
その①の続き
後期密教の影響の強いチベット仏教には、明らかにヒンドゥー教起源と思われる神々も少なくない。上の画像はダーキニーと呼ばれる女神で、この特別展で初めて知ったが、一目見ただけでヒンドゥーの女神カーリーを連想した。会場には無料でおみくじを引ける特設コーナーがあり、くじに描かれている神がその人の守り神になるという。試しに私が引いたくじはダーキニーだった。くじの説明には修行者が悟りを開く助けをする智恵の女神とある。超能力を持ち、空を飛べ、踊りも得意。知恵を授けてもらいたい人にはこの守り神とか。ただ、会場の解説文によれば、この女神の機嫌を損ねると食い殺されるそうで、やはりコワい神様。
展示されている女尊(女神)像は、どれも巨乳とくびれた腰というグラマースタイル、これも明らかにインド様式だろう。失礼ながらモンゴロイドのチベット女性には、こうした体型のタイプは少数だと思われる。修行者の悟りを助ける女神像がそろってナイスバディばかりで、これでは返って煩悩を刺激しないのか、俗人には不思議に感じた。体つきはイカしても、憤怒の表情にドクロが重なった杖を持ち、ドクロが数珠つなぎの首飾り。
1203年、インド・ベンガル地方にあったインド仏教の最大の仏教寺院で、最期の砦でもあったヴィクラマシラー寺が、ムスリムの軍勢により破壊、多数の僧侶と尼僧が虐殺された。その十年前、既にあの玄奘三蔵も学んだ名門ナーランダ大学も、トルコ系ムスリムにより破壊されている。ヴィクラマシラー寺の破壊で、衰退期に入って久しいインド仏教は滅亡した。
生き残った仏教僧侶は辺境の地であるチベットに亡命してくる。インド人行者がチベットに来ることもあり、彼らはチベット仏教の発展に貢献したのは書くまでもない。インドの伝説上の行者や大成就者の肖像彫刻も何点か展示されており、いずれもインド人らしく大きな目と高い鼻の顔立ちだった。

極めつけは上記の「ペルデンラモ騎騾(きら)像」。ペルデンラモという神も初耳なので、ネット検索をしたら吉祥天に当たると書かれているサイトがあった。これが本当ならば、日本では美しい幸福の女神として有名な吉祥天が、チベットでは人間の皮を敷いてラバに乗り、両手に刀の姿に描かれるのか。「仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して敷皮にする」という伝説を基にしているそうだ。この神も「勝利の女神」としておみくじに入っていた。

上の画像はカパーラという法具。精巧な細工には目を見張るが、中心部のひび割れた白い部分は何と高僧の頭蓋骨である。高僧の同意を得ているにせよ、人間の頭骨を法具にするという感覚が日本人とはかけ離れている。この特別展を見ても、展示物はとかくドクロ装飾が多い。ダーキニー女神もドクロ杯を持っている。男女合体のような強いエロティシズムと死の象徴が同時に陳列されているのだ。私のようにエログロに興味のあるスケベ根性の者はともかく、日本の仏教美術とのあまりの違いに違和感を覚えた方も少なくなかっただろう。
「第3章:元・明・清との往来」での解説は興味深い。チベットと中国諸王朝との外交関係を紹介、明の永楽帝や清の乾隆帝はチベット仏教を厚く信仰したと書かれている。特に前者の時代、中国の工房で盛んにチベット向けに仏具が作られたと説明があり、展示物にも中国で制作された工芸品が何点もあった。素人目にも高い芸術性が分かる美術品だが、政治的な意図的を感じたのは私だけではないだろう。
永楽帝がチベット仏教のパトロンだったのは確かだろうが、熱心な信者だったとはとても思えない。これは乾隆帝も同じだし、この皇帝は「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回の外征を行い、中国史上最大の領土を獲得した。歴代中国皇帝がチベット仏教の庇護者だったという印象を与える目的だろうか。
