仙台市博物館の特別展『法隆寺/祈りとかたち展』を見てきた。この特別展は、「東日本大震災復興祈願・新潟県中越地震復興10年」を謳っており、チラシには次の一文がある。
―本展は、平成26年3月、東日本大震災の発災から3年を迎えるにあたり、震災からの復興を祈願して開催するものです。法隆寺がたどった復興から現代へと至る歴史を踏まえ、同寺の宝物をはじめとする様々な美術品を一堂に展示します。
展覧会は3部構成となっており、第一部「法隆寺-その美と信仰、法隆寺の仏教美術」、第二部「法隆寺と東京美術学校(現:東京藝術大学)」、第三部「法隆寺と近代日本美術」の順で展示されていた。法隆寺の特別展といえば、何となく近代以前の仏像や仏画を中心とした作品ばかりと思っていたが、法隆寺をテーマにして寺に納められた近代美術品も多く展示されていたのは予想外だった。昭和時代の作品も何点かあり、戦後の昭和36年に制作された「聖徳太子摂政像」まであった。聖徳太子や法隆寺を描いた日本画は、なかなか良かった。
上の画像は出品№5「聖徳太子立像(二歳像)」、制作は鎌倉時代の14世紀。7世紀近く前の像なのに保存が良かったのか、色褪せても着色は残っている。現代なら肥満児にちかいぽっちゃり体型となるが、当時は丸々として愛らしいと思われていたのやら。それでも顔の表情とはとても二歳児ではない。悟ったオトナの顔立ちと幼児体型のアンバランスは面白い。
中年世代以上のかたなら、聖徳太子の画がかつて五千円札や一万円札に使われていたのを憶えているだろう。そのため少し前まで聖徳太子はおカネの神様にもなっており、つい私は金の神として登場した漫画『イブの息子たち』を思い出してしまった。この漫画で聖徳太子は袖から大量の紙幣や小判を出している。
上は出品№1「菩薩立像」。飛鳥時代(7世紀)制作で重文指定されている。仏像にしては小型だったが、やはり銅造鍍金の像は保存状態が良い。菩薩立像の顔立ちやスタイルは、歴史教科書に載っている救世観音像(国宝)に似ている。制作が共に飛鳥時代なので、造形が似ているのだろうか。
上は共に高村光雲作で、№52「聖徳太子像(摂政像)」(左)と№55「佐伯定胤像」。制作は前者が昭和2年、後者は昭和5年と展示品の中では新しい。この聖徳太子像は雛人形くらいの大きさだったが、その分細かく作られおり、気品ある顔立ちだった。
また今回の特別展で、私は初めて法隆寺に佐伯定胤という大僧正がいたことを知った。いかにも徳のありそうな僧侶といった風貌だし、高村が殊更美化して像をつくったのか?とつい勘ぐりたくなった。しかし、wikiの解説には、「戒律を保ち、肉食をとらず、生涯独身を貫いた」ことが載っている。この像の通り品格に満ちた高僧だったらしい。
上の仏像は特別展で唯一の国宝の№9「地蔵菩薩立像」、平安時代(9世紀)制作。今回の美術品の目玉のためか、一番最後に展示されていた。平安時代の仏像は一般に表情が穏やかといわれるが、この像を見ただけで真に心安らぐ想いになる。来場者の中には手を合わせて拝んでいた女性もいたほど。普段から信心深い性質なのか不明だが、家族のことで子供の守り神でもある地蔵菩薩に祈ったのだろうか。やはり苦しい時の神(仏)頼みなのだ。
法隆寺の仏像で百済観音像は有名だが、もちろん展示されていない。国宝級の美術品は滅多なことでは地方の博物館には貸し出さないのだろう。『法隆寺/祈りとかたち展』は次回東京で開催されるそうだが、上はそのチラシの画像。東京では地蔵菩薩立像の他に国宝の毘沙門天立像、吉祥天立像も展示されるらしく、残念ながら出品作品は会場によって異なるのだ。出来れば吉祥天も見たかった。
先日、法隆寺を拝観されたブロガーさんが意味深なことを述べており、祈りとかたちは何時の時代も現実社会とズレがある。
―聖徳太子の時代から1400年位経ちましたが、和をもって尊ぶ事は、難しいですね。(ま、聖徳太子の時代も、そうだったのでしょうけど、、、)
◆関連記事:「仏のかたち、人のすがた展」
「神さま仏さまの復興-被災文化財の修復と継承-展」
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