その①、その②、その③、その④の続き
日本ではネオコンに影響を与えた学者として不評だが、Kの定義に従えば米国のイスラム・中東史の第一人者バーナード・ルイスすら“偽物”となってしまうだろう。池内恵氏だけでなく、欧米のイスラム研究者全てにKは喧嘩を売っているようだ。
意外に知られていないが欧米人研究者の中には、中東諸国の現地の言語を満足に解せず、いい加減な調査で済ます者もいるのは確か。それでも専門家として通るのだ。日本に至っては一昔前は中東諸国の言語はもちろん英語もダメ、現地調査もロクにしない者が中東専門家としてまかり通っていた始末。
さすがにルイスは別格だし、エジプトに留学しアラビア語が出来る池内氏のような研究者がやっと一般的になってきた。それでも日本の中東研究者は、未だに反米のためにアラブに肩入れする左派が多い。
中東の諸言語が話せるならば、さぞKはイスラムに詳しいはずだが、『トルコのもう一つの顔』では不可解な箇所があるのだ。改めてこの新書を読み直したが、Ⅶ章でトルコ政府のお目付け役P氏とやり取りした個所を引用する。
「P氏が私に、宗教はなにかと質問した。「聖典の民」――ユダヤ教、キリスト教、回教のいずれかを信奉する者――でない者がトルコでこの質問に答えると長々とイスラームの講義が始まることが多い。夜を徹して宗教談義をする気にはなれなかったので眠くなったふりをしようかとも思う。
しかし質問に答えないのは失礼である。「仏教」と言ってもよかったのだが、どういうわけか「諸宗教混淆」と言ってみたくなった。ところが、あいにくトルコ語にはこの概念を表す言葉がない。フランス語に切り替えて「サンクレティスム」と答えたのだが、P氏がこの言葉を知らなかったので面倒なことになった。神道のことも仏教のことも道教や儒教のこともなにも知らない人にどうやってその混淆状態(サンクレティスム)を説明するか……。」(177頁)
熱心なイスラーム原理主義者であるP氏が、「サンクレティスム」を知らなかったのは幸いだった。例え氏がこの言葉を知っていたとしても、無信仰者または無神論者としか解釈しないはず。原理主義者ならずとも一般のムスリムに無神論者と名乗れば、大変なことになるのはイスラム研究者はもちろん、少しでもイスラムの知識がある人なら知っているはず。仏教など偶像崇拝の邪教に過ぎないが、それでも神の存在は認めているので、一応は人間扱いしてくれる。だが無神論者を名乗れば、人間扱いされなくとも文句は言えない。無神論者を公言して無事な日本とは全く違うのだ。
トルコ人に限らずムスリム知識人の大半は聖書も読んでおらず、ましてギーターや仏典に目を通した者は極めて稀である。特にイスラーム原理主義者ならば、他宗教に全く関心がないのは当り前。
このエピソードは1986年、Kが初めてトルコに来たのが確か1970年の秋と書いているから、十数年もトルコで調査しているのだ。ならばイスラーム原理主義者が如何なる連中なのか、知らない方がおかしい。P氏は粗野で無学な男に描かれており、どうせ読者は気付かないと見て、P氏を貶めるために「サンクレティスム」の件を持ち出したのか?
