来年の東京オリンピックに向けてか、或いはスポーツの秋のシーズンのためか、9月8日付の河北新報の読者コーナー「声の交差点」に宮城県利府町の小学生・鈴木蓮音さん(11歳)の投書が載った。タイトルは「勝利求め スポーツ楽しむ」、今回の記事名に使わせてもらった。以下はその全文。
―最近、6年生の国語の教科書にスポーツは勝利を求めてやるからよいと書いてあった。僕はその考えに賛成です。スポーツは勝つことによって楽しむことができる、と僕は考えています。勝つためには多少、体に負担を掛けても練習することが必要だと思います。
最近、テレビで体に負担を掛けると体をこわしてしまうので、スポーツは適度にやるのが大切だ、と言っていました。でも、それでは勝つことはできません。厳しい練習をして、センスを磨くことによって勝つことができます。
試合に勝つことや大会で優勝することによって喜びが得られ、楽しくなります。楽しくなれば、厳しい練習もいやになることはなく、続けられると思います。試合でけがをするかもしれませんが、その対策として、練習前に十分なストレッチをすればいいと思います。
スポーツは楽しむことが大切です。ですが、勝てなければ楽しくはないです。勝利を求めて、厳しい練習をすることが大切なことだと思います。
スポーツは勝利を求めてやるからよい、と今どきの小学6年の国語教科書に書かれていたのか?私が同年齢時の教科書にはそんな文言はなかったが、'70年代と令和では教育環境もかなり違ってきているのだろう。
先の鈴木君の言うとおり、スポーツは勝つことによって楽しむことができる、は全くの正論である。誰が好んで負け試合を行ったり観戦したがるだろうか?勝利すれば、それまでの厳しい訓練も報われ、様々な辛い体験も乗り越えられるのだ。スポーツに限らず全ての分野で人々が勝利至上主義に憑かれる所以となっている。
しかし、鈴木君の主張には強い違和感を覚えた。プロのアスリートが勝利を求めるのは当り前で彼らはそれで糧を得ているのだし、厳しい練習もその手段である。プロに限らず学校の所属クラブも常に勝利を求められる。
ただ、スポーツは毎度勝利するのではない。強豪チームでも負けるのはザラだし、勝負は時の運という諺通り、力の強い者が必ず勝つとは限らない。厳しい練習をしただけでは決して勝てないのだ。強豪チームさえ始めから強かったのではなく、強豪になる前には何度も負け試合で涙を呑んだこともあろう。
鈴木君の意見は、スポーツの実態を知らぬ世間知らずの小学生作文の見本としか見えない。文面からも彼はまずスポーツをしていないことが伺えた。日々厳しい練習を繰り返すスポーツマンなら、こんな能天気なことは書かないはず。練習前に十分なストレッチをしていても、思わぬアクシデントで怪我することは少なくないのに。勝敗問わず厳しい練習がいやになるも多々あるのは想像に難くない。
11歳ゆえ世間知らずなのは無理もないが、こんな投稿を載せる新聞こそ始末が悪い。暫く前から河北の「声の交差点」は、毎回のように小学校高学年の投稿が載っているが、内容が何とも子供らしさがなく、年よりじみた説教調ばかりが目につく。他の地方紙も同じだろうか?
勝利至上主義の弊害は様々指摘されており、多少どころか必要以上に体に負担を掛け、選手生命をダメにした例としては高校野球がよく知られている。ましてオリンピックならば、どれだけのアスリートが犠牲になっていたのだろう。選手生命どころか、健康さえ失った者もいる。7月18日放送の「フランケンシュタインの誘惑+ #16「汚れた金メダル 国家ドーピング」は興味深かった。以下は番組サイトから。
―東西冷戦のさなか、オリンピックで金メダルを量産し続けた旧東ドイツ。今回は、旧東ドイツが国家ぐるみで行なった史上最大規模のドーピング事件に迫る!人体への深刻な影響を知りながら計画を実行した科学者が編み出した、驚くべきテクニックの数々!
薬物を投与されていることさえ知らなかった元選手たちは、肉体的にも精神的もむしばまれていった!残された極秘文書から、国家ドーピング計画の恐るべき実態が明らかになる!
