その①、その②の続き
『カーブースの書』からは11世紀イランの風俗も浮かび上がってくる。11章名はずばり「飲酒の作法について」、それに関連する12章「客の接待及び客になることについて」で宴会の作法に触れている。この2章を見ただけで、当時のイランでは禁酒法時代のアメリカより公然と酒が飲まれていたのかが判る。11章での著者の忠告は面白い。「私は飲めとは言わぬが、飲むなと言えない。若い者は他人の言葉で自分の行為を慎まぬからである…そなたが飲まぬにこしたことはないが、そなたも若いことだし、友が飲まずに放っておかないことも私は存じている」。父自身も「私も色々言われたが聴かず、50の坂を越してやっと神のお慈悲で後悔を授かった」有様。「食べ過ぎになるひと口の食物、泥酔になる一杯の酒を慎め」は現代人でもあまり守れない。
人間にとって恋愛は不変の関心事だが、14章「恋愛について」での著者の恋愛観は、さすが人生の酸いも甘いもかみ分けた人物らしい。
-人は繊細な気質でなければ恋をしない。というのは恋は感じやすい心からおこる…恋は微妙であるから、繊細な心に生まれる…鈍重で重苦しい心の人は決して恋をしない。恋は快活な心の人が多くかかる病気だからである…恋の本質は悲哀、心痛、苦悩だからである。その悲哀は心地よいといえ、もし恋人と別れたら苦悶しよう…友情と恋とは別である。恋をする人には幸福はない。かつて恋をした男が自分の気持をこう詠んだ「愛しき者よ、恋の炎が愉しいか。燃えさかる炎に喜びを見た者なし」。
恋愛についてシビアなことを書く一方、著者はこんな詩を作っている。
-心身ともに健やかな者は、アズラー、ワーミクであるべきだ。そうでない人は偽善者で、人を恋せぬ者は人にあらず。
アズラー、ワーミクとはペルシアのロマンス文学での恋人同士。著者は息子にもし人を愛するなら、愛に値する者でなくてはならぬと説いているが、理性で制御できないのが恋なのだ。当時の医師が恋の病の治療として、断食、重い荷を運ぶこと、長期旅行を挙げているが、忙しい現代人には難しいかもしれない。
26章「妻を娶ることについて」では、顔の美にこだわらず、人柄を重視せよと言っているのは興味深い。王者なので美貌の妾を囲う財力があるにせよ、良妻の条件とは「貞淑で清い信仰を持ち、家事が上手で夫を愛し、慎み深く敬虔で、口数が少なく、物を大切にする者」。与謝野鉄幹ではないが、庶民なら「妻を娶らば 才たけて みめうるわしく 情ある」が理想だが、いずれにせよ、そのような女は滅多にいない。さらに著者の女性観も鋭い。
-妻にいかなる嫉妬も見せぬように心掛けよ。嫉妬する位なら娶らぬ方がましである。というのは女に嫉妬を見せることは不貞を教えるようなものだ。女は嫉妬のために多くの男を滅ぼすが、またごく僅かな人のために吾が身を犠牲にすることも知れ。女は嫉妬や憤りを怖れない…もし嫉妬を見せたら、彼女は千人の敵よりも敵意を抱く…
老婆以上の老婆心に溢れる著者は15章「姓の愉しみについて」と、性生活の指南まで書いているのは笑えた。「夏には若者、冬には女を可愛がれ」とあり、日本の戦国時代のように中世のイスラム圏では男色が普通だったのが知れる。この場合の若者とは、主にトルコ系の美少年奴隷であり、イスラム世界の少年愛はwikiにも詳細に記されている。現代イランは同性愛に最も厳しい国となったが、近代までは逆に西欧の方が同性愛に厳格だった。
そして著者は馬や家屋、土地の購入の仕方、4月にも記事にしたが、奴隷購入についても細かく指示している。神学者、法学者、占星術師や数学者、医師、詩人、楽師、王の侍従、書記、宰相、将軍、果ては農夫や職人…様々な職業及びその職業に付いた時、その仕事や同僚や上司への対処法まで記している。息子にくどいほど書き連ねたのは、案外出来のよくない息子だったかもしれない。
