子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

戦争のことなど

2010年08月10日 | 子ども

職場のお客さまとフロントで何気ない会話をしていて、「○○さま、江戸っ子ですか?」と尋ねました。
「いいえ、私は広島出身です。被爆者なんですよ。」

こんな展開になりました。
気風のいいお人柄に江戸っ子かな、と軽い会話をしていました。
そんな切り口から、全然ちがった方向に話が及びました。

フロントで忙しく、その後の会話を続けることができず、思わぬうちあけ話を聞いてしまったのに、尻切れトンボのままで「ありがとうございました」のご挨拶となってしまい、気になっていました。
前から親しくお話しができるお客さまで、ときどきお話しをしている間柄だったこともあり、その後、何か文章の書かれた紙を持ってきてくださいました。
被爆当時のエピソードを綴った文章でした。
みんなで読ませていただいてもよろしいですか?とお許しをいただいて、読ませていただきました。

戦後、もう65年ですね。
戦地へ赴いた私のじいちゃんももう亡き人となっています。
だんだん、本当にそんなことがあったのだと話せる人もいなくなってしまいます。
また、広島の被爆について知っている人は身近にいなかったので、文章を読んだぐらいでは何もわからないにしても、初めて少し、思いを馳せることができた気がします。

朝のドラマ「ゲゲゲの女房」で水木しげるが「戦争で死んだ人の口惜しさ、無念さを思うと、生きているだけでありがたいこと。私は生きてる人には同情はしない・・・。」そんなセリフがありました。
怖いマンガばかり書いてる水木さん。
世の中、暗い部分がないものは偽物だ・・・そんなようなセリフもありました。
戦地で片腕を失い、地獄を見てきた水木さん。
貧乏でも信念を貫き通して生きてきた水木さん。
それを取り囲む人々。
いつもほろりと涙させられます。

今、こうして普通に健康に暮らしていられる恵み。
そこに無差別に降ってきた戦争。
無念の死。
悔しさを訴えられなかった数々の命。
人間の行うべきことと思えぬ原爆の惨状。
それが2回も行われたという事実。

不幸は経験しないとわからない、と私の母は言っています。
その通りです。
でも、私には反論もあります。
すべての不幸を経験した者にしか、ひとの気持ちはわからないのではない。
人間にとって本当に尊いのは、その気持ちを思い遣る想像力を持つことではないか。

母になると、少し、想像力が働く部分があります。
「もし、わが子が育ってくれなかったら・・・」その思いです。
戦争で食べるものがなくて、尊い命を授かったのに、その子が育たないままで死んで行ったら・・・
自分がそうなるのは、まだ致し方ない。
でも、生まれた子を育てる食料が手に入らなかったら・・・。
自分より幼い、若い命が戦争に出向き、そこで果ててしまったら・・・。
そんな大事な魂を吸い取られたようにして長年生きてこられた人たちもたくさんいらっしゃるんだ・・・。
広島・長崎の原爆投下の日、終戦記念日・・・。
そこで祈る人々の思いは形となっては見えませんが、その思いをいくらかでも想像してみなければならない、と思います。

今を生きているという現実には、たくさんの悲しい出来事、暗い出来事が必ず存在しています。
戦争で亡くなった人たちの無念な気持ちの上にも私たちの命があります。
明るいものだけ見ないで、暗いものにも目を向けて、明暗の間でどう生きるのか、そこにこそ意味があるのかもしれません。
それを知った上で強く生きていけるよう、いっちゃんにも伝えて行きたいと思います。

今年は水木さんとお客さまのおかげで、少しだけ戦争を身近に考えることができました。
誰かの気持ちを少しだけでも思う。
そこから始めたいと思います。
できれば、一冊、戦争にかかわる本を読みたいな。

そんな気持ちでしばらく帰省してきます。
みなさんもよいお盆休みをお過ごしください。

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