はペースを抑えた。中盤に苦しい時間を迎えたが「法大の選手(細迫海気)が一緒に走ろうと声をかけてくれて粘ることができた」と並走でペースを守り、後半の追い上げにつなげた。

 苦楽を共にした恩師に感謝の走りを見せた。22年4月に就任した真名子圭(まなこ・きよし)監督(45)とは、仙台育英高でも監督と選手の間柄。2年時に高校時代の同級生である中大・吉居大和(4年)が1区で区間新を記録したことをテレビで目の当たりにした悔しさから退学を考えた。しかし、大東大就任前の真名子監督と電話で1時間以上話し込み、何とか思いとどまった。

 心新たに再出発した3年以降は成長を見せ、昨年7月には1万メートルで自身初の28分台を記録。期待を受けて山上りを託された今回も堂々たる走りを見せ、真名子監督は「泣きそうになった。親のような気持ちで見てしまうので、グッと来ました」と目を細めた。3日の復路でシード権を取れば、大東大にとって9年ぶりの快挙。菊地は「現状維持ではなく上を向いて頑張ってほしい」と恩師と喜び合う瞬間を思い描きながら仲間に思いを託していた。(松下 大樹)

 ◆山の大東 大東大は4度の総合優勝(1975、76、90、91年)時に5、6区で好成績を上げていたことから異名がつけられた。山上りに強いイメージだが、意外にも5区で区間賞を獲得しているのは大久保初男(74~77年)、奈良修(90、92年)の2人だけ。6区は5人で7回区間賞を手にした。

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 法大は心を一つに臨んだ。昨夏に主力で期待された高橋彰太さん(享年19)が病気で急逝。箱根路はチーム全員が左腰などに喪章を身につけ、仲間の思いを背負って出走した。2区はエースの松永伶(4年)は1時間7分33秒で順位を1つ上げて13位でタスキをつなぎ、流れをつくった。元箱根ランナーの真二良さんを祖父に持つ4区の小泉樹(3年)も激走。往路9位に、松永は「何とか粘ってタスキをつなげた」と汗を拭った。3年連続シード権はもとより前回大会の7位を抜く総合5位が目標。「(高橋さんは)エース級になるといわれた選手。坪田(智夫)監督にも言われたが、仲間の思いが粘りにつながった」と松永。3日の復路もチーム一丸で上位をうかがう。 

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 前回2位で優勝候補の一角と目されていた中大は、5時間30分35秒で13位だった。前回1区4位の溜池一太(2年)が同区19位と出遅れると、2区吉居大和(4年)が区間15位、3区中野翔太(4年)が区間20位と2本柱が機能せず。4区で主将の湯浅仁(4年)が区間3位で13位まで何とか引き上げたが、苦しい結果となった。

 28年ぶりの総合優勝を目指した中大に待っていたのは“見えない敵”との闘いだった。優勝した青学大から12分22秒差の13位という結果に藤原正和監督(42)は「最終合宿が終わってから風邪が増えてしまった。一時期は棄権も考えないといけない状況だった」。登録メンバーの16人中14人が体調不良だったと明かした。往路の走者では4区区間3位の湯浅以外は不安を抱えての出走だったという。

 1区から暗雲が垂れ込めた。前回1区4位の溜池が今年も1区を任された。スタートラインから約50メートルで左折する「第1コーナー」を2年連続でトップで通過。だが10キロ地点では先頭集団から離され、1時間2分51秒の区間19位といきなりブレーキ。レース後は声を震わせ「区間賞でいい流れをつくるのが自分の仕事だったけど、それができず悔しい」と涙ながらに話した。

 負の連鎖は続いた。2区でもエース・吉居大が立て直せず1時間8分4秒で区間15位。「終わった後に耳というか、頭が急に痛くなった」とゴール直後には座り込む場面も。3区の中野は区間20位に沈み、先頭とは更に差が開いた。

 優勝候補から一転、シード争いの渦中に入った。「やるだけやってきたんだから、信じたい思いもあった。もう明日(3日)は何とかつなげるしかないかな」と指揮官。復路では吉居大の弟・駿恭(しゅんすけ、2年)を当日変更で起用すると明言した。「駿恭は元気です。一番走れると思う。区間新くらい狙うんじゃないですかね」と期待を寄せている。

