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纏足とサティー

2008-06-27 21:27:15 | 歴史諸随想
 千年以上に亘り20世紀初頭まで続いた中国の奇習・纏足は、何故前世紀で完全に廃れてしまったのか、私には不思議だった。いかに激動の時代といえ、あれ程あっけなく纏足文化が消滅したのは何故なのか。先日読んだ『金瓶梅』(日下翠著、中公新書1312)には、中国人文学者や研究者の誰一人これが滅んだことを残念だと言った者がなかったとあり、ますます不可解だと感じた。

 現代中国の作家・馮驥才(ふうきさい)は小説『三寸金蓮』の日本語版(亜紀書房、納村公子訳、1988年)の序文に、こう記していた。
-この小説は古い時代の表現をとりながら、中国の現実を鋭く突いたものです。古い文化を提示し、どのような形態で中国人の心を束縛しているかを『三寸金蓮(纏足)』をもって象徴したのです。心の束縛こそ最も根深いものであり、それ自体が悲劇でありながら、そこから離脱した時さらに一連の悲劇の過程を引き起こします。私は『三寸金蓮』の運命を民族の運命として書きました…

 馮驥才は纏足を古い中国の心の束縛の象徴として描いてはいるが、従来の革命文学と異なりそれを一方的に打倒すべく悪の対象とはしていないそうで、日下氏はそこが異色だと見る。「我々は古いもの全て、何の心の痛みもなしに棄て去ったのだろうか。何の未練も感じなかったのだろうか」と言った所に、日下氏は価値があると言う。
 むろん、馮は纏足を賛美しているのでも復活を望む気持があるのでもないらしい。だが古い時代を懐かしむという、人間としての当り前の感情さえこの40年間は認められぬ状況だったということは、共産党政権下の恐ろしさをまざまざと感じさせられた。文革時代に纏足消滅が完了したとされる。

 馮驥才はまた『陰陽八卦』という作品もあり、彼は「(中国文化)自身を封鎖するシステム」を描いたと言っている。彼は日本語版序文でもこう書いた。「中国人は世界を認識するのに、陰陽五行八卦の類を用い、分け道理立て、解きほぐし、殆ど天下の全てを明らかにした」(亜紀書房、納村公子訳、1992年)。つまり、中国人は陰陽五行により宇宙の森羅万象尽くを説明できるが、それは何一つ理解したことにならず、これが中国の科学発展を妨げ、物事を究明する気を失わせたとのことだ。

 馮の意見は己の民族的欠陥を勇敢に突いた、との評価を受けやすい。しかし、私は彼の主張もまた、「古いもの全て、何の心の痛みもなしに棄て去」ろうとする一環ではないか、とも思えてしまう。儒教や陰陽五行にマルクス・レーニン主義が取って代わり、文化人もまた政府の方針に迎合するように。欧米社会も聖書を用い世界を認識、分け道理立て、解きほぐしているのである。辮髪もまた消滅した風習だが、蛮族と蔑んでいた満州族の髪型が短期間で漢族に根付いている。『回教から見た中国』(張承志著、中公新書)でも作者は、「儒教が原因で、中国人は素晴らしい伝統と思想、文化を有する一方、理想と信仰を平気で放棄する不誠実な傾向をも確かに持っている」と書いていた。以前は異教を認めぬムスリムの頑なさゆえだろうと感じていたが、あながちそればかりではなかったようだ。

 長い歴史と文化を誇る中国のような国では、それが重荷であり束縛でもある半面、己のアイデンティティーの根源にも関る重大な問題でもある。ただ、そのような状態にあるのは中国ばかりではなく、インドも事情は同じなのだ。中国の纏足は消滅したが、恐るべきサティー(未亡人殉死)の因習は現代も根絶されない。サティーが目立ってくるのは中世以降であり、心を痛めたヒンドゥーのラージャやムガル朝皇帝が度々禁止令を出すも、効果はなかった。イギリス統治時代、ラーム・モーハン・ローイはじめ数多くの社会活動家が尽力しても、廃止を徹底させられなかった。

 サティーとは貞女の意味もあり、纏足と異なり宗教要素が強く絡んでいる。『ヒンドゥー教』(森本達雄著、中公新書)に著者がインド留学中、半世紀近くも前にせよ、サティーを讃えるインド男の言葉を聞き、愕然とさせられたと書いている。サティーと並びダウリー(持参金)も問題となっており、後者は古代から続いている上、金銭も関係しているので解決は絶望的と思える。経済成長著しいインドだが、ついにダウリーはこれまでそれがなかった低カースト層まで広がり、ダウリー不足のため新婦が虐待、殺害される事件まで起きている。インドの女性活動家たちも何もしない訳ではないが、宗教と金が結びついているため、お手上げ状態なのだ。未亡人が殉死すればその財産が男の親族のものになり、サティーがあった場所は観光名所となることもあるという。

 一方、纏足は仮にそれが認められ、痛い思いをして足を小さくしたところで、今時嫁の貰い手があるだろうか。金銭的にも全くメリットがないのだ。伝統の継続は結構なことだが、因習さえ続くこともある。もしかすると伝統や文化が続く最大の要因は、信条や宗教、政治体制の他に経済的影響が少なくないのかもしれない。

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2 コメント

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士大夫 (Unknown)
2008-06-28 12:04:08
纏足も辮髪も儒教も士大夫層の文化なんでしょう。大多数の農民層では無関係だったのでは。
士大夫は、漢字使える人々であり国を構成する人々でありその血統は代わっても中華文明の伝統を受け継ぐ人々であり狭い意味での中国人です。中国の支配カーストや支配民族といってもいいかもしれません。
この層は太平天国~文化大革命で攻撃対象となりました。文化が滅んだ以上に民族浄化のように人々ごと消えてしまったのかもしれませんね。
(中国は書物を残すのが士大夫だけなので実態が分からないんですよね。古代ローマや日本なら幅広い層が書物を残しているのですが。)
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文字の獄 (mugi)
2008-06-28 20:35:02
>Unknownさん

wikiには纏足ははじめ上層部の習慣だったのが、次第に農村部まで広がったとあります。ただ、客家人の女性は働くことを奨励されていたので纏足はせず、「大足女」と揶揄されていたとか。『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著)にも、姑は真っ先に嫁の足を見て、もし大きかったら侮蔑の目で見たと書かれていました。当時の価値観では纏足しない女は醜女の典型だったはず。禁止されているにも係らず、満州族女性の一部にも纏足を真似することがあり、それが昔の絶対「美」だったと思います。

回族さえ漢族と同じく辮髪をしているし、アメリカに渡った中国人移民も辮髪をしていたので、士大夫層だけの習慣とは言えないと思います。
仰るとおり書物を残すのは士大夫階級ですが、王朝が変わった時や、乾隆帝時代さえ「文字の獄」という思想弾圧、禁書を行っており、書物は公式発表ばかりとなりがちですね。
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