P氏をKが侮蔑しているのは文面から分るが、どうせならトルコ語でコーランの一節を言えばよかったのに……と思った。そうすれば氏も悪い感情はしないはずだし、政府への報告も悪いものにはならなかっただろう。尤も迂闊にコーランを唱えれば脈があると見なされ、しつこく改宗の勧誘をするだろうけど。
またキリスト教に関しても、イタイ箇所があった。まえがきにはこんな一文も。
「アルザスに住むようになって何ケ月かたったころ、ある友人が、悩み抜いたあげく「異宗教結婚」をすることにしたと言う。友人と婚約者とそれぞれの宗教を訊いてみたところ、片方はカトリック、もう一方はプロテスタントだということであった。どちらも同じキリスト教だとばかり思っていた私は、自分が宗教のことをなにも知らずにいたことに遅れ馳せながら気がついた。ずっとあとになって、離婚をためらう理由の一つに「教会に破門されてしまうから」というのがあることも知った」(ⅰ頁)
カトリックとプロテスタントの結婚では、どちらの教派でも認められないのは宗教学を学んだ学生でも知っている。現代でもカトリックはカトリック、プロテスタントはプロテスタント同士で結婚するのが大前提。どうしても「異宗教結婚」したいならば、相手を己の教派に“改宗”させることが最低条件。これは欧米に限らず日本でも事情は殆ど変らず、カトリックの女性ブロガーの記事にはこんな一文がある。
「カトリックのクリスチャンは、お相手がカトリックの洗礼を受けなければ、離婚歴のある方との結婚は教会法の法律上、することが出来ないのです」(2017-06-19)
女性は神父に、「彼が洗礼を受けないと、あなた自身がご聖体拝領をすることが出来なくなりますよ」(2017-06-20)とも言われたという。異教徒から見れば実に面倒くさいが、宗教の重圧の無い日本の方が世界的には珍しい。
ヨーロッパ思想を学ぶ者にはキリスト教が必修科目のはずだが、件の言語学者殿、一体何の目的でフランス留学したのか?少なくともラテン語は分るだろう。
その⑥に続く
◆関連記事:「仏教徒とムスリムの対話」
「イスラム世界はなぜ没落したか?」
「法王庁の共産主義対策」
中国もイスラムも何度も近代化=西欧化にチャレンジして失敗してますけど、どうも最近は開き直って自分達のやり方で良いんだ~と中世に先祖帰りしているように見えます。
インドは全然わかりません。基本的にイスラムとヒンズーの戦いはまだまだ続行中と思ってます。
中国やイスラム圏が中世に先祖帰りしている、という指摘は興味深いですが、欧米もまた19世紀に回帰する動きがありそうですね。そうなると日本も確実に影響を受けます。
インドでのイスラムとヒンドゥーの戦いは千年前から続いていたし、宗教暴動時てもお互いにお茶を飲んだりするところが日本人には理解できません。
ありとあらゆる場所や業界でトラブルを起こし、フランスにも日本にも居場所がない人です。
年齢のせいで最近はますます厄介になっています。
逆恨みで警察や訴訟沙汰になることも予想されます。お気をつけ下さい。
確かにあのブログ記事からは精神を病んでいるとしか思えません。但し、全ては自分自身で病気をつくり出した結果です。
貴方は小島氏の知人を自称していますが、「信者」の可能性もありますね。一見警告に見えても、これ以上もう書くな!という脅しに思えます。先に現れた「信者」も書込み時間は15:09だった。
今回記事を書いた以上、訴訟沙汰も覚悟の上です。尤もそれは小島氏自身にこそ当てはまる。本来なら名誉棄損に当たる書込みだし、匿名相手ならともかく、著名人にはかなりマズイ。小島氏があれだけ著名人へ罵詈雑言を繰り返しているのは、フランス在住ということがあるのでしょう。他国にいるため訴訟沙汰になることはないと見ており、その点では匿名と同じ。
2011年に反骨の言語学者だと紹介した東京新聞の谷岡聖史記者にも、小島氏の罵詈雑言ブログをどう見ているのか聞いてみたい気がします。谷岡さん、あなたがああいうおだてる記事を書いたばかりに、小島氏は図に乗って黛まどかさんより自分の方が文章は上手いと思い込んでいるのではないですか。
私は出版界や新聞社に勤めた体験はなく、勤めている知人もいませんが、この業界の人の感覚は一般の勤め人とはかなり違っているように思えます。松本功社長は老言語学者がWEB上で罵詈雑言を吐いているのを見ても、些事と無視すると思います。wikiにもひつじ書房の解説がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%A4%E3%81%98%E6%9B%B8%E6%88%BF
売れそうもない学術書を紹介する出版社は結構ですが、大手出版社と違い作者を甘やかすことになりそう。スター作家がいなければ出版社も経営できないから、作者は強気となる。案外小島氏の「信者」とは、出版関係者かもしれませんね。出版社お抱えの学者を持ち上げるため、一般人を装って絶賛するくらいのことはやりかねません。
海外在住が長く、何ヶ国語も話せる人でも年をとれば物忘れが激しくなり、ついには母国語しか話せなくなる人もいるそうです。いくら語学の天才でも、脳の老化からは逃れられない。ラズ人と接していなければ、どんどんラズ語を忘れてしまうかも。
自分の書いた記事に責任を取らないのが新聞記者です。尤もこの現象は日本に限らずフランスの知識人も同じようで、フランスのベストセラー小説『服従』にはこんな一文がありました。
「20世紀にはあれほど多くの知識人がスターリンや毛沢東、ポル・ポトを支持したが、彼らはそれを非難されずに来た。フランスではそもそも責任という観念は、知識人には無縁なのだった」
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/40c59499e92619d9f05e72849399680c