 10位の順大とは18秒差。目標としていた総合優勝は厳しくなったが、藤原監督は「最低限シードを取らないと。あとは大手町に無事に帰ってきたい」と復路の目標を語った。史上最多97回の出場を誇る伝統校。次に夢をつなげるためにも、シード権は最低条件だ。(富張 萌黄)

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 立大は苦しい戦いを強いられた。前回は大会史上最長ブランクとなる55年ぶりの復活出場で18位。1962年以来、62年ぶりのシード権を狙った今回は、1区の林虎大朗(3年)が区間18位と出遅れた。4区の中山凜斗(4年)が1時間2分45秒で区間10位の激走を見せ、1つ順位を上げたが、往路を終えて17位。「雨で体も固まった。悔しいところはある」と肩を落とした。

 昨年10月の予選会直前に、不適切な行動が発覚した上野裕一郎前監督(38)が解任された。その後は学生主体で強化し「互いにメッセージ送り合い、気持ちを高め合って全員で盛り上げてきた」と中山は明かした。3日の復路に向けて「シード権を諦めずに戦いたい」と挽回を期した。

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 往路を終えた時点で、7位の創価大から19位の日大までが3分43秒差。ひとつのミスで大きく順位が変わる可能性が高い。加えて、復路は7位の創価大が青学大から9分55秒差で芦ノ湖をスタート。大会規定により、残る16校がその5秒後に追いかけることになる。1994年の70回大会以来30年ぶりで歴代最多に並ぶ記録となる一斉スタートに創価大がのみ込まれれば、激しさを増す。

 復路の主力を温存できているのは13位の中大。シードまでは18秒差で、前回4区5位の吉居駿恭(2年)、5区3位の阿部陽樹(3年)を残す。16位の東海大も現在7区に配置されているエース石原翔太郎(4年)がゲームチェンジャーとなれれば、巻き返しは見えてくる。

 7位の創価大、9位の法大も1万メートル28分台の選手を残しているが、10位の順大は三浦龍司(4年)、今季好調の浅井皓貴(3年)が出走済み。最後まで気が抜けない戦いとなる。

(以上 報知)


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2年ぶり6度目の往路優勝を飾った青山学院大(青学大)の原晋監督(56)は目を細めた。

「今日は学生たちがほんとに…。こんなこと想定してなかった。素晴らしい」
15年以降で6度の総合優勝へ導いた名将は、教え子たちの躍動に笑顔が絶えなかった。

指揮官は今季の駅伝シーズンで「先頭に立ってレースをしたい」と繰り返してきた。前回の箱根駅伝4区から首位を継続する駒大に少しでもプレッシャーを与えることをもくろんできた。

昨年10月の出雲、同11月の全日本では実現しなかったが、この日は2区黒田朝日(2年)が7人抜きの力走を見せると「区間賞が見えてるよ!」と鼓舞。言葉通りに区間賞を獲得すると、3区で太田がついに逆転に成功した。

駒大・藤田監督は「3区の太田くんの走りが想定以上だった。あそこでチームとして精神的な部分で動揺した」と吐露。“原マジック”で王者の牙城を崩した。

青学大での監督歴は20年目を迎えるが、その指導スタイルは自主性を尊重するもの。傾聴や協調性を重視する「サーバント型リーダー」の育成を理念とし、厳しく管理はせず、選手に自発を促すことを心がける。

優勝会見では「厳しいトレーニングはしていない。私もグラウンドで叫んでいるわけではない」と明かすと、横に座っていた出走者5人が笑顔でうなずく一幕もあった。

昨年11月に駒大の主力3人が日本長距離界でも屈指の好タイムとなる1万メートル27分台をマークした時には「我々は箱根にピーキングできるように逆算している」と泰然としていた。

過去5度の往路優勝を収め、その全てで総合優勝を達成。「伝統的に復路は強いですから」と自信を見せた一方で、駒大とのハイレベルな頂上決戦を歓迎する。

「スポーツの競技レベルが上がってきている。非常にいい傾向。日本長距離界も捨てたもんじゃない」

目の前の勝負だけでなく、その先も見据えながら、節目の100回大会を戦い抜く。


青山学院大(青学大)が2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。

往路新記録となる5時間18分13秒をマーク。史上初の2季連続3冠へ向け、1区から首位に立っていた駒大を3区で逆転し、そのまま2分38秒差をつけた。

2区から順に黒田朝日(2年)、太田蒼生(3年)、佐藤一世(4年)の“駅伝男”たちが3区間連続で区間賞を獲得。節目の就任20年目を迎えた原晋監督(56)の「負けてたまるか大作戦」のもと、2年ぶり7度目の総合Vを目指し、今日3日に復路へ臨む。
 ◇   ◇   ◇
駅伝男たちの血が騒いだ。

