森本忠夫『マクロ経営学から見た太平洋戦争』
著者の森本忠夫氏は、1926年生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍。戦後は東レ取締役、東レ経営研究所所長などを務められた方。本書は、1985年に文藝春秋社から『魔性の歴史』というタイトル(これは、荒木二郎宛の手紙で米内光政が使った言葉なのだそうです)で出版され、これまでにも文春文庫、光人社文庫などから再刊されてきたものです。
私が、手に入れたのは1985年発売のものです。ここで紹介するのはPHP研究所からの復刻版です。
本書で森本氏は、日本が、いかに無計画、場当たり的で、現代的な総力戦をたたかう体制もなければ計画もないまま、対米戦争につっこんいったかということを詳しく明らかにされています。年末にTBSが描いたたけしが東条英機をやったドラマにも描かれたとおりである。
たとえば、日本はアメリカに資源を禁輸されたので、やむをえず東南アジアの資源を確保するために戦争にすすんだといわれることがありますが、戦争によって東南アジアを獲得し、そこから資源を日本に輸送しようと思ったら、輸送用船舶も必要だし、それを護衛する海上護衛艦も必要になるのに、そうした計画がまったく検討されていなかったうえに、戦況が悪化すると、民間の船舶建造を中止して軍艦などの建造に振り向けざるをえなくなったし、護衛艦船を戦闘に動員し、結局、航路帯を放棄せざるをえなくなったこと、その結果、結局、南方の資源を確保したものの、あまり日本に輸送できなかったことを明らかにしています。つまり、「資源確保のため」といいながら、資源活用に必要な準備はなかった、ということです。
まったく兵站線を考えていなかったということです。今シーレーン防衛などと行っている人たちがいますが、原子力潜水艦の餌食になるのが目に見えています。
また、ソ連を仮想的として「北進南守」を基本戦略とした陸軍と、アメリカを仮想的として「北守南進」をとなえる海軍とが対立し、結局、国力不相応に「二兎を追う」愚を犯していたことや、潜在的な戦争遂行能力(ウォー・パワーポテンシャル)が乏しいため、あっちの戦闘に兵力を投入しようと思ったら、こっちの兵力を削って回すしかなく、その結果、日本は、一発大決戦で勝負を決しようとするか、戦力を小出しに逐次投入するという兵法ではもっとも愚作とされている方法をとらざるをえなかったことなども詳しく明らかにされています。
その典型が満州でした。満州から南方戦線に送られた部隊のほとんど
は壊滅状態で、最後は混成部隊の生き残りとして潜水艦で脱出し、日本に帰ってきたりしています。また敗戦時になんと50万人からの陸軍が、中国大陸に釘付けになっていたことでも明らかです。
森本氏は、「はじめに」で、20年前の本を何故再刊するのか、つぎのように書かれています。
年がたつにつれ、悔悟の念は薄れ、侵略の歴史から受け継いだ自らのプロトタイプを消去するために、日本人一流のやり方で歴史を綴る文言をなし崩しに改竄しようとしたのである。それが今もしばしば議論の的になる「教科書問題」や「歴史認識問題」である。
「魔性の歴史」は、他民族に対する侵略の歴史ではあったが、他方、それがとりわけ「魔性」とされる所以は、あの暦命の日々の中で、日本の戦争指導者が演じたどうしようもない無知、愚行、狂気、残忍、錯誤などが自らの運命の選択をめぐってさえ、平然と行なわれたからである。
筆者が訴えたいのは、同時代人である戦争経験者たちが日々去り逝く中、彼らに代わって日本の近現代史にあらためて科学的照射を当て、日本の未来を背負う若い世代にわれわれの思念を再度伝えたいということである。
著者が言われるような日本の戦争指導者の愚行ぶりは、これまでもいろんな形で繰り返し指摘されてきたことだけれども、このような形でまとまって読むと、あらためてそのデタラメさが浮き彫りになります。田母神にもお前これを読めといいたいですね。
戦争の愚かさを改めて世に問うものです。PHP研究所から新書版で復刻されたものです。
PHP研究所自体はあまり好きではないのですが、ここに紹介しておきます
