子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

思春期のきみへ-過敏な子どもと鈍感な大人-

2009年07月12日 | 私の周辺

「もし、生まれ変わったら何になりたいですか?」

最近、こう問われる機会がありました。
いくつかの答えを出しましたが、私の本当の答えは
「間違いだらけのこの私の人生でいい。」です。

私は思春期には極端に過敏なところがあったと思います。
そして、未熟なその時期にはそれがすべての世界観になってしまっていました。
そして、何事にも鈍感な大人、これはこうするもの、こうしておけばいい、と、自分の頭で考えずに通念で生きる大人が許せなかったものです。
だから、私は大きなサンタクロースの袋のようなものに、たくさんの疑問を抱えて大人になりました。
大人が言うとおり、「これはこうしておけばいい」というよくわからない流儀に流されたくなかったので、自分ですべて答えを見つけるんだ、と思っていたからです。

その袋はことのほか重く、なかなか前へ進めませんでした。
でも、ひとつづつ、袋から問いを取り出して答えを見つけてきました。
だから、今の人生は充実して送っています。

過敏な子どもも偏った見方をします。
鈍感な大人も物事の中身を知り得ません。
どちらも真の姿は見えないと思います。

しかし、大人になったって、人間という生物は進化できます。
方々に触覚を伸ばしていろんなことに気づいて、前進して行くことができます。

最近、私の働いている職場(スポーツクラブ)で課題になっていることがあります。
「感度を上げよう」というテーマです。
鈍った感覚では目の前にあることを察知することができなくなります。
私はこの課題がとても好きです。
眼鏡が曇れば前は見えないし、顕微鏡で見れば、バイ菌だらけの世の中になります。
適度な視力が必要です。
また、見るだけでなく、見て意味を知るということはなかなか難しいことです。
人の顔色からその日の体調を伺い、表情からは感情を、思いを察します。
ある物が置いてあると、何かに使うのか、片付けるのか、危なくないか、いろんなことを考えなければなりません。
これは、職場で仕事をする上での話です。

そこから派生して、自分の暮らしを考えます。
私の場合は、子どもの気持ち、うさぎのこころ、音楽、季節の移り変わり、自分たち周辺の生活、人々の動き・・・いろいろです。

私は自分でも、これだけはよく考えてるなあと思えることがあります。
それは、うさぎの気持ちです。
特に、うさぎに病気があるとき、よく考えます。
今回も、メスのうさぎ、ぷっくに病気が見つかりました。
子宮に腫瘍があるようなのです。

このコは、小さいときにてんかん症状があったので、もう今は出ていませんが、再発させたくないという理由で(引き金にならないように)病気予防の子宮摘出はしない方針でした。
しかし、尿に潜血が見られ、触診で塊があるようで、子宮を取った方がいいという診立てになりました。
でも、まだ初期だから、手術さえうまく行けば、元気になれると思います。
そんなことがわかったのです。

うさぎは敏感に雰囲気を察知します。
私たち飼い主が心配そうにしていると、潜在意識で不安を感じます。
以前、てんかんがあったときも、先生に、無意識のレベルでてんかんに不安を感じるから、それに作用する薬を出す、と言われました。
それが神経なのか、何なのか、私にはわかりませんが、きっと私たちが焦ったり不安がったりしていると、うさぎはもっと不安になります。
それをぷっくから私は学びました。
だから、心配なことがあったとき、私たちは努めて明るく話します。
無意識、潜在意識、神経・・・そんな目に見えない世界のことを強く意識する時期があったので、私にも訓練がなされたと思います。

これは、鈍感でもなく、過敏でもない、発達した感覚なのだと思います。
そして、これは一例です。
人間には無限の可能性があり(うさぎにも無限の可能性があるから、ぷっくは治りました)、いろんな感覚がどんどん発達して行くものだと思います。
それは専門の仕事かもしれないし、お母さんが子どもの顔色から学校であったことを当てたりすることかもしれません。
ひとつのことが発達すれば、別のことにも応用できるはずです。