「中国チベット文化保護発展協会」や「中国国家文物局」の政治利用目的はともかく、これだけの文化財を見られるのは結構なことだし、中共政府はチベットの文化財を保護発展させる義務がある。実態は「天空の盗まれた至宝」展だったにせよ、破壊されるよりはマシだろう。もっとも贋作で有名な中国だから、国宝級と銘打った偽物を展示してはいないだろうか…そんな疑いもある。
◆関連記事:「ウイグル、チベットは中国古来の領土」
「仏教以前のチベット」
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後期密教の影響の強いチベット仏教には、明らかにヒンドゥー教起源と思われる神々も少なくない。上の画像はダーキニーと呼ばれる女神で、この特別展で初めて知ったが、一目見ただけでヒンドゥーの女神カーリーを連想した。会場には無料でおみくじを引ける特設コーナーがあり、くじに描かれている神がその人の守り神になるという。試しに私が引いたくじはダーキニーだった。くじの説明には修行者が悟りを開く助けをする智恵の女神とある。超能力を持ち、空を飛べ、踊りも得意。知恵を授けてもらいたい人にはこの守り神とか。ただ、会場の解説文によれば、この女神の機嫌を損ねると食い殺されるそうで、やはりコワい神様。
展示されている女尊(女神)像は、どれも巨乳とくびれた腰というグラマースタイル、これも明らかにインド様式だろう。失礼ながらモンゴロイドのチベット女性には、こうした体型のタイプは少数だと思われる。修行者の悟りを助ける女神像がそろってナイスバディばかりで、これでは返って煩悩を刺激しないのか、俗人には不思議に感じた。体つきはイカしても、憤怒の表情にドクロが重なった杖を持ち、ドクロが数珠つなぎの首飾り。
1203年、インド・ベンガル地方にあったインド仏教の最大の仏教寺院で、最期の砦でもあったヴィクラマシラー寺が、ムスリムの軍勢により破壊、多数の僧侶と尼僧が虐殺された。その十年前、既にあの玄奘三蔵も学んだ名門ナーランダ大学も、トルコ系ムスリムにより破壊されている。ヴィクラマシラー寺の破壊で、衰退期に入って久しいインド仏教は滅亡した。
生き残った仏教僧侶は辺境の地であるチベットに亡命してくる。インド人行者がチベットに来ることもあり、彼らはチベット仏教の発展に貢献したのは書くまでもない。インドの伝説上の行者や大成就者の肖像彫刻も何点か展示されており、いずれもインド人らしく大きな目と高い鼻の顔立ちだった。

極めつけは上記の「ペルデンラモ騎騾(きら)像」。ペルデンラモという神も初耳なので、ネット検索をしたら吉祥天に当たると書かれているサイトがあった。これが本当ならば、日本では美しい幸福の女神として有名な吉祥天が、チベットでは人間の皮を敷いてラバに乗り、両手に刀の姿に描かれるのか。「仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して敷皮にする」という伝説を基にしているそうだ。この神も「勝利の女神」としておみくじに入っていた。

上の画像はカパーラという法具。精巧な細工には目を見張るが、中心部のひび割れた白い部分は何と高僧の頭蓋骨である。高僧の同意を得ているにせよ、人間の頭骨を法具にするという感覚が日本人とはかけ離れている。この特別展を見ても、展示物はとかくドクロ装飾が多い。ダーキニー女神もドクロ杯を持っている。男女合体のような強いエロティシズムと死の象徴が同時に陳列されているのだ。私のようにエログロに興味のあるスケベ根性の者はともかく、日本の仏教美術とのあまりの違いに違和感を覚えた方も少なくなかっただろう。
「第3章:元・明・清との往来」での解説は興味深い。チベットと中国諸王朝との外交関係を紹介、明の永楽帝や清の乾隆帝はチベット仏教を厚く信仰したと書かれている。特に前者の時代、中国の工房で盛んにチベット向けに仏具が作られたと説明があり、展示物にも中国で制作された工芸品が何点もあった。素人目にも高い芸術性が分かる美術品だが、政治的な意図的を感じたのは私だけではないだろう。
