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国王の父より息子への44章の教訓 その②

2007-11-09 21:20:20 | 読書/中東史
その①の続き
『カーブースの書』となっているが、これは著者の祖父の名であり、カイ・カーウースこそが作者名である。この書は元来「教訓の書」「忠言の書」として知られたが、現代は『カーブースの書』になっている。命名の由来は不明だが、祖父名にちなんだか、著者名カーウースがアラビア語化してカーブースになったと言われている。著者カイ・カーウースはカスピ海南岸地域タバリスターン及びグルガーンを支配した地方王朝ズィヤール朝(927-1090年頃)第7代の王(在位1049-?)だった。最盛期にはタバリスターン、グルガーンの他ギーラーン、レイ(現テヘラン州)と広大な地域を領有したこともある。この王朝の君主で最も名高いのは著者の祖父である第4代王カーブース(在位978-1012)だった。彼は軍事より文化史上で名を謳われており、学者の保護者としても知られている。

 だが、著者カーウースの時代、ズィヤール王朝の勢力はすっかり衰えており、この小王朝を取り巻く政治情勢は極めて厳しかった。11世紀前半、東にはガズナ朝のスルタン・マフムード(在位998-1030)の強大な勢力があり、西には最盛期を過ぎたといえ、ブワイフ朝の存在があった。この二大勢力に挟まれたズィヤール王朝はガズナ朝に加担し、著者はマフムードの娘を妻に迎えている。著者が在位した11世紀後半となれば、セルジューク朝が破竹の勢いで南下、覇権を握るようになる。

 このような戦乱の時代、名門ではあっても弱小のズィヤール朝は周辺勢力に翻弄され続け、カーウースは王者よりも、むしろ地方豪族の長に近かった。著者はガズナ朝や他王朝のスルタンに側近として仕えたこともある。現実主義者であり、賢明な彼はズィヤール朝の運命が風前の灯火同然であるのを認識しており、晩年の彼は息子ギーラーン・シャーの代に王朝が崩壊するのを予見、我が子がいかなる運命、人生を辿るにせよ、それに対応するだけの処世術、知識を授けておきたいとの父性愛から、この書を書いたのである。彼の心配は杞憂ではなく、彼の子ギーラーン・シャーは1090年頃、セルジューク朝またはイスマーイール派に倒されたと言われる。著者が『カーブースの書』を残さなかったなら、彼とその子の名は歴史上から忘れ去られただろう。

 乱世をつぶさに見てきた著者だけに、29章「敵に対する警戒について」は現代においても実に教訓的だ。
息子よ、敵をつくらぬ様に努力せよ。だが敵がいても、怖れたり悲しむな。敵がいない人は敵の意のままになりやすい。秘密裡であれ、公然であれ、敵がすることに油断するな。また敵の邪な行動に安心せず、常に敵を謀り、害を加える策を練れ。いかなる場合でも敵の策略、謀りごとに油断せず、敵の状態と考えを探り、自分の耳と心でそれを知れ…
 そなたの備えが万全にならぬうちは、敵に敵意を示すな。敵には傲然たる態度をとり、たとえ倒れても熱意と勇気でことに当たり、自らを敗者に見せるな。また敵の巧言、親切を信用せず、敵に心を寄せず、彼の綱で井戸に降りるな。敵から砂糖を貰っても、毒だと思え。強力な敵にはいつも恐れを抱け…


 敵をあまり侮るな。いかなる場合にも敵を信用するな…いかなる敵にも心を許したり、友情を結ぶな。だが、友情らしきものを示せ。見せかけが事実になるかも知れない。敵意から友情、友情から敵意が生まれることもある。味方の数を敵の2倍にするよう努力せよ。そして味方は多く、敵は少ないようにせよ…

