2019・GW その2
本堂前にカメラを構えて撮影中???外国の方のよう。
振り返ればこちらにも。「五智国分寺」地図で探り当てただけで規模も由来も未調査、そこへよくも外国からの旅行者がやってくるものだ?
柏崎の「木村茶道美術館」を出たのは昼近くなっていた。開館直後に入ったはずなのに、担当の方の熱心な解説で時間を忘れてしまった。お茶室を退出して展示室を閲覧して表に出た。予定では柏崎市内に戻り「回転寿司」に立ち寄ることにしていたが、昼時では待ち時間が長くなるのは予測出来る。おまけに市内方向は渋滞が発生しているはず!
国道8号線を直江津に向けて走り始めた。すぐにフィッシャーマンズワーフ、いわば海のアメ横、満杯状態の駐車場を横目に中は大混雑とパス!しかし、海岸沿いを走る8号線にはレストラン・食堂の類いは殆ど無いのは、何度か走っているので判っている。やっと寂れたラーメン店を見つけ入る。予想通りお腹を満たすだけの味。宿泊は「直江津駅」近く、とりあえずはカーナビをセット??何処へ、地図で見つけた「国分寺」、今回の旅はスポットのみは検索しておいたが、走行経路もスポットで何をするかも“無目的”行き当たりばったりの旅としている!
国分寺の駐車場には10台以上も止っていたが並んで止め、入り口へ向かう。
参道には八重桜が咲き残っていた。予想通り人影はまばら。
山門は仁王門、、鳥避けに網が張ってある所が多いが、それもなく鮮明な画像が得られた。
山門を入って左手に「神輿殿」、右手に「三重塔」はんてんを着た人が数人、屋台もあり、祭りでもあったのであろうか。三重塔の蔭から「鶯」の鳴き声が響いている。今までに聞いたことのない澄んだ“巧妙”と言ってよいほどの妙なる響き、いつまでも啼き続けていた。
本堂を正面から、何やら「像」が5体、それぞれに解説が書かれていたが、代表してこちら。
本堂を横から眺める。かなり大きい。
脇には「親鸞上人像」があった。
「国分寺」に照準を合わせたのは、寺域が広く立派な建築物が期待出来ることが多いから・・・にすぎない。すなわち訪れて“間違いが無い”のだ!
もっとも「国分寺」は跡を含めて全国にある。山梨の「国分寺跡」には近年行っている。「国分寺」の由来を(Wikipedia)で調べてみた。『741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。』
又、「街道を訪ねて」というサイトによれば『大和国分寺は一般に総国分寺の東大寺とされる。奈良・平安時代に諸国に置いた官寺・国分寺は奈良時代に国家によってつくられ(全国68カ国) 、律令制の衰退とともに滅び去ったものとされている。しかしそれは誤りで、今国分寺という名の寺が48ある。もとの国分寺の跡に建っている寺、或は国分寺のお堂、薬師堂ということで現存するものが5ある。両者あわせて53が何らかの形で残っている。』
ということで、今後も無目的で出かけた時は「国分寺」を探すことにしよう。
連休明け、予想外に仕事が立て込んで、blog更新がはかどらない。しばらくお出かけの予定もないので、ボチボチ纏めてゆくこととした。
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