海 その8:九州の海Ⅱ
宮崎から国鉄で串間へ、都井岬を見物してバスで志布志まで、その先、国鉄で鹿屋まで行き、バスで大隅半島の先端佐多岬まで行きました。途中、伊座敷あたりで乗り換えたか、直行したかは記憶にありません。何しろ40年以上前の昭和39年(1964)8月でしたから。佐多岬の海岸線です。
岬から、対岸の薩摩半島を望むと、遙かに開聞岳が聳えているのが見えます。
経路を確認するため地図を見ましたが、鹿屋にはすでに鉄道がありません。日南線は志布志で途切れて、大隅線はすでに廃線になっています。国分まで鹿屋を経由して、100キロ近い距離があったはずです。
全国の国鉄で、採算が合わず廃線になった路線は数多くあります。多くは、北海道や九州のはずれの僻地ですが、都会の近くにも各地にありました。民営化後はさらに加速されています。しかし、廃線の一方で、その時期でも新設されていた路線もあったのですが、無理して開業しても数年で廃止されている線路もあります。
これらのことを見ても、長期的な視野の元、住民の利便性を第一としての計画性はなかったと断言できます。“おらが国さに鉄道を”の政治的思惑の無秩序な敷設が、結局破綻を招いたのでしょう。しかし、民営化前の国鉄には、国民の足を確保する任務があったはずです。赤字路線と黒字路線を相殺し、さらに税金を投入してその任務を遂行する、それが国有鉄道のはずが、長期計画のないまま政治に利用され、末路を迎えました。民営化によって本体は財政を再建しても、切り捨てられ第3セクターの名の元運営されている路線は、大部分が赤字に苦しみ、いずれ消滅の道を辿るでしょう。
民営化後も、膨大な新幹線の計画があります。本当に必要かの検討はどんな機関が行っているかは知識の範疇の外ですが、「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」生活優先の社会でありたいものです。鉄道の旅は大好きでしたが、廃止されたり、本数が極端に減らされたり、旅の足とはならなくなって久しいのです。
自然は、何時までもそのままの姿で残したいものです。日本最古の一つである佐多岬灯台ですが、温暖化が進めば、海の藻屑ともなりかねません。こちらも心配な話です。