首位の駒大と22秒差でタスキを受けた3区太田は、佐藤圭汰(2年)との差をぐんぐん詰めた。

12キロ手前で追いつくと、抜きつ抜かれつのデッドヒート。6キロ以上の並走を続け、王者の横顔に目をやった。

「彼もキツイんだ」

負ける気はしなかった。前へ抜け出し、サングラスを外した。

「自分の走りをして、タスキをつなぐだけ」

日本人初の1時間切りとなる59分47秒で、4秒差をつけて4区へ。今季の大学3大駅伝で、駒大以外のチームが初めて先頭でタスキを渡した瞬間だった。

黒田、太田、佐藤の3人は、原監督から「駅伝男」と呼ばれている。指揮官の駅伝の持論は「速さではなく強さ」。気候や相手との距離などを考慮した上で、力を最大限に発揮するランナーが駅伝男だと説く。

3人衆はその力を遺憾なく示した。9位で受けた黒田が7人抜きで2位へ押し上げると、太田で逆転。さらに佐藤は後続との差を1分26秒へ広げてみせた。

佐藤は往路唯一の4年生。今季は駒大に主役の座を奪われてきた。自分たちを「谷間の世代」と言い表したこともあった。ただ、「走りたくても走れない選手がいる。僕らが頑張らないと」と覚悟は固まっていた。

佐藤は駅伝男の条件を「継続した練習」に加え、もう1つあると説く。「気持ちが大きいかな」。自身は12月の第1週にインフルエンザ、第2週に虫垂炎にり患。不安もあったが、出走メンバーに抜てきされた。

そんな中、12月下旬の「箱根0区」と呼ばれる学内競技会で、メンバー入りを逃した同期が懸命に1秒を削り出していた。そこには志貴勇斗主将の姿もあった。

「これで引退する4年生もいる。同期の分まで頑張らなきゃいけないなとすごい背中を押されました」

青学大は昨季から2年連続で主将が16人のチームエントリー入りを逃した。

それでも強さを発揮できるのは、部員の思いを走りで体現する気概があるから。2年生の黒田も「4年生の先輩方を見て、自分たちがこれ以上に頑張らないといけないという思わされた」とうなずく。

復路では2分38秒の貯金を守り、2年ぶりの総合Vへと突っ走る。佐藤は自信の表情を浮かべた。
「走るべき選手がスタートラインに立てている」

仲間を代表して走る男たちが、ゴール地点の大手町へと思いをつないでいく。【藤塚大輔】


青山学院大(青学大)が2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。

4区の佐藤一世(4年)は1時間1分10秒で区間賞を獲得。往路唯一の4年生出走者として、往路Vに貢献した。

原晋監督から“駅伝男”と称される佐藤の一問一答は以下の通り。
     ◇     ◇     ◇
-去年の4年生の姿を見て、この1年にかけてきたところはありましたか
「本当に4年生には競技でもプライベートでもすごいお世話になっていて。本当にその先輩たちと優勝したかったんですけど、それができなくて。でもそのリベンジっていうのもあってそれが1年間モチベーションになっていました」
-昨年の4年生は1月まで残ったと聞いています

「はい。すぐに退寮するのではなく、1月の間で後輩にいろいろと継承していくことがありました」

-どんなことが記憶に残っていますか
「はい。そうですね。キャプテンの宮坂さんであったり、近藤幸太郎さんだったりとかです。本当にプライベートでもお世話になりました」

-インフルエンザや虫垂炎の時期はいつですか
「虫垂炎は12月2週目、インフルエンザは1週目。インフルエンザが先。虫垂炎は点滴を打って。そこまで重傷ではなく通院でした」

-インフルエンザが治ってからはどのように調整しましたか
「最初は軽いジョグから、ポイント練習に入っていきました」

-原監督からはどのような声かけがありましたか
「自分の方がすごく不安になっちゃってて。でも監督は大丈夫だってくれて最後信じて、起用してくれました」

-その中でこうして結果を出せたことの意味や価値は
「1つはこの1年間、練習を11月まで積んできていたので、継続的な分の貯金があったっていうのと。もう1つは本当に気持ちの部分、メンタル面で本当に周りが本当に支えてくださったり励ましてくださって。もう本当に頑張ろうっていうような気持ちになれた。そこが大きいのかなと思います」