戒律が厳しいイスラム圏では、罪人への処罰も厳格とのイメージがある。しかし、著者は厳罰主義者ではなかったようだ。
-息子よ、人がどんな罪を犯しても処罰すべきだと思うな。罪を犯す者がいたら、自らの心にその者の罪の許しを求めよ。彼もまた人間である…無実の者を罰しないためには無暗に処罰を行うな…一旦許したからには、彼を責めたり、罪を思い出せるな。それでは許さぬと同じであろう。そなたも許しを乞う必要があるような罪を犯さぬように心掛けよ。(30章)
著者が宗派の異なる者をどう見ていたのか、実に興味深い。9月の記事で触れたが、同じ時代の西欧の君主にこんな考えはなかった。
-宗派に熱心のあまり、他宗派の者を異端者と呼ぶな。異端は信仰に対立し、宗派とは対立しないからである。馴染めない本や知識を否定するな。知らないことが何でも異端とは限らない…(44章)
また、著者が貪欲について語ったことは、仏教の少欲知足に通じるものがある。
-人が心から貪欲を捨て、満足を旨とすれば、世人に依存しなくなる。そこで世の中で最も立派な人とは他人に依存しない者であり、最も下劣な者は貪欲、依存の人である。人が自分を同類の奴隷にするのは貪欲、依存のためである…(44章)
『カーブースの書』からは著者の深い教養が伺える。「私は知識の漫歩者に過ぎない」(30章)と語っているが、現代の学者でもここまで範囲な学識を持つ者は至って少ないと思える。当時イスラムが世界の最先端をいっていたのが、改めて判る書物だ。この書を読んで感銘を受けた人物の一人に文豪ゲーテがいる。「これ程優れた、評価を絶した書物」と絶賛、「我が同胞のために、どんな立派な宝が調えられているのかを知ってもらうため」、『西東詩集』の注記・論考にこの書を採り上げている。
■参考:『ペルシア逸話集』(平凡社東洋文庫134)から
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『カーブースの書』からは11世紀イランの風俗も浮かび上がってくる。11章名はずばり「飲酒の作法について」、それに関連する12章「客の接待及び客になることについて」で宴会の作法に触れている。この2章を見ただけで、当時のイランでは禁酒法時代のアメリカより公然と酒が飲まれていたのかが判る。11章での著者の忠告は面白い。「私は飲めとは言わぬが、飲むなと言えない。若い者は他人の言葉で自分の行為を慎まぬからである…そなたが飲まぬにこしたことはないが、そなたも若いことだし、友が飲まずに放っておかないことも私は存じている」。父自身も「私も色々言われたが聴かず、50の坂を越してやっと神のお慈悲で後悔を授かった」有様。「食べ過ぎになるひと口の食物、泥酔になる一杯の酒を慎め」は現代人でもあまり守れない。
人間にとって恋愛は不変の関心事だが、14章「恋愛について」での著者の恋愛観は、さすが人生の酸いも甘いもかみ分けた人物らしい。
-人は繊細な気質でなければ恋をしない。というのは恋は感じやすい心からおこる…恋は微妙であるから、繊細な心に生まれる…鈍重で重苦しい心の人は決して恋をしない。恋は快活な心の人が多くかかる病気だからである…恋の本質は悲哀、心痛、苦悩だからである。その悲哀は心地よいといえ、もし恋人と別れたら苦悶しよう…友情と恋とは別である。恋をする人には幸福はない。かつて恋をした男が自分の気持をこう詠んだ「愛しき者よ、恋の炎が愉しいか。燃えさかる炎に喜びを見た者なし」。
恋愛についてシビアなことを書く一方、著者はこんな詩を作っている。
-心身ともに健やかな者は、アズラー、ワーミクであるべきだ。そうでない人は偽善者で、人を恋せぬ者は人にあらず。
アズラー、ワーミクとはペルシアのロマンス文学での恋人同士。著者は息子にもし人を愛するなら、愛に値する者でなくてはならぬと説いているが、理性で制御できないのが恋なのだ。当時の医師が恋の病の治療として、断食、重い荷を運ぶこと、長期旅行を挙げているが、忙しい現代人には難しいかもしれない。
