
「たったひとことが 人のこころを 傷つける
たったひとことが 人のこころを あたためる」
簡単な言葉なのに、あまりにも深い・・・。
これはお琴の先生宅のトイレにかけられていた言葉です。
この言葉そのものを生きているような敬愛する大先生にどうしても会いたくて、猛暑の中、子連れで大阪へ行ってきました。
2年前に卒寿を記念する演奏会を開かれ、当日体調を崩されたと聞いていたので、その後どうしていらっしゃるかと心配していました。
私はその大先生の娘さんであるちー先生に大学時代、琴を習っていたのですが、同じお宅に住んでいらっしゃるので、よく顔を合わせ、お二人の一門会などにも参加して、お二人ともにお世話になっていました。
ちー先生は私が公私ともに、人生で一番尊敬している方です。
もちろん、ちー先生にもとても会いたかったのですが、大先生はご高齢なので、心配が強かったのです。
今現在、私はお琴を全然弾いていません。
その道にともに立っているわけではない者が昔を懐かしんで師を訪ねてよいのだろうか、と大阪へ行く寸前まで迷っていました。
だいたい、用もないのに快く迎えて下さるだろうか・・・。
先生方とはかれこれ十年近くお会いしていなくて、ご様子もわからないし・・・。
でも、日本語教師をしていた私の元へ教え子が連絡してくれたり、会いに来てくれたりすると、とてもうれしい。
先生という仕事をする人ならだれでも、そう思うものではないか・・・。
思い切ってちー先生にお電話してみたら、以前と変わらぬあたたかな会話ができ、ほっとしました。
でも、お電話してわかったことには、大先生は、いろんな手術やお年なりのお身体の不調でお琴は弾いていらっしゃらず、時々デイサービスに行かれることもあるけれど、歩くのもゆっくりゆっくり足元を気にしながらで、基本的にはお部屋で腰かけて一日暮らす生活だとのこと。
テレビも最近は見られないとちー先生がおっしゃっていました。
大先生とうまくお話しができるかな。
お訪ねしていいのかな。
ちょっとした不安は残りましたが、大学時代の友人宅に泊めてもらえることになり、いざ大阪へ。
友人宅でもご主人がわざわざ早く帰ってきて牛丼を作ってくださって、友人とも五年ぶりに、初めてお互い子持ち同士で会うことができました。
子どもたちもいっしょに楽しく遊べて、共働きの忙しいお宅にご厄介になり、あたたかいひとときを過ごしました。
さて、翌日、友人宅から先生宅へ。
日本語教師という仕事もして、また、いつか小さな子どもたちにお琴の手ほどきなどできる機会があればと願う私。
日本語の生徒とのつき合い方にも考えるところがあり、「先生のあるべき姿ってどんなものなのかな。」と、このごろ改めて思うようにもなっていました。
もし、伺うことができれば、先生としての心構え、一番大切なこと、そんなことを尊敬する先生方に聞いてみたいと思いました。
親元を離れた学生生活で、私にとってはあたたかい先生方のお宅は居心地のよい場所でした。
一門のみなさんにもよくしていただきました。
久しぶりに訪れた先生宅、純和風で大きな桜の木があったお家も建て替えはなされていましたが、私と動き回る息子をゆったりと包んで下さいました。
先生の近況や私の近況をお話しし合い、満ち足りた時間が流れました。
益々ご活躍の先生のご活動について聞くのも楽しくうれしいことでした。
そして、大先生のお部屋にも伺いました。
覚えていてくださるだろうか・・・。
そう思いつつ戸を開けると、ちー先生が紹介してくださり、
「今、思い出したわ。」とおっしゃって、満面の笑みで迎えてくださいました。
そして、先生の手を握って少しお話しをしました。
そして、先生方に私からのお願いをしました。
私も大先生も今はお琴を弾いていません。
本当なら、琴弾きは琴を弾いて会いたいものです。
それが無理ならと「さくら」をいっしょに歌っていただきました。
お元気で以前のように張りのある大先生のお声。
よいお声で歌の評判もよかった大先生。
こうして歌う機会が今もあればよいのに、と思われました。
ずーっと会いたかった先生方。
お会いできて本当にうれしかった。
そして、私の知りたかったことは、大先生のお顔を見た瞬間にわかりました。
「よき師とは・・・」
その答えは、この笑みです。
以前と変わらぬ、顔がしわくちゃになるほどの微笑み。
「(私はあなたのすべてを受け入れますよ。)」と語りかける微笑み。
これだったのです。
だからこそ、私はこの大先生に会いたかったのだとも後から思いました。
一番シンプルで基本的なことがわからなかったのです。
「師とは」○○について厳しくするべし。
「師とは」○○について自分を戒めるべし。
「師とは」○○に注意するべし。
・・・こんな教訓が必要なのかとあれこれ考えていましたが、教育者が一番大切にするべきことは、それが親であれ同じで、「愛するということ」なんだとわかりました。
やってくる者を丸ごと受け入れる。
そうすれば、後は本人が考えて実行するだろう。
そんな境地に至るのは本当に難しいと思いますが、究極はそういうことなんだとわかりました。
大学時代、おけいこの会が終わると、大先生は外袋に手書きで「おふくろの味」と書いたお惣菜を持たせてくれました。
なんともよい味の鶏そぼろ味噌がタッパーに入っていました。
私がちー先生とおけいこしていると、かわいらしい声で大先生が庭先の猫たちにえさをやっているのが聞こえました。
「これ、お前は大きいんだからあと!あんた食べなさい。」
なんておっしゃってる微笑ましい一コマ。
「母は七十過ぎてもまだ娘なのよ。」と、ちー先生はおっしゃっていました。
大先生が小さいころには琴譜面などなく、いくつかのフレーズを師匠から教わって覚えて家まで歌いながら帰り、時々牛や馬にぶつかりそうになった話。
のどが弱かった先生は母に寒空、大きな声で歌を歌って鍛えるように言われた話。
内弟子に入ってからは、師匠の家のことはなんでもして、凍える手で洗濯物を干しながらおけいこの音に耳を傾け、覚えたというお話。
女の子は嫁に行ったらあまりお琴を弾けなくなる。でも、嫁に行ってからこそ、辛いことなどあってもそれを吹き飛ばすためにも弾いてほしいと思うのよ。
大先生は流派の幹部でいらっしゃり、多くの人々をまとめていらっしゃった。
そんな大先生も時々こぼすことがあったとちー先生。
「お琴という音楽をやってる人たちなんだから、もう少し調和できてもいいはずなのにね。」
いつも、どこかあたたかく、どこかしっとりした味わい深いお話を人が集まった折に聞かせて下さり、もっと聞きたいといつも思っていました。
当時民俗学の院生だったお姉さんが大先生のお話を資料にまとめたいと言っていたけど、実現したのかな・・・。
当時、2才ぐらいで私が時々預かったこともあったちー先生の息子さんももう立派な学生。
いっちゃんぐらいの子だったのに、月日の経つのはなんと早いことか。
帰りにはお土産を下さって駅まで送ってくださったちー先生。
このお宅には、美しい音色とともに他にはないゆたかな人の情が流れている・・・。
とても心地よいゆったりとした大きな川の流れに舟を浮かべるような・・・。
その流れの一脈は、大きな日本の歴史を体で生かし続けるエネルギーと努力、器量の大きさにちがいない。
こんなに素晴らしい方々に巡り合えたことを改めて感謝し、私もこの先生方から授かった技を自分なりに生かして行けたらと思った暑い夏の一日でした。
先生方のご健康とご多幸をお祈りして書き留めました。
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