 どうです?日本の戦国武将でもこれほど用心深い者は意外に少ないかもしれない。まして、現代日本の政治屋センセイはともかく、日本より隣国の平和のために尽力している反核平和団体なら到底受け入れない箇所であり、封建時代の悪しき慣習、思想と決め付けるかもしれない。著者は伺候したガズナ朝スルタンと共にインド遠征もしたことがあるが、詠んだ詩は所謂“タカ派”には程遠い。
死が敵より煙を上げても、何故煙に早く喜んだのか。汝も死に消し去られるのに、他人の死を何故喜ぶのか。

 著者は42章「王権の規律について」で、軍人についてこう述べている。11世紀にも文民統制的な考えを持つ者もいたのだ。
軍人に国民を支配させてはならぬ。国は栄えぬであろう。軍隊の福祉を守ると同時に国民の福祉も守れ。何故なら王は太陽と同じで、一人を照らし、他を照らさぬのはよくない。国民を軍隊で服従させることが出来るとすれば、軍隊も国民によって維持できる。国は国民によって繁栄する。彼らから税収が得られるからである。また国民は正義によって定住し栄えるのであるから、不法、不正を心に抱くな…軍隊や国民を大切にすることを怠るな。怠れば敵を利することになろう。

 第9章で著者は老いを嘆いている。自身の老いについて謳った詩は悲痛なものがある。
老齢の掌中にある無能なカーウース。旅路に備えよ、齢もはや63歳。汝が日は午後の祈りに達した。祈り過ぎれば、夜が急速に訪れる。
ああ、老いの嘆きを誰に訴えん。後悔の他、この苦悩を癒す術なし。老人よ、来たりて我が嘆きを聞け。若者にこの様子を知るよしもなし。
その③に続く

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぐうたら堕天使 (mugi)
2007-11-13 22:28:36
こんばんは、Mars猊下。

「敵を知り、己を知る」と兵法では説いてますが、これは容易ではないですよね。
敵を過小評価もよくないし、過大評価も判断を誤る。冷静に判断するのは百戦錬磨の武将といえども難しいのかも。
「敵の巧言、親切を信用せず、敵に心を寄せず」は、平和ボケの日本人には殊に難しいでしょうね。子供の頃から「友好」で教育されるから。

>それも、文民統制の名の下、軍隊も国民も大切にしない国家もそんざいしますから。
まさにその通りですね。そんな状態は「敵を利することになろう」。国がそれなら、国民も不法、不正を心に抱くようになる。

人間誰しも美酒、美食、美しい異性に憧れますが、たとえそれを体験したとしても満足できないからやっかいです。
国王の父が息子に盛んに諭しているのは、君主の立場にあったからこそ。

追伸、
紹介されたサイトですが、「虐殺しても税収減るしな・・・」「税率上げたら地方で一揆起こるし俺涙目www」は笑えます。魔王も楽ではない。
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煩悩大魔王 (Mars)
2007-11-13 21:36:05
こんばんは、mugi大司教。

兵法にも、敵を侮る事は禁物ですが、必要以上に畏れる事も禁物とされています。
また、相手の外交官が有能であれば冷淡に扱い、無能であれば厚遇する、というものもあります。
これだと、反対のように思われるかもしれませんが、実は、有能な外交官を失敗しだと君主に判断させ、重く用いられないようにするためでもあり、反対に無能であれば、買収して、自分に有利なように利用する。
でもこれは、恐らく、兵法に通じた戦国武将ならば、理解できたでしょうけど、実践できたかどうかといえば、、、ですね。

恐らく、古今東西を問わず、軍人支配の政体よりも、文民統制の政体の方が、より健全だと思いますが。
それも、文民統制の名の下、軍隊も国民も大切にしない国家もそんざいしますから。
>不法、不正を心に抱くな
とは、現代の我々が失ったものの、最大級ではないでしょうか??

自分は、酒にも、美食にも、女性にも、溺れたい超煩悩人ですが、、、(汗)。
日本人でなくても、親兄弟、夫婦、友人の間で、和があればよいことは解っているようですが。
ただ、解っていても実践できないのは、古今東西、同じなのかもしれませんね

追伸、
mugi大司教陛下が治める世界では、こんなことはありえませんよね??
http://kumaniki.blog76.fc2.com/blog-entry-297.html
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