トーキング・マイノリティ

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多文化共生不能物語

2007-06-26 21:26:26 | 読書/小説
 1947年8月の印パ分離独立は夥しい死傷者と難民を生み出す。印パ双方の作家たちがその時代を描いているが、パキスタンの作家サアーダット・ハサン・マントーの短編にも見事な作品がある。このタイプの小説は「動乱文学」とも呼ばれるが、多文化共生がいかに不可能であるか如実に表れている。

 第一次印パ戦争の最前線が舞台の『テートワールの犬』。 印パ両軍はテートワール山岳地帯で睨み合っていた。そんな折、インド軍陣営に一匹の野良犬が迷い込む。牛と異なりインド社会で犬は大切に扱われないが、そ れでも人間は生き物を飼うのを好むもの。たちまちこの犬はペット代わりとなり、隊長以下兵士たちに可愛がられる。だが戦時では一匹の犬でも所有がやかまし くなるのか、隊長は文字を書いた厚紙にひもを通し、犬の首にかける。じっとしていられないのが犬の性分ゆえ、件の犬はパキスタン陣営に向かう。

 パキスタン側のキャンプにやってきた犬だが、首に付いている厚紙にはこう記してあった。「チャッパル・ジュン・ジュン(犬の名)、右の者、インド産の犬なり」。 これを見たパキスタンの隊長は、字を書いた煙草の箱のふたに穴を開け、ひもを通して犬の首に結びつける。もちろんパキスタン産と明記して。隊長は犬に餌を やり、奴らに我々の手紙を届けろと言っては、犬をインド側に送り出す。何も分からぬ犬は尾っぽを振り、またインド側に戻る。

 パキスタン 側から来た犬を見たインド隊長は怒り、「犬にはギー(純粋バター)の味が分からない」(卑しい者には居場所がないとの意味)と言い捨て、犬を狙い撃つ。驚 いた犬はパキスタン側に戻ろうとするが、こちらの隊長も発砲。あちこち逃げ回る犬を見て、印パ双方の隊長は大笑い。ついに弾は犬に当たり、この哀れな生き 物は絶命する。これを見たインドの隊長は「犬死」と言い、パキスタン側は「殉教者」と表現する。政治に翻弄される犬の姿は、難民と同じだ。

 印パ独立から2~3年後、両政府は犯罪者同様狂人の交換もなされるべき、との決定を考え付く。つまり、インドの精神病院にいるムスリムをパキスタンに送りつけ、パキスタンの精神病棟にいるヒンドゥー、シク教徒はインド側に引き渡すというもの。この顛末を書いたのが『トーバー・テーク・スィング』。病院には本当の狂人でない者もおり、彼らの大半は人殺しで、刑を逃れるため親類が役人に握らせて精神病院に送り込んだ例もあった。本物、ニセモノ問わず、狂人たちはそれぞれ宗教毎に印パに送られることになる。

  唯でさえ精神を病んでいるのだから、印パ分離問題を持ち出されて、ますます気が変になる者も珍しくなかった。「俺はインドにも住みたくないし、パキスタン も嫌だ-俺はこの木に住むぞ!」と、庭の木に登って叫んだ男もいる。題名のトーバー・テーク・スィングとは地名で(現在はパキスタンのファリーダーバー ド)、そこの住民だったシク教徒に付けられたあだ名。元は裕福な地主だったが発狂し、親戚により強制入院させられ、15年間も病院にいる人物。こんな者に 印パの話をしても混乱するばかり。病院には自分を神だと称している者もいた。狂人たちを交換するのも、大変な作業。トラックから出ない者や逆に逃げ出す 者、ケンカしたり叫ぶ者の喧騒さ。

