その①、その②の続き
マキャヴェリズムのご本尊ゆえ、マキアヴェッリはさぞ世渡りに長け、出世頭だったと思いきや、意外に公的なキャリアは振るわなかった。冷や飯食いでは決してなく、29歳の若さでフィレンツェ共和国の第二書記局長になるものの、それ以上は昇れなかった。自分の考えをそのまま口にする彼の性格は、官庁では受けが悪かったのだろうか。
フィレンツェ書記長というのは同時に外交官でもあり、マキアヴェッリは使節として各国を訪問する。ルネサンス当時のイタリアは小国家が分立する時代であり、この時の体験が彼の思想に影響したのは言うまでもない。
ルネサンス時代のイタリアは群雄割拠状態、マキアヴェッリは彼ら相手に虚々実々の駆け引きを展開している。外交官として駆け出しだった彼が交渉したのが女領主カテリーナ・スフォルツァ。彼女とマキアヴェッリとの交渉は学者達もかなり関心を寄せているが、要点は「彼女にしてヤラレたのか?」に尽きるらしい。相手が女、しかも美貌の女傑ということもあるが、マキアヴェッリについて著書もある作家・塩野七生氏は、たとえ相手が女であっても老婆ならば、これほどまで興味がもたれなかっただろうと述べている。まだ若く経験が浅かったマキアヴェッリは、この年上の女領主にどうも手玉に取られたらしい。マキアヴェッリも彼女にはいい勉強をさせられたのだ。
マキアヴェッリの代表作『君主論』は、ルネサンスの風雲児チェーザレ・ボルジアと直に交渉、その行動を間近に見て書かれた。分裂にあえぎ、大国フランスとスペインが覇権をかけて介入、戦いを繰り広げる中(※イタリア戦争)、祖国イタリアを統一、強力な指導者の出現を待望した憂国の書でもある。チェーザレに希望を見出すものの、まもなく彼は失脚する。
サガンの小説『ボルジア家の黄金の血』(新潮文庫)では、マキアヴェッリとチェーザレは初会合で意気投合、以降前者はチェーザレの参謀役となる筋書きとなっている。そうなっても不思議はないと思われる設定だが、実際は異なり、チェーザレは常に「書記官殿」とマキアヴェッリを呼んでいたことが塩野氏の作品に書かれていた。
ルネサンスという時代もあるのか、語録を見ても、マキアヴェッリがキリスト教に否定的で基本的に無神論者だったのは確かだろう。フィレンツェは15世紀末の一時期、修道僧サヴォナローラによる神権政治が行われ、ルネサンスを代表する人文学者ピコ・デラ・ミランドラまでも傾倒する有様。サヴォナローラ絶頂時、マキアヴェッリが知人に当てた手紙には、この修道僧への冷淡な表現があった。「武装せる予言者は皆勝利を収め、非武装の予言者は皆滅びる。何故なら民衆の気分は変わりやすく、言葉の説得ではついてこさせることが出来なくなった時は、力で以ってそれをさせる必要があるからだ」と『君主論』にあるのも、サヴォナローラの破滅を見ているからだ。
マキアヴェッリは仕事を1人で抱えてしまうタイプだったらしく、仕事は多忙となり、塩野氏は「働き蜂」と形容していた。書記官として多忙を極めつつも、大いに仕事を楽しんでいたらしい。仕事の合間、訪問先から同僚に報告も兼ね頻繁に手紙を書いていた。達筆で文才に恵まれていたこともあり、筆まめでもあった。マキアヴェッリの原文を読んだ日本人の多くは、簡素で明快な文体と高く評価している。
仕事面では働き蜂でも、私生活でマキアヴェッリはイタリア人らしく遊び好きであり、アフター5(?)もしっかり楽しんでいた。手紙からも多弁で陽気な性格が伺える。
同僚に当てた手紙には面白いものがある。出張先で娼婦を買ったが、これが白髪の老婆であり、しかも白髪にはびっしりシラミが集っていたという。暗がりで騙されたにせよ、娼婦の正体を知ったマキアヴェッリが驚愕したのは言うまでもなく、手紙にはユーモラスにその報告をしていた。この手の“交際費”は政庁から経費として認められたのか不明だが、歴史上の有名人物となれば、妙な手紙まで残る羽目となった。
遊び好きであっても、家庭ではよき夫、よき父だったようで、彼自身、よき妻に恵まれた、と塩野氏は書いている。フィレンツェの政変で失職したことにより執筆活動に入ったマキアヴェッリだが、これは本意ではなく、再び政庁で書記官として働くことを切に望んでいた。しかし、その望みもついに叶えられなかった。
浅はかな倫理や道徳を退け、徹底して現実主義を追求、深い洞察力で人間の本質を鋭く見据えた思想家マキアヴェッリ。当然人間社会には幻想を持たず、悲観的な見解になってくるが、こと自分自身については楽観主義者だったというのは興味深い。また、当時欧州にはオスマン帝国の脅威があったにも係らず、何故かマキアヴェッリはトルコには全く関心を示していなかったという。
その④に続く
◆関連記事:「ルネサンスの歴史オタク」
「あるルネサンス高級官僚の覚え書き」
