一口にオタクと言ってもその定義は難しく、Wikipediaの冒頭にはこうある。「おたくとは、趣味に没頭する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である」。趣味に没頭するにせよ、狭義と広義もあるそうだが、少なくとも趣味人と私は解釈している。
人の趣味は様々なので、自らはプレーはしなくともサッカーが大好きで、その知識が豊富ならサッカーオタクとなり、野球にも同類が大勢いる。楽器演奏が出来 ずともロックファンなら、ロックオタクとも言える。読書家なら本オタクとなり、歴史好きも歴史オタクに分類される。これに当てはめれば、ルネサンスの思想 家マキアヴェッリもまた歴史オタクでもあった。
マキアヴェッリと言えば、『君主論』で知られる。実際に読破された方はさほど多くないかもしれないが、世界史の教科書では乱世の権謀術数を説いた思想家と教えられる。彼が『君主論』をどのようにして書いたいたのか、友人ヴェットーリに当てた手紙にはその様子が垣間見えてくる。
-夜がくると、家に戻る。そして書斎に入る。入る前に、泥やなにやで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服を見に着ける。礼儀をわきまえた服装に身を整えてから、古(いにしえ)の宮廷に参上する。 そこでは私は彼らから親切に迎えられ、あの食物、私だけのための、そのために私は生を受けた、食物を食すのだ。そこでの私は恥ずかしがらずもせず彼らと話 し、彼らの行為の理由を尋ねる。彼らも人間らしさを露わにして答えてくれる。4時間というもの、全く退屈を感じない。全ての苦悩は忘れ、貧乏も恐れなくな り、死への恐怖も感じなくなる。彼らの世界に全身全霊で移り棲んでしまうからだ。
ダンテの詩句ではないが、聴いたことも、考え、そして求めることをしない限りシェンツァ(サイエンス)とはならないから、私も彼らとの対話を『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこでは私は出来る限りこの主題を追求し、分析しようと試みている。君主国とは何であるのか。どのような種類があるのか。どうすれば獲得できるのか。どうすれば保持できるのか。何故、失うのか…
『君主論』を執筆時のマキアヴェッリは、実は政変に連座しフィレンツェ共和国政府の第二書記局長の職を追われ、郊外の山荘に引きこもらざるを得ない状態 だった。朝はダンテなどの詩の本を持ち森で過ごし、帰途居酒屋に立ち寄り、昼食時に集まる旅人たちから世の中の出来事などを聞き、家に帰って家族と昼食を 取る。昼食後は再び家の前にある居酒屋に戻り、今度は農民たちと共にカードに興ずる。そして夜。夜の4時間、思考し執筆するという生活を繰り返していたら しい。
名著『君主論』もマキアヴェッリの生存中は出版されず、初版も1532年、彼の死の5年後である。つまり、カネにはまるでならな かった有様。マキアヴェリズムの語源になった彼はマキアヴェリストどころか、思ったことを正直に言ったり書いたりしたため、世渡りが巧くなかったのは興味 深い。対照的に彼の親友であり、手紙の相手のヴェットーリは共和国の大使まで務めるほどの出世株官僚だった。マキアヴェッリの親友の一人だったということ だけで、後世に名を残す。
ルネサンス当時らしく派手な色彩とデザインでも、共和国の官服などかさばり非活動的なのに、わざわざその衣装 に着替え、『君主論』を書いていたマキアヴェッリ。古の宮廷に参上、古の人々との対話で書き上げたのだが、傍目からすれば、特に歴史に関心などない実際的 な人間から見れば、馬鹿馬鹿しい、の一言に過ぎない。所有地の効率よい経営でも考えるべき、と思うだろう。彼の妻も夫を“落ちこぼれ”と見ていたらしい。 元来筆まめの彼は、少なくとも自分の考えを理解してくれる友人に手紙を書くしかなかったのだ。