反面、私がダメだな、と思うところもあります。
子どもへの接し方です。
子どもは大人以上にいろんな雰囲気や感情を感じ取っているはずです。
それなのに、疲れていると無表情で話したり、横向いて話したり、テレビを見ながら話したり、理屈で返したり・・・
うさぎ並に気を配らなければ、と反省します。

写真は私たちができない形の抱っこを息子のいっちゃんがやってのけた図です。
ぷっくは元々病気持ちなので、爪切りはさせてくれなくて、足を触るのも嫌がります。
だから、私も夫も、ぷっくにはどこか構える気配を感じさせて
しまうんだと思います。
でも、いっちゃんはそんなことお構いなしだから、なぜか大人しく抱っこさせてました。
とっても不思議な光景でした・・・

最近、ひとりでライブに行ってきました
生はやっぱりいいですね~
たくさんのことを感じました。
音楽をじっくり聞けない子育て生活を送っていましたが、久々にじっくり聞いてみると、音楽に包まれて世界の色が変わっていくような不思議な感覚を覚えました。
私はずっと音楽をやっていたので、音楽はもうひとつの血流なのかもしれない、と改めて思いました。
ちなみに、お箏をやってましたが、お箏そのものも、しばらく弾いてない箏と毎日弾いてる箏は響きが全然違います。
また、高級ないい楽器でも、ずっと使ってないと響かないし、学校の部活で使ってるような安い楽器でも、よく使ってる箏は120%の響きを出します。
名手・宮城道雄に至っては、自分が弾く前に誰が弾いていたかもわかったそうです。

私はわりとマイペースで、ひとがどう考えようがあまり気にしないところがありました。
でも、ここにきて、職場でたくさんのお客さんやスタッフと向き合い、他の人の気持ちや考え方を知る訓練をしています。
毎日、いい仕事をしよう、いい仕事をしよう、と考えていました。
それのどこが悪いの?、と思いませんか?
でも、最近やっと、自分がいい仕事をするのと、お客さまのためになることをするのは、少~し違うように思えてきました。
鏡に映る自分と鏡の自分、のように「側」が全く違うんですよね・・・。
それに、対お客さん、という面しか見てなかったけど、お客さんに満足してもらうためには対スタッフの接し方も大事だとやっと気づきました。
おそいね・・・

そんなこんなで、四十目前の私も日々鍛練、がんばっています。
昔の私みたいな思春期のだれかに届くといいな、と思います。

私の最も苦手な片付けも職場で、家で、がんばらねば

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2 コメント

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Unknown (ウッシー)
2009-07-16 19:26:03
感度を上げよう…素敵な言葉にはっとしました。
私は神経質すぎる、と、言われます。
そうやって、けなされているのを感じます。
でも、鈍感よりは良いです。

私は時には感情的になって孫に怒ります。
でも、本当に怒っているんだと解かってもらいたいです。
何にでも耐えられるとは、思って欲しくないのです。
自分勝手なコメントでしたね。すみません。
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Unknown (3うさの母)
2009-07-17 23:18:50
ウッシーさん、こんばんは
ご訪問ありがとうございます。
かりんちゃんと先生の記事にコメントしたとこですが、
読んでいただけてたらよいのですが・・・。

私の祖母は7月で86才になりました。
元気な人ですが、年相応の疲れもあるようです。
80も後半となると、改めて祖母のことを考えます。
ときどき、怒られたことも思い出しています。
私の場合、甘やかされすぎたところもあり、
手をかけ、目をかけ、してもらいました。

そんな祖母が怒っていたことはとても印象に
残っています。
季節はいつだか、夏ごろだと思いますが、
小学生のころ、外で遊んで夕方6時に帰宅したら、「不良や!」と怒られました
今考えると、ちょっと笑っちゃうようなほほえましい思い出ですが、暗くなって帰らないことを心配したんでしょうね。

愛情を注いでくれる人の愛は無限のような気が
してしまいます。
でも、神様じゃありません。
お孫さんたちがおばあちゃんもひとりの女性として見られるようになったとき、ウッシーさんの怒ってたこともとても大切な記憶になると
思います
笑ってるばかりじゃ伝わらないこともありますよね
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