漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

名前ガチャ

2021年12月19日 | 

今年の流行語大賞に、
「親ガチャ」と云うのがあったが、

気に入らない親なら
拒否権を発動できそうな、と思わせるような小説が

芥川賞作家・李琴峰さんの新作「生を祝う」で、以下はその宣伝文句。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「あなたは、この世界に生まれてきたいですか」

 子どもを産むためには、
 その子からの同意が必要となる世界を舞台にした衝撃作。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高度に医療技術の進歩した未来の日本では、
この世に生まれるかどうかの判断を

「胎児の側が」すると云う、
「合意出産制度」が施行されており、

親がその意志を無視して生むと
「出生強制罪」に問われる、と云うのが、この小説の中での設定。

この宣伝文を読んで
私がまず思ったのは、小説のテーマとはいささか方向はずれ、

胎児に
「自分が生まれるかどうか」の判断ができるぐらいなら、

「自分の名前も自分で決められるよな」と云う事。

考えてみれば、

名前と云うモノには、
自分の名前でありながら自己の意志は全く反映されていない。

今年話題になった、
「夫婦別姓」をめぐる意見対立は、

結婚すれば
「夫婦が同姓」になると云う法律は、

生まれた時の姓を生涯大切にしたいと思う人の
「意志と権利を無視している」と異議を唱えるものだったと思うのだが、

私のような、
名前など記号であって区別さえ付けば何でもいいと思ってるような

脳天気から見れば、
こんな事に口角泡を飛ばして論ずるほどの意味があるとは思えないのです。

そもそも
「生まれた時の自分の姓名」なんて自分で決められない、

云わば
「名前ガチャ」で当たったようモノで、

そんなガチャポンで当たったようなものを、
「どうしても守らねばならぬモノ」と後生大切にする説に、

私としては余り共感できないのでありまするよ。

 

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。