しかし、歴史好きな人からすれば見方が 違ってくる。古人との対話、など空想より妄想モードに入っているが、これは現代のオタクの心理に酷似している。自分とは縁もゆかりもない古人に共感、感情 移入できるのが、歴史オタク。彼らは歴史を知るのに至福と愉悦を見出しているから、不遇でも歴史書で癒されるのだ。没頭できる趣味があるのは結構なことだ と思う。加藤諦三氏いわく、精神を病むと、何をしても楽しめなくなり、楽しむ能力も失われるとか。
歴史にイフは禁句だが、もしマキアヴェッリが政変で失脚しなかったなら、『君主論』は成立していただろうか?彼は学者ではなかったが教養人であり、共和国 政府で官僚をしていた頃から友人に宛て、手紙を数多く書いていた。多忙でも仕事を生き甲斐としていたのが文面から伺える。マキアヴェッリにとって、山荘に 篭もって本を書く羽目になったのは本意ではなく、また政府の中枢で働きたかったのが真相らしい。その願いは叶えられず、愛国者でもあった彼は失意のうちに この世を去った。元来文才があるにせよ後世にまで残る書物を記したのだから、マキアヴェッリは思想家と呼ばれるようになる。
私の父の知人に郷土史マニアがいた。特に宮城県の戦国時代に詳しく、2~3冊ほどの著書を出している。あまり職場で出世はしなかったそうだが、役人で歴史好きという共通点がある父は、生前一冊の本も書けなかった。
■参考:「男たちへ」「わが友、マキアヴェッリ」共に塩野七生著
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人の趣味は様々なので、自らはプレーはしなくともサッカーが大好きで、その知識が豊富ならサッカーオタクとなり、野球にも同類が大勢いる。楽器演奏が出来 ずともロックファンなら、ロックオタクとも言える。読書家なら本オタクとなり、歴史好きも歴史オタクに分類される。これに当てはめれば、ルネサンスの思想 家マキアヴェッリもまた歴史オタクでもあった。
マキアヴェッリと言えば、『君主論』で知られる。実際に読破された方はさほど多くないかもしれないが、世界史の教科書では乱世の権謀術数を説いた思想家と教えられる。彼が『君主論』をどのようにして書いたいたのか、友人ヴェットーリに当てた手紙にはその様子が垣間見えてくる。
-夜がくると、家に戻る。そして書斎に入る。入る前に、泥やなにやで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服を見に着ける。礼儀をわきまえた服装に身を整えてから、古(いにしえ)の宮廷に参上する。 そこでは私は彼らから親切に迎えられ、あの食物、私だけのための、そのために私は生を受けた、食物を食すのだ。そこでの私は恥ずかしがらずもせず彼らと話 し、彼らの行為の理由を尋ねる。彼らも人間らしさを露わにして答えてくれる。4時間というもの、全く退屈を感じない。全ての苦悩は忘れ、貧乏も恐れなくな り、死への恐怖も感じなくなる。彼らの世界に全身全霊で移り棲んでしまうからだ。
ダンテの詩句ではないが、聴いたことも、考え、そして求めることをしない限りシェンツァ(サイエンス)とはならないから、私も彼らとの対話を『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこでは私は出来る限りこの主題を追求し、分析しようと試みている。君主国とは何であるのか。どのような種類があるのか。どうすれば獲得できるのか。どうすれば保持できるのか。何故、失うのか…
