子連れ旅行記、子連れお出かけ情報に加えて、
新カテゴリー「世界で出会った子どもたち」を設けました!
パッカー時代にあちこち旅したなかから、
旅先で出会った “子ども” をテーマに (子連れ旅のブログだしね)、
旅の記憶を綴っていこうと思います。
中には、10ウン年前のけっこう古い旅の記録もあり、申し訳ないんですが…
でも、かの沢木耕太郎氏もバックパッカーのバイブル『深夜特急』をしたためたのは
帰国後(記憶が定かでないが)5年か10年経ってからだったと言うし、いいっしょ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が「世界で出会った子どもたち」のなかで、
まず最初に取り上げなければならないのは、「彼」をおいてほかにはいない。
それは、まだ私が大学生だったころ。(若っっ!)
私は一大決心をして大学を1年休学、生まれて初めての海外旅行、オーストラリアに
ワーキングホリデー(WH)ビザで出かけた。
西オーストラリア州のパースで1ヵ月英語学校に通ったあと、旅を開始。
初めての海外旅行、一人旅で、見るもの聞くものすること、すべてが新鮮!
パースからちんたらのんびり1ヵ月もかけて北上し、やっとブルームという町に着いた。
ちなみに、ブルームという町を簡単に紹介すると…
オーストラリアの北西部に位置する、人口1.5万人ほどの小さな町。
赤道に近く、1年中暑い熱帯性気候。
古くから真珠養殖業が盛んで、日本からも多くの真珠採りダイバーが移住した。
町には「日本人墓地」もあり、毎年「SHINJU MATSURI(真珠祭り)」が開かれる。
←真珠祭りで。アボリジニのペイントをした子どもたちのパレード
私は、小さいけれど、美しいインド洋に面したこの町がとても気に入り、
無性にここでしばらく働きながら、滞在したくなった。
せっかくのWHだし。一度くらいは海外で働くという体験もしておきたいし。
それで町のあらゆるホテルやレストランに「仕事はないか」とたずねて回った。
しかし、当時日本以上に超・就職氷河期、失業率もフタケタ、というオーストラリアで、
仕事を見つけるのはそうたやすいことではない。
ましてや仕事も少ない片田舎で、英語もロクに話せない外国人に仕事なんてあろうはずもなく…
と悟ってあきらめかけていたころ、なんと仕事が転がり込んできたのだ!
それは“nanny(ナニー)”という仕事。
「nannyって、なにー?」と親父ギャグでもなく、マジに聞き返しそうになったくらい、
私の英語力はなかったわけだが。
これは“乳母”とか“子守り”という意味で、要するに、ベビーシッターのことだった。
雇い主の母親は、私がジョブ・ハンティングで訪ねたホテルで受付をしていた女性で、
私が書き込んだ求職票を見て、個人的にコンタクトをとってくれた、というわけ。
人間、どんなかたちで苦労が報われるか、分からないものである。
あれよあれよと話は決まり、私は流されるままに、1ヵ月半ほど彼女の家で
住み込みのベビーシッターを始めることとなった。
そうして私が出会ったのが「彼」、まだ3歳半のハンサムボーイ君だった。
(えらい前置きが長くなっちゃいましたが、今日はこのへんで…) つづく
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パッカー時代にあちこち旅したなかから、
旅先で出会った “子ども” をテーマに (子連れ旅のブログだしね)、
旅の記憶を綴っていこうと思います。
中には、10ウン年前のけっこう古い旅の記録もあり、申し訳ないんですが…
でも、かの沢木耕太郎氏もバックパッカーのバイブル『深夜特急』をしたためたのは
帰国後(記憶が定かでないが)5年か10年経ってからだったと言うし、いいっしょ。
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私が「世界で出会った子どもたち」のなかで、
まず最初に取り上げなければならないのは、「彼」をおいてほかにはいない。
それは、まだ私が大学生だったころ。(若っっ!)
私は一大決心をして大学を1年休学、生まれて初めての海外旅行、オーストラリアに
ワーキングホリデー(WH)ビザで出かけた。
西オーストラリア州のパースで1ヵ月英語学校に通ったあと、旅を開始。
初めての海外旅行、一人旅で、見るもの聞くものすること、すべてが新鮮!
パースからちんたらのんびり1ヵ月もかけて北上し、やっとブルームという町に着いた。
ちなみに、ブルームという町を簡単に紹介すると…
オーストラリアの北西部に位置する、人口1.5万人ほどの小さな町。
赤道に近く、1年中暑い熱帯性気候。
古くから真珠養殖業が盛んで、日本からも多くの真珠採りダイバーが移住した。
町には「日本人墓地」もあり、毎年「SHINJU MATSURI(真珠祭り)」が開かれる。
←真珠祭りで。アボリジニのペイントをした子どもたちのパレード
私は、小さいけれど、美しいインド洋に面したこの町がとても気に入り、
無性にここでしばらく働きながら、滞在したくなった。
せっかくのWHだし。一度くらいは海外で働くという体験もしておきたいし。
それで町のあらゆるホテルやレストランに「仕事はないか」とたずねて回った。
しかし、当時日本以上に超・就職氷河期、失業率もフタケタ、というオーストラリアで、
仕事を見つけるのはそうたやすいことではない。
ましてや仕事も少ない片田舎で、英語もロクに話せない外国人に仕事なんてあろうはずもなく…
と悟ってあきらめかけていたころ、なんと仕事が転がり込んできたのだ!
それは“nanny(ナニー)”という仕事。
「nannyって、なにー?」と親父ギャグでもなく、マジに聞き返しそうになったくらい、
私の英語力はなかったわけだが。
これは“乳母”とか“子守り”という意味で、要するに、ベビーシッターのことだった。
雇い主の母親は、私がジョブ・ハンティングで訪ねたホテルで受付をしていた女性で、
私が書き込んだ求職票を見て、個人的にコンタクトをとってくれた、というわけ。
人間、どんなかたちで苦労が報われるか、分からないものである。
あれよあれよと話は決まり、私は流されるままに、1ヵ月半ほど彼女の家で
住み込みのベビーシッターを始めることとなった。
そうして私が出会ったのが「彼」、まだ3歳半のハンサムボーイ君だった。
(えらい前置きが長くなっちゃいましたが、今日はこのへんで…) つづく
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そーなんです~ 行ってたのよ。ずいぶん昔の話だけどね…
続き、楽しみにしてもらえて、うれしいですぅ けっこう最近、疲れてきたので… また読んでね
今行ってみたいとこの一つよ~
海がすんごい綺麗なんでしょう???
ここで一ヶ月間も滞在したなんて羨ましい!!
でも就職難で困っているときは犯罪とか多かっただろうに、ままりんさん勇気あるなぁ。
パースはオーストラリアの州都のなかでも、こぢんまりとしているし、落ち着いた英国情緒あふれる街です。治安もそんなに悪くないと思うよ。
海もとってもキレイですが、私が行ったときは冬だったので、泳げなかったなぁ。
ぜひ、行ってみてください!