↑ 最寄りの道から四の坂へ入る入口
↓ 見上げたところ
新宿区中井に有る、林芙美子記念館を見に行ってきました。
この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
昔建築関係に勤めていた私には、前から行ってみたかった場所です。
思っていた以上に、林芙美子の思い入れのつまった凝った邸宅でした。
ホームページ → 新宿区立林芙美子記念館
近年は 山口文象設計で有ることが公になっているそうですが、山口本人も名前を出すことをためらったほどに芙美子のアイデアが満載のこだわりの家です。
↓ 本来の玄関に続く門
↓ 並びにある、記念館の入口
まずは写真をいっぱい撮ったので見てください。
↓ お庭にさり気なく
↓ 母親の部屋
↓ 小間の前から
↓ 庭
↓ 寝室
↓ 芙美子の書斎 始めは納戸として作られたそうです。
↓ アトリエ
↓ 北向きに明り取りが開けています。
夫君の画家 緑敏 のアトリエとして作られた部屋です。
今はこの記念館の展示室となっており、年4回資料の展示替えを行っています。
映像で在りし日の芙美子の話している姿などを流しています。
若い女性相手にいい事を言ってますよ。
↓ 石蔵ギャラリー
夫の緑敏が芙美子の遺品を管理するために建てた石蔵。
今は写真等を展示しています。
↓ ギャラリーの横より
↓ 小間の横より
各棟が段々にずれているのがわかります。
↓ 玄関を入った所の応接
鬼門に当たるので前庭に工夫が有ります。 ↓
↓ 本来の門から玄関に続く坂道
↓ 客間
↓ 入口入った所の説明板
↓ 芙美子の原寸大立て看板
ワンピースなどの展示も有りましたが、小さな方だったようです。
↓ お手伝いさんの部屋
押入れが取れなかったので、欧州旅行の時の体験などを参考に2段ベッド形式(?)になってる!
下に物入れや右上にフックなども有りました。
↓ 台所
↓ 天井まで有る食器棚 今でも通じそうです。
↓ 書斎の前
↓ 書斎玄関側より
↓ 居間玄関側より
↓ 書庫
都内に有るのに京都に来たような庭の雰囲気、小さいながらも数寄屋造りの芙美子の思いの詰まった家でした。
近くに佐伯祐三のアトリエ記念館や、中村 彝(なかむら つね)のアトリエ記念館も有りますので、1日ゆっくり芸術散歩を楽しむのも良い休日かと思います。
↓ 見上げたところ
新宿区中井に有る、林芙美子記念館を見に行ってきました。
この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
昔建築関係に勤めていた私には、前から行ってみたかった場所です。
思っていた以上に、林芙美子の思い入れのつまった凝った邸宅でした。
ホームページ → 新宿区立林芙美子記念館
近年は 山口文象設計で有ることが公になっているそうですが、山口本人も名前を出すことをためらったほどに芙美子のアイデアが満載のこだわりの家です。
↓ 本来の玄関に続く門
↓ 並びにある、記念館の入口
まずは写真をいっぱい撮ったので見てください。
↓ お庭にさり気なく
↓ 母親の部屋
↓ 小間の前から
↓ 庭
↓ 寝室
↓ 芙美子の書斎 始めは納戸として作られたそうです。
↓ アトリエ
↓ 北向きに明り取りが開けています。
夫君の画家 緑敏 のアトリエとして作られた部屋です。
今はこの記念館の展示室となっており、年4回資料の展示替えを行っています。
映像で在りし日の芙美子の話している姿などを流しています。
若い女性相手にいい事を言ってますよ。
↓ 石蔵ギャラリー
夫の緑敏が芙美子の遺品を管理するために建てた石蔵。
今は写真等を展示しています。
↓ ギャラリーの横より
↓ 小間の横より
各棟が段々にずれているのがわかります。
↓ 玄関を入った所の応接
鬼門に当たるので前庭に工夫が有ります。 ↓
↓ 本来の門から玄関に続く坂道
↓ 客間
↓ 入口入った所の説明板
↓ 芙美子の原寸大立て看板
ワンピースなどの展示も有りましたが、小さな方だったようです。
↓ お手伝いさんの部屋
押入れが取れなかったので、欧州旅行の時の体験などを参考に2段ベッド形式(?)になってる!
下に物入れや右上にフックなども有りました。
↓ 台所
↓ 天井まで有る食器棚 今でも通じそうです。
↓ 書斎の前
↓ 書斎玄関側より
↓ 居間玄関側より
↓ 書庫
都内に有るのに京都に来たような庭の雰囲気、小さいながらも数寄屋造りの芙美子の思いの詰まった家でした。
近くに佐伯祐三のアトリエ記念館や、中村 彝(なかむら つね)のアトリエ記念館も有りますので、1日ゆっくり芸術散歩を楽しむのも良い休日かと思います。