朝鮮について知りたい

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「脇役なんかいないから!」

2011年10月12日 | チュチェ思想入門

2回目です。本論に入って行きましょう。今回は、「人間中心の世界観」な哲学の基本となる原理、サッカーで言うところのサイドキックです。

「人間が全ての主人であり、人間が全てを決定する。」


難しい!!と思った方もいらっしゃるかも、ですね。ちょっと例をあげて見ていきましょうか。この前も述べましたが、哲学とは「ものの見方、考え方」。この文章そのものを覚えることに意義があるわけではありません。「哲学する」方法として、この原理に接してみましょう。

ここでいう「全て」とは、全ての事柄を意味します。自然や社会、人間自身、運命、結婚、恋愛、進路、趣味などなど、まさに全てです。
 結婚や恋愛などで見てみると、どうでしょうか。ある人を好きになる、これを決めるのはあなたです。その人といいお付き合いをできるのか、どうか。これを決めるのも、やはりあなたではないでしょうか。もちろん恋愛過程において、いろいろな人にアドバイスしてもらったり、キューピットとして活躍してもらう場合もあるでしょう。しかし、最終的に決定するのはあなたなのでは?自分の運命や進路を決めるのも、趣味や特技に磨きをかけるもかけないも、やはり、あなた次第なのです。

ここでの重要な問題は、その全ての主人として全てを決定する「あなたは誰?」という問題なのですが。(これは次回に。)

自分自身の問題とは、少し違う問題が、人間(私)と自然、社会、人間(これを総じて「世界」といいます)との関係です。人間が人と人との間とはよく言ったものですが、人間の人生において、世界との関係というものもまた、切っても切れない、必ず、ついて回る問題だということは、前にも触れました。

 自分の状況を変革することはできても、そこから逃げ出すことは、不可能です。いかに自分の置かれた状況を認識し、それを改革していくのか。ここに「自分が開拓していく人生」の鍵があります。

 自然、社会、そして人間自身の主人となって、自分の人生を自分の力で切り拓いていくところに「人間の条件」があるわけです。いかに優れた能力を持っていようとも、主人となれず、全てに従順し、へつらうヒトに「人間」という認定状は下されないのです。

「自然の主人」だって?

 ここで疑問を持つ人がいるかも知れませんね。自然の力は雄大であり、人智を超える神聖なるものと思う人もいるのではないでしょうか。最近人気の、○ヒゲさんのように、地震を起こす力を人間が持っているわけでもなし。ロギアな人でもいればまだしも、人間が「自然の主人」などと!ナウシカ見ろ!と言う方もいると思います。

 しかし、人間は自然の中で生まれおち、育まれながらも、長い間、一度も自然に対して、素直に負けを認めた時はないのですよ。火を見つけ、水を汲み、木を切りそれを組み立てる。そのような過程に、人間はこれまで不可能と思われてきた、「自然の主人」としての地位を確固たるものにしてきたのです。



 このように、人間は全ての主人として、自然や社会、人間自身と向き合い、自然を利用し、社会を発展させ、人間自身を育んできました。

 元来、自然破壊というものも、人間の本性から考えた場合には、極めて「人間らしからぬ出来事」であり、そのような惨状も人間自身の発展とともに、減少し、逆に自然保護活動の幅が広がっていくと考えるのが、善き哲学の方法です。人間は社会的不平等やイジメはもちもん、世界の中でのあらゆる矛盾を認識し、それを変革してのみ、「人間としての人生」を切り拓いていくのです。

 さて、次回からはこの「全ての主人」としての人間の本性とは何なのかを探る旅に出ましょう!

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