『君主論』を執筆時のマキアヴェッリは、実は政変に連座しフィレンツェ共和国政府の第二書記局長の職を追われ、郊外の山荘に引きこもらざるを得ない状態 だった。朝はダンテなどの詩の本を持ち森で過ごし、帰途居酒屋に立ち寄り、昼食時に集まる旅人たちから世の中の出来事などを聞き、家に帰って家族と昼食を 取る。昼食後は再び家の前にある居酒屋に戻り、今度は農民たちと共にカードに興ずる。そして夜。夜の4時間、思考し執筆するという生活を繰り返していたら しい。
名著『君主論』もマキアヴェッリの生存中は出版されず、初版も1532年、彼の死の5年後である。つまり、カネにはまるでならな かった有様。マキアヴェリズムの語源になった彼はマキアヴェリストどころか、思ったことを正直に言ったり書いたりしたため、世渡りが巧くなかったのは興味 深い。対照的に彼の親友であり、手紙の相手のヴェットーリは共和国の大使まで務めるほどの出世株官僚だった。マキアヴェッリの親友の一人だったということ だけで、後世に名を残す。
ルネサンス当時らしく派手な色彩とデザインでも、共和国の官服などかさばり非活動的なのに、わざわざその衣装 に着替え、『君主論』を書いていたマキアヴェッリ。古の宮廷に参上、古の人々との対話で書き上げたのだが、傍目からすれば、特に歴史に関心などない実際的 な人間から見れば、馬鹿馬鹿しい、の一言に過ぎない。所有地の効率よい経営でも考えるべき、と思うだろう。彼の妻も夫を“落ちこぼれ”と見ていたらしい。 元来筆まめの彼は、少なくとも自分の考えを理解してくれる友人に手紙を書くしかなかったのだ。
しかし、歴史好きな人からすれば見方が 違ってくる。古人との対話、など空想より妄想モードに入っているが、これは現代のオタクの心理に酷似している。自分とは縁もゆかりもない古人に共感、感情 移入できるのが、歴史オタク。彼らは歴史を知るのに至福と愉悦を見出しているから、不遇でも歴史書で癒されるのだ。没頭できる趣味があるのは結構なことだ と思う。加藤諦三氏いわく、精神を病むと、何をしても楽しめなくなり、楽しむ能力も失われるとか。
歴史にイフは禁句だが、もしマキアヴェッリが政変で失脚しなかったなら、『君主論』は成立していただろうか?彼は学者ではなかったが教養人であり、共和国 政府で官僚をしていた頃から友人に宛て、手紙を数多く書いていた。多忙でも仕事を生き甲斐としていたのが文面から伺える。マキアヴェッリにとって、山荘に 篭もって本を書く羽目になったのは本意ではなく、また政府の中枢で働きたかったのが真相らしい。その願いは叶えられず、愛国者でもあった彼は失意のうちに この世を去った。元来文才があるにせよ後世にまで残る書物を記したのだから、マキアヴェッリは思想家と呼ばれるようになる。
私の父の知人に郷土史マニアがいた。特に宮城県の戦国時代に詳しく、2~3冊ほどの著書を出している。あまり職場で出世はしなかったそうだが、役人で歴史好きという共通点がある父は、生前一冊の本も書けなかった。
■参考:「男たちへ」「わが友、マキアヴェッリ」共に塩野七生著
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こういうあたり、晋ちゃんとか、タローさんとか、読んでるんだろうかなあ。
一国の指導者を目指す方々に、凛としたところがない。勉強しすぎても歴史オタク?になってしまうのでしょうが、とにかく政治屋の皆さんに思想やテツガク、教養といったものが感じられない...