著者の森本忠夫氏は、1926年生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍。戦後は東レ取締役、東レ経営研究所所長などを務められた方。本書は、1985年に文藝春秋社から『魔性の歴史』というタイトル(これは、荒木二郎宛の手紙で米内光政が使った言葉なのだそうです)で出版され、これまでにも文春文庫、光人社文庫などから再刊されてきたものです。
私が、手に入れたのは1985年発売のものです。ここで紹介するのはPHP研究所からの復刻版です。
本書で森本氏は、日本が、いかに無計画、場当たり的で、現代的な総力戦をたたかう体制もなければ計画もないまま、対米戦争につっこんいったかということを詳しく明らかにされています。年末にTBSが描いたたけしが東条英機をやったドラマにも描かれたとおりである。
たとえば、日本はアメリカに資源を禁輸されたので、やむをえず東南アジアの資源を確保するために戦争にすすんだといわれることがありますが、戦争によって東南アジアを獲得し、そこから資源を日本に輸送しようと思ったら、輸送用船舶も必要だし、それを護衛する海上護衛艦も必要になるのに、そうした計画がまったく検討されていなかったうえに、戦況が悪化すると、民間の船舶建造を中止して軍艦などの建造に振り向けざるをえなくなったし、護衛艦船を戦闘に動員し、結局、航路帯を放棄せざるをえなくなったこと、その結果、結局、南方の資源を確保したものの、あまり日本に輸送できなかったことを明らかにしています。つまり、「資源確保のため」といいながら、資源活用に必要な準備はなかった、ということです。
まったく兵站線を考えていなかったということです。今シーレーン防衛などと行っている人たちがいますが、原子力潜水艦の餌食になるのが目に見えています。
また、ソ連を仮想的として「北進南守」を基本戦略とした陸軍と、アメリカを仮想的として「北守南進」をとなえる海軍とが対立し、結局、国力不相応に「二兎を追う」愚を犯していたことや、潜在的な戦争遂行能力(ウォー・パワーポテンシャル)が乏しいため、あっちの戦闘に兵力を投入しようと思ったら、こっちの兵力を削って回すしかなく、その結果、日本は、一発大決戦で勝負を決しようとするか、戦力を小出しに逐次投入するという兵法ではもっとも愚作とされている方法をとらざるをえなかったことなども詳しく明らかにされています。
その典型が満州でした。満州から南方戦線に送られた部隊のほとんど
は壊滅状態で、最後は混成部隊の生き残りとして潜水艦で脱出し、日本に帰ってきたりしています。また敗戦時になんと50万人からの陸軍が、中国大陸に釘付けになっていたことでも明らかです。
森本氏は、「はじめに」で、20年前の本を何故再刊するのか、つぎのように書かれています。
年がたつにつれ、悔悟の念は薄れ、侵略の歴史から受け継いだ自らのプロトタイプを消去するために、日本人一流のやり方で歴史を綴る文言をなし崩しに改竄しようとしたのである。それが今もしばしば議論の的になる「教科書問題」や「歴史認識問題」である。
「魔性の歴史」は、他民族に対する侵略の歴史ではあったが、他方、それがとりわけ「魔性」とされる所以は、あの暦命の日々の中で、日本の戦争指導者が演じたどうしようもない無知、愚行、狂気、残忍、錯誤などが自らの運命の選択をめぐってさえ、平然と行なわれたからである。
筆者が訴えたいのは、同時代人である戦争経験者たちが日々去り逝く中、彼らに代わって日本の近現代史にあらためて科学的照射を当て、日本の未来を背負う若い世代にわれわれの思念を再度伝えたいということである。
著者が言われるような日本の戦争指導者の愚行ぶりは、これまでもいろんな形で繰り返し指摘されてきたことだけれども、このような形でまとまって読むと、あらためてそのデタラメさが浮き彫りになります。田母神にもお前これを読めといいたいですね。
戦争の愚かさを改めて世に問うものです。PHP研究所から新書版で復刻されたものです。
PHP研究所自体はあまり好きではないのですが、ここに紹介しておきます