My Feeling Diary

気まぐれ主婦が気侭に綴る、日常的「五感」日記。。時には「第六感」も・・・!?

電子メディアと私達

2005-10-09 00:47:49 | ☆Society,Environment
今日、子供達宛てに童話館ぶっくくらぶより、新たに2冊絵本が届きました。

ぶっくくらぶ通信に連載されている「私たちの街で起きたこと」には、電子メディアと私達との関連性について、興味深い事が書かれていました。

今日は、<連載18>より、童話館グループ代表の川端さんの記事を御紹介させて頂きます。


現代の群集はテレビの前に

~「子どもとテレビ」に直接関わることではないのですが、テレビについて考えを進めていくとすれば、必ず向き合わざるをえない出来事が、私たちの身近で劇的におこりました。このことは、「子どもとテレビの問題」のひとつの到達地点ともいえますので、この機会に考えてみようと思うのです。

出来事とは、今回の総選挙のことです。誤解のないように申し上げておきますが、どの政党がよくて、どの政党がよくないということではありません。また、政治そのものはとても大事なことですが、この紙面でそれをとりあげようということでもありません。ただ、今回の選挙を、「人々とテレビ」という視点で見ようとするものです。

ご存知のように、選挙の結果は与党第一党が衆議院の過半数をはるかに超え、与党合わせると三分の二を越えました。この議席は、参議院さえ関係なく、どんな法律でも通すことのできる数です。憲法の改定の発議もできます。でも、いまどき、世界の民主主義国と言われる国の選挙で、こんな数字がでることはありません。同じ時期に総選挙のあったドイツでは、議席が拮抗(きっこう)して政権の組み立てにてまどっているようです。効率は悪くても、これが、多様な考えの存在が前提の民主主義国家の姿でしょう。

今回の選挙で、首相は、郵政民営化に賛成か反対かを国民に問う選挙と、くり返し発言していました。多くの法案のひとつである郵政民営化法案を、一千億円とも言われる税金を使って、まるで国民投票にかけるようなことが妥当かどうかは、ここでは置いておきましょう。

ところで、郵政民営化法案なるものを、それなりに理解している国民がどれほどいるのでしょう。私にしても、ほとんどわかりません。それとも、私たちの国の首相は、国民の理解力を高く買っているのでしょうか。あるいは、そうでないことを見越しての仕掛けなのでしょうか。私は性格が悪いかもしれませんが、後者のように思えます。それには根拠があります。

首相は、選挙の間じゅう、郵政民営化のことしか言わなかったようですが、それも、国民が理解できるように言葉をつくしたのではありません。テレビのニュースをとおして、私がくり返し聞いたのは、「郵便局の仕事は公務員でなければできないのですか」「郵政民営化は改革の本丸です」「郵政民営化ができなくて、どうして他の改革ができますか」のフレーズでした。とりわけ「郵便局の仕事は公務員でなければ・・・」のくだりは、このところ生活への漠然とした不安を抱える人々の、一般に根強い公務員へのある種の感情をたくみについた、うまい説法だと感心したものです。(郵政公社は独立採算ですから、給料は税金からでていません。)

しかし、郵政民営化の深部のテーマは、公務員うんぬんでも田舎の郵便局がなくなるかどうかでもなく、総資産数百兆円の郵貯と簡保の資産がどう使われるか、その国民への影響は?というきわめて専門的な金融のことのはずです。そんなことを国民は理解して判断できるのでしょうか。そもそも、そんなことはできないし、そんなヒマもないというので、国会議員を選んでいるのですね。それはともかく、首相は、論理をもって考えるべきテーマを、論点をすりかえ、わかりやすいフレーズと、大衆心理操作によって、国民の目をくらましたのではないかと、私には見えました。


実はこの手法は、第二次世界大戦でナチス・ドイツをひきいたアドルフ・ヒトラーの手法に酷似していると指摘されています。よく知られているように、ヒトラーは、宣伝相のゲッペルスと組んで、大衆の心理を操作するのに天才的な才能を発揮しました。