-今大会は志貫勇斗選手もエントリーから外れていました。往路で唯一の出走となった4年生としても、同期のためにという思いはありましたか
「特に同期にはやっぱり励まされて。ここで引退する4年生もいます。箱根を走れなかった同期の分まで頑張らなきゃいけないなと、すごく背中を押されました」

-タスキをもらった当初は追いつかれないようにする作戦でしたか
「はい、突っ込んで。最初は突っ込んで、後半耐えるっていうようなプランでした」

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今大会の大本命で史上初の2季連続3冠を狙う駒沢大(駒大)は、まさかの往路2位となった。

1区の篠原倖太朗(3年)は区間歴代2位となるタイムでトップに立つ。盤石のスタートだったが、22秒リードの首位でタスキを受けた、“3本柱”の一角3区の佐藤圭汰(2年)が首位から転落。昨年箱根から出雲、全日本と継続してきた連続首位記録も「23区間」で途絶えると動揺を隠せず、勢いを失った。

史上初の快挙へ向けて、首位青学大と2分38秒差の復路で巻き返す。
  ◇  ◇  ◇
大本命の駒大にまさかの展開が待っていた。1区で篠原が歴代2位の記録で区間賞。誰もが史上初の偉業を狙う駒大のさらなる独走を予想していた。だが、「区間賞を取って差を広げる」と決意していた2区の鈴木主将が、35秒あった青学大との差を22秒にまで詰められ号泣。不穏な空気が漂った。

3区はU-20(20歳未満)の1万メートルの日本記録27分28秒50を持つ佐藤。箱根デビューとなった2年生は青学大の太田とデッドヒートを展開。抜きつ抜かれつが続いたが、終盤にアクシデントが起こる。両太ももが固まるような感覚に襲われ「つっているような状態が続いた。スパートをかけたかったけれど、動けなかった」。青学大の太田に4秒の差をつけられての区間2位と、連続首位継続記録もストップ。「すごくびっくりした。焦ってしまった」と動揺は隠せない。迫り来る緑色のユニホームの重圧に押しつぶされた。

当日変更で起用された4区の山川も耐えきれなかった。昨年5区4位の実績を持ち、山登りの最有力候補でもあったが、徐々にリードを広げられ、区間賞を獲得した青学大・佐藤と1分22秒差の区間6位。藤田監督は「(山川が)全日本が終わってから股関節の故障で1カ月くらい練習ができなかった」と明かし、「山で使うという選択肢は厳しかった」と唇をかんだ。青学大とともに往路新記録となったが、4区の失速、青学大の「私たちの想定を超える走り」に屈した。

もちろん、このまま終わるつもりはない。コーチ時代から指導してきた4年生には特別な思いもある。「良い時も悪い時も、3年間はコーチ、1年間は監督として見てきた」。酸いも甘いも、ともに経験してきた最上級生たちへ全幅の信頼を寄せる。「今年は4年生のチーム。良い思いをして卒業してほしい」。
復路は首位青学大を2分38秒差で追う。「絶対にあきらめない」。2季連続3冠の偉業を最後の最後まで追い続ける。【村山玄】

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今年も「山の妖精」が舞い上がった。5区(20・8キロ=小田原~箱根町芦ノ湖畔)で城西大の山本唯翔(4年=新潟・開志国際)が2年連続の区間新記録をマークした。

1時間9分14秒で走り、昨年自身が塗り替えた1時間10分4秒を50秒も更新した。目指した「山の神」こと今井正人(順大)の、距離変更前の05年の大記録には2秒及ばなかったものの「神にはなれなくても記憶に残る選手」になった。チームも往路史上最高の3位に躍進した。
   ◇   ◇   ◇
妖精の羽が見えるようだった。雨を感じさせない、接地時間の長い山本の足運び。コース全体の5分の4を占める坂道を、舞うように走破した。大平台のヘアピンカーブも意に介さず、鬼門も破った。昨年は小涌園を過ぎた後の15キロ手前でけいれんを起こしたが、今年はペースを上げ「一番きついところで、しっかり押せた」。昨年の自己記録を50秒上回る区間新だった。