マキャベリというひとは、ああいう目にあっての思索と探求によって人類の遺産と名を残したんですね、彼は結果的にいい人生ではなかったのかと。
ぼくもこのあたり、勉強がてら書いてので、TBさせてください。
Blog村民になられたか、ブログ村の高台から、世の中と近過去を遠く眺めると...まあ、お互いクリックしましょう。
もしかすると、「漫画で見るマキャベリ」なんて本も出ていて、タローさんが愛読していたりして。
日本はともかく、ブッシュ、プーチン、胡錦濤、サルコジ…世界の指導者も思想やテツガク、教養を感じさせる人物はいませんね。現代はそんなタイプのリーダーを求めるのが難しい時代かも。
ただ、一国の指導者なら教養より求められるのが図太さであり、それなら他国のリーダーは十分でも、我国は、、、
モノは試しで私もBlog村に参加してみました。こちらの歴史ブログは濃~い内容ばかりで、つい読みふけってしまい、肝心の自分のブログ管理が…
マキャヴェリは歴史オタクというよりは、当時の知識人としてはわりとあたりまえの知識だったのかもしれません。
現在でいえば日本人の戦国武将あたりの知識といったところではないでしょうか。
このエントリーを読んで、私は宮本武蔵を連想しました。
大名身分を得たかったのに得られず(養子は小笠原氏の家老にまでなりましたし、武蔵自身も名士として厚遇はされましたが)、侍としては不遇だった宮本武蔵は、二刀流といった剣術のみならず、芸術家としても優れ、五輪書では世界中に影響を与えるなど優れた文章力を示し哲学者としても・・・、と考えていくうちにマキャベリに比べて宮本武蔵は何て才能が優れた人かと感心します。武蔵とマキャベリを比較するのはどうかと思いますが、優れた文章力とあまり出世できなかった事は共通してますね。
塩野さんの「チェーザレ・ボルジア-或いは優雅なる冷酷」は宝塚歌劇にもなってましたが、マンガもあったのですか。ただ、マキャヴェリが登場するマンガはあまりなさそうな。
ルネサンスを代表する思想家に「歴史オタク」では、語弊があると思われるのは当然です。
ただ、友人に当てた手紙にある「彼らの世界に全身全霊で移り棲んでしまう」「彼らとの対話」の表現が、とても面白いと感じました。
歴史への造詣が深いだけなら単なる趣味人や知識人で終わりですが、名著を記したので、「思想家」と後世呼ばれるようになったのだと思いますね。つまり、元オタク。彼と同等、若しくはそれ以下の教養だった友人の方は世俗的に恵まれましたが。
>nanshojiさん、初めまして。
拙ブログを読まれて頂いていたとは、とても光栄です。コメントを有難うございました。
文武両道の武蔵に比べ、マキャベリは「武」はまるでダメな人でした。彼は所詮「書」の人だったのですが、文武両道の人など洋の東西問わず稀ですよね。だからこそ、「武」の人物に魅了されたのかも。
少し前に読んだインド人作家アショーカ.K.バンカーの日本の読者向けに書いた後書きに、五輪書が私の手元にあるとありました。リップサービスもあるでしょうが、インドの古典に精通している彼も五輪書に目を通していたのなら、日本人としてうれしい。
某TV番組で知ったのですが、青銅製の刃物は、思ったより切れるのですね(鋭く研磨すれば、髭もそれるとか)。また、青銅製の剣といえば、鈍く、切るよりも叩くものかと思っていたのですが、切れる武器だったのかもしれません。青銅は、時が過ぎると、青く鈍くなるようですが、作りあげられた当時は、銀色・金色に輝く、金属だったそうです。
(また、銅に錫(スズ)を混ぜた合金が青銅ですが、文系の私から見れば、鋼もそうですが、合金にすれば、なぜ、強靱になるか、理解できないのですが。そして、合金を作るのには、炭は重要なようですね)
http://ja.wikipedia.org/wiki/青銅
青銅に限らず、歴史の真実を理解できないのには、現在の価値観や、思い入れ、思い込みで、歴史を見てしまうからなのかもしれません。そして、それは、現代人に限らず、ヘロドトスの時代前後から、ずぅ~っと同じなのかもしれませんね。
それでも、人は、何かを知ることを快感と感じる、奇妙な生き物ですね。やっつぱり、歴史は面白い、のかな??
私も文系なので、青銅製の剣は切れ味が悪いと思い込んでいました。殷の時代の青銅器のデザインは素晴らしいので、加工しやすく脆い材質なのだろうとも。司馬遼太郎はそれまで匈奴にヤラレてばかりいた漢が霍去病のような若い将軍により大勝したのも、漢が鉄器を使用したからではないか、と推測していました。
ある作家が、人が物語を好むのは自分とは違う他の人生を知ることが出来るから、と書いてました。歴史などまさに人間のドラマであり、様々な生き様が分かるというもの。もちろん楽しい話は少ないにせよ、人間だから人に興味を持つのでしょう。
歴史の真実など一つではないし、それも時代により変容するから、複雑な面白さがあります。