ヒトラーは、著者『わが闘争』(角川文庫)でこう書いています。「大衆の理解力は小さいが、忘却力は大きい。彼等は熟慮よりも感情で、考え方や行動を決める。その感情も単純であり、愛か憎か、正か不正か、真か偽かのわかりやすさだ」「偉大な歴史的ななだれをおこした力は、永遠の昔から語られる言葉の魔法だけだった」また、言葉は短く(ワン・フレーズ)、断定とくり返しが大切、と言っています。当時の記録映画にありますが、ヒトラーは広場に集まった大衆群へ向けて、大音響のマイクを使い、身振り手振りの歯切れのよいパフォーマンス演説をしています。日本の首相とヒトラーを並べるのは不謹慎ですが、なんだか似ていたなと思われませんか。

ところで、私たちの国の首相にとっての大衆群はどこにいるのでしょう。選挙カーの前?いいえ、全国のお茶の間のテレビの前です。

テレビの特徴のひとつは、ニュースの放映時間は限られているので、おもしろいところ、わかりやすいところを短く切って放映することです。そのためには、たとえば郵政民営化についての長々とした説明よりも、「郵便局はなくしません」「郵政改革ができなければ、他のどんな改革もできません」というフレーズが有効になります。ここでも、改革の中身は何か、それでは今まで改革はしてこなかったのか(改革を旗印に四年半前にさっそうと登場したはずなのに)、などは問われません。こうして、テレビをとおしてくり返し呪文のように語られる言葉に、人々は酔わされていくのですね。

もちろん、テレビが選挙や政治に利用され続けていることは、今に始まったことでも、私たちの国に限ったことでもありません。でも、あまりのあっけなさに、同じ国民として情けなく思うのです。


テレビ、電子メディア世代の社会感覚

テレビの特徴は他にもあります。それは、ドラマチックで刺激的なことが好き、ということです。視聴率との関係もあります。ですから、例の“刺客”さわぎは格好の素材でした。これによって選挙はショー(劇場)と化し、まるで水戸黄門か忠巨蔵でも見るように、人々はテレビの画面に吸い寄せられました。「この選挙はテレビが勝ったのだ」(フランス・フィガロ紙)と揶揄されるゆえんです。

そして、この熱狂心に心身とも動かされた人達がいました。これまで選挙に行った事のない都市部の二十代の若者達です。今回の選挙では前回の投票率を八%ほど上回っています。出口調査によると、投票率を押し上げるのに一役買ったのがこの人達です。しかも、投票先は与党第一党が多かったのです。つまり、与党第一党の圧勝はこの人達が下支えしたといえます。(わずかの票差でも一人の当選が決まり、多くの死票がでる小選挙区制の問題もありますが。)

なぜこのような現象が?それは、フリーターやニートと呼ばれる若者達の増加に象徴されるように、彼らにとって、今の私たちの社会が息苦しく、不安とイライラがつきまとうという背景もあるのでしょうか。それは、なぜ与党に?という質問に「(首相の反対者切り捨てに)スカッとしたから」「かっこうよかったから」という答えが多くあったことからも推測されます。

でも、この一方で、この世代の人達の、人間としての力不足を嘆く声も聞かれます。思考力、想像力の不足、刹那的、自己中心主義・・・。視点を変えると、この世代は、一層、テレビとの関係が深くなり、テレビゲームの勃興期を経験し、携帯電話、パソコンの時代にいる人達です。まさに電子メディアの申し子といえます。彼らにこのような成育の環境が、今回のような短絡的な行動に結びついていないことを願います。もし、仮に、そういうことがあるとしたら、これからますます、このような世代が生みだされてくるということですね。私たちの社会は、民主主義が成熟する前に後退を始めていくのでしょうか。~

※川端さんの言葉により、事の本質が解り易く伝えられていると感じました。


(KIN:179 青い惑星の嵐/エネルギーを生み出す)

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