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趣味や日常の楽しいことについて語らうブログ

それは聖地?

2010-05-16 22:35:27 | Weblog
テスト期間中です(ここでこうしてブログしてていいのか
アニソン聞きながら勉強
ちょっと休憩リビングへ
おやつを食べながら最近のマイブーム「天声人語」を読もうと(うちは朝日新聞です)新聞を広げる
「天声人語」を読む前にその下の書籍紹介欄へ目を向ける
アールズ出版というところが出している「レイラインハンター」という本
大字で書かれたタイトルの横、本の内容に少し触れてある
「東北・アラハバキ伝説、近畿に云々……」
え? アキハバラ?
よく読む
「アラハバキ」
なんだ、そうか
読み進める
隣の行の頭
「聖地と聖地を結ぶ直線に云々……」

ん?



以下句読点付き
僕がアキハバラに求めるもの言えばマンガやアニメです。
サイバースペース・カウボーイズ」を聴いていると、やっぱりあそこは電気街なんだな、とも思いますが……。
アキハバラといえばヲタク(が連想されてしまいます、僕は)。
ヲタクの台詞としては、絵・イラスト・画像にされているキャラクターに対して「俺の嫁」とか「三次元に興味ない」とか言うのがありますね。
これをギャグとして使っている人はわりといると思います。
が、一方で「本気で」そう思っている人たち、つまり言い換えれば、「無意識に、当然のように、器質的に」そういう考えに至る人たち、又はもうちょっと程度を甘くすれば、「自分の流儀としてその考えを実践貫徹する」人たちも、いるのではないかと思います。
ちなみにグリム童話のKHM6「Der treue Johannes」(邦題「忠義なヨハネス」 野村泫・訳)には絵の中の王女様に一目ぼれして倒れてしまう王様がでてきます。
僕はそういう人たちがいても良いと思っています。
別に自分の趣味を肯定したいからではありません。
心底かまわないと思っています。
しかし、生き物はうまくできているな、と思う瞬間がここにあります。
なぜなら、ある人たちが生殖不可能な相手に対して情を持ってしまうということは、その人たちは子孫を残さないことになり、その人たちのその形質はどこにも遺伝しないままその人たちの代で終わってしまうことになるからです。
つまり、よっぽど社会の在り方が画一的でない限り、人間の全体としては、「子孫を残そうとする」「同じ種族のペアを獲得しようとする」形質が残っていくわけですね。
もちろん成長段階で環境によって考え方は変わるでしょうし、ミュータントが生まれる可能性だってあります。
それにつけても、ああ、よくできているなぁ、と思うのです。