たすきを3位で受け「こんなにいい位置で」と燃えた。2位の駒大とは2分9秒差あったが、わずか39秒差まで接近。「最後は2区を走りたい」と櫛部静二監督に直訴した時期もあったが、副将としても、最も貢献できる5区の継続を10月に決断。卒業後はスバルに入社して28年ロサンゼルス五輪のマラソン代表を目指すが「トラックと山は違う」と箱根直前の記録会も自粛。1人で山登りを重ね2年連続の区間新を遂げた。

神を目指した。コース変更前の05年、今より0・1キロ長い20・9キロで順大・今井が出した1時間9分12秒。「今井さんの記録だけ見ていた」中で、わずか2秒届かずも「神にはなれなくても、近づけて、記憶に残る選手になれた」。神の領域に最も迫った男になった。

新潟・十日町市の山間部で育ち、冬場はクロスカントリーで健脚を鍛えた。穏やかな物腰で「妖精」と監督から命名も、埼玉・坂戸の大学に近い急勾配の山で歯を食いしばった姿は似つかわしくない。最高874メートルの箱根と比べても「もっと傾斜がきつい坂を走ってきたので自信があった」。低酸素トレも活用して妖精の軽やかさを身につけた。

前日には、石川県で最大震度7の地震が発生。隣接する故郷新潟も揺れに見舞われたが「驚いたけど心配して終わりではなく、新潟県民の方々に勇気や希望を与えられたら」と神妙に快走。2年時は予選会敗退も経験した4年間の最後、チームを往路史上最高の3位に押し上げた。【木下淳】

(以上 日刊)


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男子マラソンで1991年世界選手権東京大会優勝のサンケイスポーツ評論家、谷口浩美氏(63)=ヨネックスランニングアドバイザリースタッフ=が第100回大会を迎えた箱根駅伝への思いを語った。日体大2年時(1981年大会)から3年連続で箱根路を走り、いずれも山下りの6区で区間賞を獲得。トレーニング法、コースの位置取り、寒さ対策など、試行錯誤した当時の懐かしい思い出を披露した。

箱根駅伝は1987年からテレビで生中継されるようになって、より多くの人に応援される大会になった。100年企業はすごいといわれるもの。戦争があった中でも、ここまで継続してこられたのは素晴らしいことだ。

僕は教員になりたいという思いで日体大に進学し、大学2年で箱根のメンバーに抜擢(ばってき)された。高校時代から、駅伝はブレーキだけはしてはいけないと教育を受けていたので、資料作りをして完璧に走れる準備をした。1キロを21本走るイメージで、ここは肉体を走らせる、ここは頭を休ませるというように頭にインプットしてから、スタートラインに立った。

芦ノ湖から小田原中継所まで走る6区(当時20・5キロ)のポイントは最初の5キロ。山下りといわれる6区だが、約5キロは上り。ここでいかに突っ込んで稼ぐかを大事にしていた。コースの位置取り、気象条件を読むことも欠かさなかった。カーブが多いので、アウト、イン、アウト、インで走って、スピードを落とさないように意識。これは車の雑誌を読んでいて気が付いたことだ。陸上以外のところからも何かヒントがないかを探していた。

寒さに弱いので、対策を欠かさなかった。ウオーミングアップ用にステテコを履いたこともあったけど、3年の時は女性のストッキングを見て「温かそう」と思って履いてアップした。ところが、風通しが良くて逆に寒くて「あれ、間違えた」と思うこともあったね。それでも、いろいろ試すことの大切さを学んだ。

箱根駅伝は人生の通過点。これで走ることが最後の人も、世界を夢見る人も、社会に出る前の準備の場であることに違いはない。今は応援される側だけど、この幸せをかみしめて、世の中に出たら自分から発信できる人になってもらいたい。

■谷口浩美(たにぐち・ひろみ) 1960(昭和35)年4月5日生まれ、63歳。宮崎・南那珂郡南郷町出身。宮崎・小林高で全国高校駅伝連覇に貢献。日体大卒業後、旭化成に進み、マラソンで91年世界選手権(東京)優勝。92年バルセロナ(8位)、96年アトランタ五輪(19位)出場。東京電力長距離・駅伝チーム監督、東農大陸上部長距離助監督を歴任し、現在はヨネックスランニングアドバイザリースタッフ。171センチ。

(サンスポ)

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