このドーピングは主に女性というよりまだ十代の少女に対して行われ、彼女らは引退後もずっと後遺症に苦しめられた。やりきれないのは実行した科学者が裁判で無罪になったこと。オリンピックで勝利しても、その後は楽しみのない半生が待っていた。
番組サイトでは何やら国家のみが悪いような印象を受けるが、国威高揚のため勝利至上主義を煽ったメディアの責任も大である。メディアが糾弾する軍国主義と通じるものがあり、鈴木君の投稿にその姿勢を改めて見せつけられた思いになった。
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多い苗字ランキングでは、多い順に佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、山本と続くそうだ。
ところで、この7つについて、渡辺さんが典型例だが、その通りの渡辺さんの他に、渡邊さんも渡邉さんも実は渡辺さんに括られている。他でも、佐藤さん、伊藤さんの「藤」は草冠がつながっているか切れているか、高橋さんは、「口(くち)」か「ハシゴ」かといった、争いのタネが含まれている。記事に「渡辺さん」と書かれたら「いや、ボクじゃない、ボクは渡邊だ」という抗議が及びかねない。ランクインしていないが、吉田さんだって、「士」か「土」かといった問題がある。
ところが、鈴木、田中、山本の3苗字については、画数が少ないこともあるが、こういうアイデンティティー争いになりにくい。新聞を読んだ「鈴木君」は「これはボクじゃないけど、鈴木はたくさんいるから、別の鈴木君が投稿したのかなー」と、スッキリしない気分であっても抗議はできず見過ごされやすい。
こういう効果を狙った、記者やデスク、主筆などによる「捏造投稿臭」がプンプンと鼻をつく。
プロ野球では優勝チームでも勝率7割程度です。半分のチームは負け越しです。それでも、次の年にもプレーできます。負けても次の舞台はあります。
プロはお客さんに「見せる(魅せる)」ことで糧を得ています。勝利を見せることはその一つの要素(非常に大きな要素)に過ぎません。
一方、アマにはお客さんがいません。選手個人の価値観で戦います。
より上手くなりたいという価値観は多くの選手が持っています。上手くなるには弱い相手と戦ってもだめです。自分の限界を試すことができる強い相手と戦うしかりません。
しかし、強い相手と戦うには、強い相手がいる舞台に辿り着くには「勝ち続けないと」いけません。特に高校の部活では最高学年の大会で負けたら引退です。県大会を勝ち抜けなければ、全国大会はありません。プロという次の舞台がない選手は、その最後の舞台に立つために選手生命を賭けます。
プロに近くてもオリンピックを目指す選手も似たものがあります。一生に一度のオリンピックという舞台に立つためには全てを犠牲にしてしまう選手もいるでしょう。
マイナーな競技の場合(ほとんどの競技の場合)、オリンピックに出場し良い成績を出すことで、自分の愛する競技に人と金が集まり、後進に多くの舞台が与えられるようになることも強いモチベーションになっています。
さすがに小学生でこういうことを考える子はあまりいないと思いますが、地方大会で勝たなければ全国大会でライバルと戦うことができないくらいは考えていると思います。
(共産圏のドーピングは、身を売っているようなものなので別の話ですが。)
https://www.honzuki.jp/book/281847/review/234300/
私の場合は勝利を求めて1日のうち8時間練習をこなし、8時間寝て、残りの8時間で講義に出ていました。はっきり言ってこれキツイです。結果はインカレで2度の準決勝進出、社会人を交えた関西選手権大会で2回の銅メダル、でした。この結果を良かったと取るのか、掛けたコストに対してあまりにもパフォーマンスが低いと取るのか、意見はさまざまでしょう。4年間練習漬けの毎日で、他人から『どこが楽しいンですか?』と聞かれると『しんどいだけで楽しいことなんかナイよなあ、何でヤってるンだろう?』と疑問が湧いてくる毎日でした。勝つのは嬉しいのですが、最後の勝者になれるのはたった一人です。残りは全員敗者です。勝ったニンゲンよりは負けるニンゲンの方がはるかに多いのが勝利を求めてやるスポーツの世界の実態なのです。まあ、苦しい練習に耐えて頑張った自分は好きになれますが・・・努力しているのは自分だけではナイので、勝つよりは負ける方が圧倒的に多いのです。しかし4年間の努力の甲斐あって、3回生にもなると運動能力は学内でトップクラスになりました。自分の体重と同じ80キロのバーベルを軽々と持ち上げ、走れば1500メートルを4分22秒、これはちょっと自慢できる数字です。しかし、ある時よくよく考えてみるとマラソンランナーって私が1500メートルを走るスピードで42.195キロを走っているのです。もうこれは練習で何とかできる範囲を超えてます。『スポ-ツに必要なのは素質だ』と痛感した瞬間でした。
あと、故障はいくら万全の準備をしていても突然やってきます。椎間板ヘルニアや膝に水が溜まったり・・・こういう時は焦らず『とにかくキチンと治すことに専念する』ことが大事です。ムリをすると残りの一生を『生まれもつかぬカタワ』として生きねばなりません。故障は『なる時はなる』と諦めて治療に専念すること、これが大事なことです。
尤もその論調が怪しく、散々メディアによるヤラセが横行しており、「捏造投稿」を疑われても仕方ありません。編集の時点で担当者が修正するのは当たり前。何だかんだ言っても地元勝利は気分がよいし、勝利至上主義を煽っているとしか思えません。スポーツ選手や体験者が言うならまだしも、明らかにそうでない者が新聞で偉そうに述べるのは不愉快です。
私のようにスポーツにあまり詳しくない者にはプロとアマの違いがよく分かりませんでしたが、明確な違いを教えて頂き有難うございます!プロ野球は勝利も大事ですが、お客さんに「見せる(魅せる)」ことが何よりなんですね。
何となくプロに対しアマは温いイメージがありますが、高校の全国大会やオリンピックはある意味ではプロより厳しい面もあります。先ず地方大会で勝たなければ全国大会にも出場できない。尤もアマがセミプロ化しているといった批判も結構聞かれますが。
共産圏のドーピングは曲例かもしれませんが、所謂「先進国」側のドーピングも大問題でしょう。選手一個人の問題ではなく組織ぐるみで行われているから、収まりそうにありません。
スポーツイノベーションの東大での講義は興味深いですよね。「ビジネスの成功を目指さなければ、日本のスポーツ界に未来はない!」は納得です。未だに根性論が蔓延る日本のスポーツ界の未来は希望が持てません。
大学の頃のmobileさんが、これほどのアスリートだったとは知りませんでした。元から運動能力があったにせよ、チャランポランな学生生活を送っていた者からすれば、素晴らしい!の一言です。しかし、その苦労は運動オンチには想像もつきません。『スポ-ツに必要なのは素質だ』の言葉には重いものがあります。
『とにかくキチンと治すことに専念する』ことは、日本のスポーツ界でとかく軽視されがちですよね。その結果、残りの一生を棒に振る選手が多すぎるのは痛ましい。