Sengoku Music Room

ピアノ教室での近況やコンサート情報などを気ままお伝えしていきます♪

夢を見ました・・・☆

2015-06-08 20:21:02 | 日記

次女の見た夢のお話をしましょう。

今日で終わるという、この世の最後の日。

いつもの我が家、いつもの外の風景。
家の中には、お姉ちゃんと私。

我が家の西には、小さな小さな公園を挟んでビジネスホテルが在ります。

その前にバスが止まり、人を乗せては出て行きます。
行き先は二度と帰れない、黄泉の国。

家族のばあちゃんも、お父さんもお母さんも、近所の人たちも、そのバスに乗ってとうに行ってしまい、姉妹ふたりだけが家に残り、最後の時を迎えようとしています。

お姉ちゃんは、「どうして、こんな事になったの!」と物凄く怒って、2階の自分の部屋へ入ってしまいました。

美しい茜色に染まった西の空は、まもなく終わろうとしています。自分たちも直にバスに乗らなくてはなりません。

ひと気のない辺りは、いつもと全く変わることなく静かに佇んでいます。


「・・悲しくて悲しくて、今この夢の話をしながらも、涙が溢れてくるの・・・」

娘はきっと、人生をぎゅうっと縮めた夢を見せてもらったのでしょうね。
一人暮らしを始めて三月目に入り、初めて考えるようなことが多くあるのでしょう。


そう、人ひとりの命が終わっても、な~んにも変わることなく過ぎて行く。


お父さんやお母さんが人生をかけて育て、育て作り上げてきたあなた達の中に、お父さんとお母さんの魂が吹き込まれ、そして次のあなた達の世代へ。
人類はそれをず~と繰り返して来て、これからも続いて行くだけのこと。

一瞬のまばたきの間に人の一生は終わるようなもの。

奇跡奇跡の中で、授かり続いている命だから、大事に大事に一日を生きる。

いくつかの選択肢の中から自分の信じた事を選び、後悔しない、正しいと思えるように生きていく。
間違ったと思っても、自分が選んだ事なのだから、呑み込んで頑張る。踏ん張る。
その内、きっとここへ来るための歩くべき道だったんだって思える、光が見えてくる。

この世には、無駄なことはひとつとしてない。全てがその人にとっての必要な経験なのですよ。

とにかく、あっという間の短い一生、後悔だらけは嫌だからね。

自分に与えられたことを、一生懸命務めること。

そうすると、いつか誰かが認めてくれる。と、嬉しい。嬉しいと楽しい、笑顔でいられる。柔らかく大きな心になり、誰かの幸せを願う。そして、それが自分が幸せと感じる人生となる


不思議で、有難い夢・・・この夢のお話、あなたが母になったら子どもに聴かせてあげると良いね



ところで、ここまでおつき合い下さった皆さん、そんな大切な人生のお伴に、音楽はいかが?

いいなと思う曲を、自分で楽譜を読みとって、そのメロディーを奏でること、作曲家がどういう思いで、また何を伝えたくて作ったのか、作曲家の人となりや時代、環境などを紐解きながら突き詰めて行く・・・美しい音楽に、心も清らかになりますよ。
たった一度の人生、心美しく生きましょうよ

自分で一度は演奏してみたいと思われた方は、お手伝いをさせて下さいませ

あなたのたった一度だけの人生を、楽しく美しく、豊かにするためにSengokuピアノ音楽教室  お待ちしていま~す




 


お陰さまで♡やっと歩き出しました

2015-06-02 12:33:20 | 日記

ピアノ弾きの娘が、両手の3、4の付け根の筋を痛めてしまいました。使い過ぎだそうです。名大病院で診察を受けました。

それから1カ月後。6月に入りやっと、自分の音楽とピアノに向かうことが出来るようになりました。

「お母さん、聞こえた?いい曲でしょ。」レッスン室から出てきた娘が、明るい顔で言いました。

左手だけの曲を探してきたのです。

スクリャービン作曲<左手のためのプレリュードとノクターン>

左手の痛みは取れたようです。弱々しい音ですが、娘のピアノがまた聴こえるようになりました。


「右手の人さし指がしびれるの。」 4月のことです。
そのうちに箸が持てなくなり、左手にも痛みが来てしまいました。
それでも、5月のコンサートに向けて、懸命に休み休みピアノを弾いています。

時々尋ねます。
「痛む?」「・・ン・・」

5月5日を最後に、痛みで全く弾けなくなり、当然10日の本番は出演出来ませんでした。
主催者の方々、来て下さった方々、本当に申し訳ありませんでした。

「翼の折れたエンジェル~♪」たまたまテレビから流れてきました。
後の歌詞はよく知りませんが、その言葉だけが突き刺さります。

これほどまでに長い間ピアノを弾かないことは、初めてのことです。
ピアノを弾かないと、これほどまでに何もすることがなく、ただ時間が物凄~くゆっくり進むことに耐えるしかない・・・暗く辛く、重い日々が試練として、娘に与えられたのです。

幼い頃から、当たり前のようにピアノを弾いてきた両手、両指の1本1本への感謝。
当たり前のようにピアノを弾ける日々への感謝。
お世話になり、心配して下さった全ての人々への感謝。

当たり前とは、とても幸せなこと。有難いこと。

充分わかっているはずなのに。

娘本人だけでなく母も、感謝の心が足りなかったのだろうか、今までやって来たことに間違いはなかったのかなど、多くのことを考えさせてもらう時間をいただきました。

「こんなに辛くとも、お前はピアノを続けることが出来るか。」

娘の人生と同じくらいの間を酷使してきた、この世にひとつしかない娘の右手に、母子共々に問われているような気がしてなりません。

それとも、やはり弾き過ぎて右手を壊したスクリャービンに出会う為、導かれているのでしょうか。

レッスン室から、娘のピアノが聴こえる幸せ・・・「お母さん、綺麗な曲でしょう

娘が乗り越えようとしています。
直に右手も蘇ることと思います。
娘の、エネルギー溢れる演奏が聴けることを楽しみに待ちましょう。


皆様、ご心配をおかけしました。娘に明るい笑顔が戻って来ました。ありがとうございました。