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国王の父より息子への44章の教訓 その①

2007-11-08 21:22:07 | 読書/中東史
 十年以上前、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(新潮文庫)という本がベストセラーになった。アメリカ人ビジネスマンが息子に様々な人生指南を書いたものであり、人種、文化は異なっても父性愛に共感された方も多かっただろう。息子に対し、教訓の書を書いた人物は11世紀のペルシア(イラン)にもおり、『カーブースの書』と呼ばれている。著者は国王だが、息子への愛情は現代庶民と殆ど変わらず、その処世術は現代でもかなり通じるものがある。

 現代でも教訓になるところが多い『カーブースの書』だが、さすがに11世紀末(1082-83年)に書かれたゆえ、かなりイスラムへの信仰に言及する箇所が目立つ。著者の文面から敬虔さが知れ、序文は「大慈大悲のアッラーの御名において」の一文で始まる。言うまでもなくコーランの一章を除く全ての章の始まりの句で、決まり文句のようなものである。「音読するもの」の意味であるコーランは邦訳すると、どうしても仰々しくなりがちだが、聖音を唱えて本題に入るのはイスラムに限ったことではない。それでも、一々神の御名を唱えて書を記していた中世人の精神は、現代日本人とはかけ離れている。

 序文には書き手の目的の真意が表れるものである。著者は「知れ息子よ」の書き出しで各章を飾っている。序文の一部から抜粋。
知れ、息子よ。私は老いてめっきり衰えてきた。我が顔にも髪にも人生への別離の辞が刻まれているのが見られ、いかに望んでもそれを拭い去ることは出来ない…私が父性愛からそなたにこれを授けるのは、時の手で押し潰される前に、そなたが自ら知性の眼で我が言葉を視て、これらの忠言によって傑出し、両世界(現世と来世を指す)における名声を得てもらいたいからである…時代の風潮として、息子は父の忠言を実践しない。それは若者の心に火の様な熱情があって、愚かしくも自分の知識が年寄りの知識より優れていると思い込んでいるからである。私にはこのことが分かっているが、父性愛から黙っておれない

 序に続く1章から4章までは全てイスラムへの信仰に対するものなので、当時の教養人が宗教をどう捉えていたのか知れるが、イスラムに無関心の異教徒には退屈に感じるかもしれない。5章名は「父母の恩を識ることについて」で、これ以降は43章までは人生の処世術が記される。
 5章に興味深い文句がある。「両親が私に何の権利がある。彼らはただ欲望だけが目的で、私のことなど念頭になかった」。現代でも「勝手に産んだのではないか」と親に言う子がいるが、中世イランも同じだったらしい。実は私も十代の頃、母とケンカして「勝手に産んだ」と今にして思えばひどいことを言った時がある。序文でも見えるが、中世のイラスム圏でも若者は生意気だったようだ。

 著者はこう記すが、孝行は儒教ばかりではない。逆に視れば、現代に至るまで世の中は親不孝者で溢れているとなる。
欲望のことはさておき、親は子に非常な愛情を注ぎ、多くに堪えた…子は幼い間父母の導きと愛情を受けぬ訳にはいかない…息子よ、父母の心配をないがしろにするな。偉大なる神は父母の恩を認めるように仰せられた…そこで父母を宗教上で敬わぬなら、人道上から敬いなさい。父母は善の源、養育の根本である。孝養に欠けたら、そなたはいかなる善にも値しないであろう。根本への恩を識らぬ者は枝葉の善も分からない…

 6章では教養の大切さを説いている。「名誉は知と礼にありて、氏、素性にあらず」と諺を引用している。教養のない高貴な氏、素性の人は素性も教養もない人より悪いと。
ひねくれて育ったひとがいたら、正そうとするな、出来ないであろう…人は言葉より金品に魅せられるからだ…他人に自分の悲しみを喜ばれぬためには、他人の悲しみを喜ぶな…公正をうるためには公正を与えよ…恩知らずに善を施すは塩沢に種を撒くことである。だが善行に値する人には善行を惜しむな…

 著者は27章でも子供の養育方について、詳細に書いている。著者自身、王子時代に学問の他にも武芸百般を教えられたという。面白いことに著者は技能が最善の教養と言っている。技術、技能はいつか実を結び、無駄にならない、と。章にはペルシアではアケメネス朝以来、貴族の子弟が技術を習得していたことが書いてある。技術を知らぬ貴族はなく、たとえ必要がなくとも習慣としてきたという。祖先や武勇は何の役にも立たない場合が多いからだ。
 これ程教育の大切さを説いている著者だが、奇妙なことに大きな禍の元となるので娘には読み書きを教えるな、と言っている。ここが女子にも高等教育を施した同時代の日本の平安貴族と異なる。平和な日本と乱世のペルシアの相違だろうか。
その②に続く

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