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マキャヴェリズムのご本尊ゆえ、マキアヴェッリはさぞ世渡りに長け、出世頭だったと思いきや、意外に公的なキャリアは振るわなかった。冷や飯食いでは決してなく、29歳の若さでフィレンツェ共和国の第二書記局長になるものの、それ以上は昇れなかった。自分の考えをそのまま口にする彼の性格は、官庁では受けが悪かったのだろうか。
フィレンツェ書記長というのは同時に外交官でもあり、マキアヴェッリは使節として各国を訪問する。ルネサンス当時のイタリアは小国家が分立する時代であり、この時の体験が彼の思想に影響したのは言うまでもない。
ルネサンス時代のイタリアは群雄割拠状態、マキアヴェッリは彼ら相手に虚々実々の駆け引きを展開している。外交官として駆け出しだった彼が交渉したのが女領主カテリーナ・スフォルツァ。彼女とマキアヴェッリとの交渉は学者達もかなり関心を寄せているが、要点は「彼女にしてヤラレたのか?」に尽きるらしい。相手が女、しかも美貌の女傑ということもあるが、マキアヴェッリについて著書もある作家・塩野七生氏は、たとえ相手が女であっても老婆ならば、これほどまで興味がもたれなかっただろうと述べている。まだ若く経験が浅かったマキアヴェッリは、この年上の女領主にどうも手玉に取られたらしい。マキアヴェッリも彼女にはいい勉強をさせられたのだ。
マキアヴェッリの代表作『君主論』は、ルネサンスの風雲児チェーザレ・ボルジアと直に交渉、その行動を間近に見て書かれた。分裂にあえぎ、大国フランスとスペインが覇権をかけて介入、戦いを繰り広げる中(※イタリア戦争)、祖国イタリアを統一、強力な指導者の出現を待望した憂国の書でもある。チェーザレに希望を見出すものの、まもなく彼は失脚する。
サガンの小説『ボルジア家の黄金の血』(新潮文庫)では、マキアヴェッリとチェーザレは初会合で意気投合、以降前者はチェーザレの参謀役となる筋書きとなっている。そうなっても不思議はないと思われる設定だが、実際は異なり、チェーザレは常に「書記官殿」とマキアヴェッリを呼んでいたことが塩野氏の作品に書かれていた。
ルネサンスという時代もあるのか、語録を見ても、マキアヴェッリがキリスト教に否定的で基本的に無神論者だったのは確かだろう。フィレンツェは15世紀末の一時期、修道僧サヴォナローラによる神権政治が行われ、ルネサンスを代表する人文学者ピコ・デラ・ミランドラまでも傾倒する有様。サヴォナローラ絶頂時、マキアヴェッリが知人に当てた手紙には、この修道僧への冷淡な表現があった。「武装せる予言者は皆勝利を収め、非武装の予言者は皆滅びる。何故なら民衆の気分は変わりやすく、言葉の説得ではついてこさせることが出来なくなった時は、力で以ってそれをさせる必要があるからだ」と『君主論』にあるのも、サヴォナローラの破滅を見ているからだ。
マキアヴェッリは仕事を1人で抱えてしまうタイプだったらしく、仕事は多忙となり、塩野氏は「働き蜂」と形容していた。書記官として多忙を極めつつも、大いに仕事を楽しんでいたらしい。仕事の合間、訪問先から同僚に報告も兼ね頻繁に手紙を書いていた。達筆で文才に恵まれていたこともあり、筆まめでもあった。マキアヴェッリの原文を読んだ日本人の多くは、簡素で明快な文体と高く評価している。
仕事面では働き蜂でも、私生活でマキアヴェッリはイタリア人らしく遊び好きであり、アフター5(?)もしっかり楽しんでいた。手紙からも多弁で陽気な性格が伺える。
同僚に当てた手紙には面白いものがある。出張先で娼婦を買ったが、これが白髪の老婆であり、しかも白髪にはびっしりシラミが集っていたという。暗がりで騙されたにせよ、娼婦の正体を知ったマキアヴェッリが驚愕したのは言うまでもなく、手紙にはユーモラスにその報告をしていた。この手の“交際費”は政庁から経費として認められたのか不明だが、歴史上の有名人物となれば、妙な手紙まで残る羽目となった。
遊び好きであっても、家庭ではよき夫、よき父だったようで、彼自身、よき妻に恵まれた、と塩野氏は書いている。フィレンツェの政変で失職したことにより執筆活動に入ったマキアヴェッリだが、これは本意ではなく、再び政庁で書記官として働くことを切に望んでいた。しかし、その望みもついに叶えられなかった。
浅はかな倫理や道徳を退け、徹底して現実主義を追求、深い洞察力で人間の本質を鋭く見据えた思想家マキアヴェッリ。当然人間社会には幻想を持たず、悲観的な見解になってくるが、こと自分自身については楽観主義者だったというのは興味深い。また、当時欧州にはオスマン帝国の脅威があったにも係らず、何故かマキアヴェッリはトルコには全く関心を示していなかったという。
その④に続く
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