26章「妻を娶ることについて」では、顔の美にこだわらず、人柄を重視せよと言っているのは興味深い。王者なので美貌の妾を囲う財力があるにせよ、良妻の条件とは「貞淑で清い信仰を持ち、家事が上手で夫を愛し、慎み深く敬虔で、口数が少なく、物を大切にする者」。与謝野鉄幹ではないが、庶民なら「妻を娶らば 才たけて みめうるわしく 情ある」が理想だが、いずれにせよ、そのような女は滅多にいない。さらに著者の女性観も鋭い。
-妻にいかなる嫉妬も見せぬように心掛けよ。嫉妬する位なら娶らぬ方がましである。というのは女に嫉妬を見せることは不貞を教えるようなものだ。女は嫉妬のために多くの男を滅ぼすが、またごく僅かな人のために吾が身を犠牲にすることも知れ。女は嫉妬や憤りを怖れない…もし嫉妬を見せたら、彼女は千人の敵よりも敵意を抱く…
老婆以上の老婆心に溢れる著者は15章「姓の愉しみについて」と、性生活の指南まで書いているのは笑えた。「夏には若者、冬には女を可愛がれ」とあり、日本の戦国時代のように中世のイスラム圏では男色が普通だったのが知れる。この場合の若者とは、主にトルコ系の美少年奴隷であり、イスラム世界の少年愛はwikiにも詳細に記されている。現代イランは同性愛に最も厳しい国となったが、近代までは逆に西欧の方が同性愛に厳格だった。
そして著者は馬や家屋、土地の購入の仕方、4月にも記事にしたが、奴隷購入についても細かく指示している。神学者、法学者、占星術師や数学者、医師、詩人、楽師、王の侍従、書記、宰相、将軍、果ては農夫や職人…様々な職業及びその職業に付いた時、その仕事や同僚や上司への対処法まで記している。息子にくどいほど書き連ねたのは、案外出来のよくない息子だったかもしれない。
戒律が厳しいイスラム圏では、罪人への処罰も厳格とのイメージがある。しかし、著者は厳罰主義者ではなかったようだ。
-息子よ、人がどんな罪を犯しても処罰すべきだと思うな。罪を犯す者がいたら、自らの心にその者の罪の許しを求めよ。彼もまた人間である…無実の者を罰しないためには無暗に処罰を行うな…一旦許したからには、彼を責めたり、罪を思い出せるな。それでは許さぬと同じであろう。そなたも許しを乞う必要があるような罪を犯さぬように心掛けよ。(30章)
著者が宗派の異なる者をどう見ていたのか、実に興味深い。9月の記事で触れたが、同じ時代の西欧の君主にこんな考えはなかった。
-宗派に熱心のあまり、他宗派の者を異端者と呼ぶな。異端は信仰に対立し、宗派とは対立しないからである。馴染めない本や知識を否定するな。知らないことが何でも異端とは限らない…(44章)
また、著者が貪欲について語ったことは、仏教の少欲知足に通じるものがある。
-人が心から貪欲を捨て、満足を旨とすれば、世人に依存しなくなる。そこで世の中で最も立派な人とは他人に依存しない者であり、最も下劣な者は貪欲、依存の人である。人が自分を同類の奴隷にするのは貪欲、依存のためである…(44章)
『カーブースの書』からは著者の深い教養が伺える。「私は知識の漫歩者に過ぎない」(30章)と語っているが、現代の学者でもここまで範囲な学識を持つ者は至って少ないと思える。当時イスラムが世界の最先端をいっていたのが、改めて判る書物だ。この書を読んで感銘を受けた人物の一人に文豪ゲーテがいる。「これ程優れた、評価を絶した書物」と絶賛、「我が同胞のために、どんな立派な宝が調えられているのかを知ってもらうため」、『西東詩集』の注記・論考にこの書を採り上げている。
■参考:『ペルシア逸話集』(平凡社東洋文庫134)から
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