トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ああ、おフランス症候群 その一

2016-04-21 21:10:34 | 歴史諸随想

 インド・中東オタクとなって久しい歴女おばさんの私だが、子供時代に大好きな国はフランスだった。とにかくフランスといえば豊かな文化と芸術の国であり、自由・平等・博愛という観念を生み出した西欧文明の中心地といったイメージしかなかった。私のフランスへの強い憧れも、実は小学生の頃に見たベルばらの影響だったし、フランス人といえば、ベルばらに登場するキャラのような人々だろうと思い込んでいたほど。
 今にしてみれば、あまりにも子供じみた思い込みだが、70年代にはネットはおろかファミコンもなかった時代である。当時の子供たちにとってTVや漫画は最大の娯楽であり、現代よりも重要な情報源だったと言える。

 ベルばらがきっかけで、小学校の図書館にあった「フランスの歴史」を読んだこともあった。世界史には殆ど知識がなかったため、理解し難かったし内容は殆ど忘れてしまったが、「奇妙なスパイ事件」という章だけは印象に残っている。後にそれがドレフュス事件だったことを知るが、ユダヤ人問題も分らなかったため、これまた遠い国の出来事にしか感じられなかった。
 70年代は少女漫画の黄金時代。ベルばらの他にも優れた作品やТV番組が目白押しだったため、ベルばら熱も醒め興味は他の漫画に移っていく。それでもフランス好きには変わりなかったが、皮肉なことに私がフランスへの関心を決定的に失ったのは、ベルばら創作の元になったS.ツヴァイクの歴史小説『マリー・アントワネット』を見たことが原因だった。

 私がツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んだのは14歳で、当時は中学二年生。私が読んだのは河出書房新社の単行本で、翻訳者は関楠生池田理代子氏がツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んでベルばらを描きあげたことを知り、書店にあったこの本を買って読んだ。たぶん私が初めて読んだ翻訳歴史小説だったと思うが、先にベルばらを見ていたこともあり、中々面白かった。
 しかし、ベルばらには登場しなかったアントワネットお気に入りの女官ランバル公妃の最後は衝撃的だった。ランバル公妃は九月虐殺(1792/9/2)で惨殺され、ツヴァイクはその様子をこう描いている。
暴徒たちの2人がずたずたに切り刻まれた裸の胴体の足を引きずり、1人は血塗れの臓腑を手で高々と掲げ、さらに1人が切り落とされた公妃の首を槍先に突き刺し、先頭に押し立ててパリ中を行進した…

 何処の国も暗部の歴史を持つが、ランバル公妃の死はあまりにも惨すぎる。それまでフランス革命の犠牲者と云えば、せいぜいギロチンで処刑された程度に思っていたため、この虐殺は衝撃的だった。日本の戦国時代でもここまではやらなかったはずだし、東北の小娘の理解を完全に超えていた。
 ツヴァイクは触れなかったが、『ヴェルサイユ宮廷の女性たち』(加瀬俊一著、文藝春秋)にはランバル公妃の遺体はさらに損壊を受けていたことが次の一文から伺えた。「陰部を切り取り、陰毛で口髭を付けた男もいる…」。

 九月虐殺から百年も経ない1864年11月29日、アメリカ大陸ではサンドクリークの虐殺が起きており、この時インディアン女性の遺体も同じ辱めを受けたことがwikiにも載っている。
子どもも合わせた男性の陰嚢は「小物入れにするため」切り取られた。男性器と合わせ、女性の女性器も「記念品として」切り取られ、騎兵隊員たちはそれを帽子の上に乗せて意気揚々とデンバーへ戻った

 白人がインディアンの遺体を損傷したのは、殲滅すべき非キリスト教徒の蛮族と見ていたからだ。しかし、ランバル公妃を虐殺したのは同じフランス人のキリスト教徒であり、より陰惨な印象を受ける。
 ベルばらで描かれた十月行進に参加したおかみさんたちは、子供心にもインパクトがあった。「見ておいで、この鎌で王妃の首をちょんぎってやる」、と鎌をかざす女、「あの雌狼め、待っているがいい」と言う剣を持った女。群衆の中には、「見つけたら包丁で、あのあばずれ女の腹を引き裂いて、内臓を引っ張り出してやるんだ」と叫ぶ女までいた。
 まさに鬼女集団そのもので、私がベルばらで最も恐ろしいと感じたシーンである。天然痘で顔の崩れたルイ15世や骸骨と化したアランの妹の腐乱死体よりも、十月行進のおかみさんの方が私には怖かった。

 尤も小学生の頃にこの場面を見た時は、群衆心理特有のハッタリ程度に思っていたが、フランス革命で実際に行われていたとは想像も出来なかった。ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を見た時点で、私は聖バルテルミーの虐殺を知らなかったが、欧米のような牧畜文明圏では、敵の死体への損壊行為は特に珍しいことではなかったようだ。
 いずれにせよ、ツヴァイクの歴史小説によって、文化と人権の国というフランスのイメージは完全に崩壊した。別にそれでフランスが嫌いになった訳ではない。ただ、以前のような憧憬の目で見ることはなかったし、関心を失ったのは確か。
その二に続く

◆関連記事:「聖戦ヴァンデ
 「マリー・アントワネットの子供たち

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る