 インドにもユダヤ人がいて、ユダヤ女性が登場するのが『モーゼール』。モーゼールとはユダヤ女の名前で、主人公のシク教徒の男は彼女と出会い、深い恋に陥る。だが、モーゼールはかなりすれっ枯らしの女であり、美男だが信仰に熱く生真面目な主人公は女に振り回されっぱなしなのだ。モーゼールはよく「あんた、シクなんでしょう。あたし好きになれないわ」 と言っては彼を苛立たせる。モーゼールはシク教徒の象徴である髪やひげをからかい、怒りながらも惚れた弱みで主人公はなかなか手を切れない。インドのユダ ヤ人も特有の民族衣装を着ており、モーゼールもまたそうだったが、平然と現地人のスタイルをからかう神経は、さすが嫌われ者のユダヤらしい。

  それでも世知に長けたモーゼールは最後にシク教徒の主人公を助ける。彼らが住んでいるのは大都会ボンベイ(現ムンバイ)だが、それでも宗教対立が起こり、 家に隠れても暴徒が戸を破り侵入、殺害、放火する惨状。宗教騒動の中で、モーゼールは命を落とす。5年前の2月にもインド西部グジャラート州で暴動が起きている。

 マントーの他の短編に、売春宿と聖者の居場所を好む人物が登場する。「この2つの場所は床下から天井裏まで、人がもし自分を偽りたいなら、それこそ嘘で固まっている所だ。自分を欺きたい人にとって、これ以上いい場所は何処にもありえない」 と彼は言う。これはネットの世界もまた、当てはまるのではないか。自分を偽りたい人にとって安易な楽園であり、引きこもりでも医者だ、沢山の教授陣と付き 合いがある、会社社長、など稚拙な嘘でも固められる場なのだから。そしてネットでも多文化共生など不可能なのは、しばしば炎上するサイトを見れば知れる。

◆関連記事:「グルムク・スィングの遺言

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2 コメント

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ソ○ラテスの弁明?? (Mars)
2007-07-10 21:10:53
こんばんは、mugiさん。

本題とかけ離れて申し訳ないです。また、博学なmugiさんでしたらご存知かもしれませんね。

mugiさんは諸葛亮孔明という人物はご存知かと思いますが、彼には諸葛謹(字は子瑜)という兄はいます。謹自身はかなり有能でしたが、弟に比べれば、知名度もイマイチですね。
そして、そんな彼を主君・孫権は大勢の前で驢馬の額に『諸葛子瑜』と書いてからかったことがあります。
(諸葛瑾の顔は面長で驢馬に似ておりしばしばそれでからかわれていたと言われている。)
うなだれて黙っていた父に代わり、幼少の息子・恪が筆をとり、驢馬に『之驢』と書き加え父親の面子を守った。それを見た孫権と一座の者は、その機転の良さに舌を巻き、孫権は本当にその驢馬を諸葛瑾に与えた、とされるのです。
しかし、この話には続きがあり、父・謹は、聡明すぎる息子・恪は、家を存続できないと判断したのです。
果たせるかな、息子・恪は昇進を続けるのですが、驕り高ぶり、暗殺される結果となるのです。
「智者は智に溺れる」とは膾炙した言葉ですが、難しい者ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/諸葛瑾
http://ja.wikipedia.org/wiki/諸葛恪
(鶏肋の話と言い、智者はかえって警戒され、あらぬ咎を受けるものかもしれませんね。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/鶏肋
http://ja.wikipedia.org/wiki/楊修
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三国志ワールド (mugi)
2007-07-10 22:06:23
こんばんは、Marsさん。

三国志は学生時代(遠い昔…)に夢中で読みました。NHKの人形劇にもなりましたね。
諸葛亮孔明は何かの三国志ファンの人気投票で1位になった人物ですが、あの清廉潔白な姿勢は日本人好みでしょう。
確か彼の従兄弟だったか魏に仕えた者がおり、「蜀は龍を得、呉は虎を得る。然るに魏は犬を得たり」と酷評されたと思います。

出る釘ほど打たれるのは大陸の方かも。日本の場合はせいぜい足の引っ張り程度ですが、あちらなら一族抹殺だから凄惨です。曹操は名医の誉れ高い華佗も殺害しています。この医師は一説では西域(イラン)系の血を引いているとも。
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