永楽帝がチベット仏教のパトロンだったのは確かだろうが、熱心な信者だったとはとても思えない。これは乾隆帝も同じだし、この皇帝は「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回の外征を行い、中国史上最大の領土を獲得した。歴代中国皇帝がチベット仏教の庇護者だったという印象を与える目的だろうか。
「中国チベット文化保護発展協会」や「中国国家文物局」の政治利用目的はともかく、これだけの文化財を見られるのは結構なことだし、中共政府はチベットの文化財を保護発展させる義務がある。実態は「天空の盗まれた至宝」展だったにせよ、破壊されるよりはマシだろう。もっとも贋作で有名な中国だから、国宝級と銘打った偽物を展示してはいないだろうか…そんな疑いもある。
◆関連記事:「ウイグル、チベットは中国古来の領土」
「仏教以前のチベット」
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補足頂いたお話ですが、さらに後味の悪いものでしたね(笑)。いかに義理の兄弟でも、仲たがいの果て兄弟殺しですか。復讐に向かう前にも早々流血沙汰を起こしているので、殺人と復讐のオンパレードが北欧神話のようですね。ご紹介されたお話だけで、何とも陰鬱そうです。
同等報復に制限した中東の「目には目を」は、古代や中世なら画期的な方ですよね。それにしても、かつては野蛮窮まる状態だった北欧が現代では平和な福祉国家となり、対照的に文明の先端をいっていた中東が後進地帯になってしまう。このような歴史の逆転現象は不思議でなりません。日本も数百年後、どうなっているのやら(最悪の場合、消滅?)。
サクソン人もかつては大陸から渡来、ケルト系ブリトン人を征服しています。定住して久しいサクソン人にとって、首をはねるのは野蛮でもなかったのですが、殺害せずに身体障害者にする刑罰はさぞ恐ろしかったでしょうね。そういえば、現代でもサウジあたりだと盗みの罰として手を切断することもあり、本当に世界は多様です。
ちょっと話を端折ったので補足します。実は復讐に際して王妃が可愛がっていた義理の子も参加となり、王妃は3名に団結するよう諭します。ところが、旅の途中で仲違いして王子達はその子を殺してしまい、肝心の王を殺害する時点で義理の子がいないので首を切れず仕舞いになるのです。義理の子がいないので殺害できなかったとは現実の話としておかしいのですが、一時の怒りで取り返しのつかない結果を招いたと言う筋です。
最初の夫との間にできた息子の死は暗殺の巻き添えだったと思います。もちろん普通の神経なら伯父たちも極めて後味が悪いはずです。
>>目には目の中東式復讐がずっと文明的に見えてきます。
止めどなく復讐が続いて双方全滅とか言う話もありますから、確かに同等報復の中東の方が
ましですね。でも、現在は中東はテロの温床となり、北欧は世界的企業も存在し、世界的権威になるノーベル賞もありますから、どこで道を違えたかと考えてしまいます。
>>現地人を震撼させたそうです。
もともとサクソン人も同じ民族でヴァイキングだったと思いますが、ノルマン人の方がヴァイキングの習慣を脱するのが遅くてサクソン人から見たら野蛮に思える風習を持っていたのでしょうか。日本も平安時代は死刑が停止になりましたが、法律上、死刑よりひどい代替刑はありませんから、一応国家として安定していたからこんな違いが出たのかも、と思います。
紹介されました北欧神話の顛末、すごいストーリーですね。王妃の最初の夫とその間の息子が自分の兄弟によって殺されていたとは。兄弟にとっても甥となれば、やはり赤の他人の息子に過ぎないのでしょうか。目には目の中東式復讐がずっと文明的に見えてきます。
もちろん日本も、かつて武家階級は夫婦別姓、嫁いでも実家が大事でした。北条政子など、結局実家を優先させている。それでも北欧のような復讐は考えられません。
不思議なのは王女を殺され、王妃によって復讐に送り出された王子たちですが、なぜ王の首ではなく手足を切り落としたのでしょうか。より苦しみを味わわせる目的もあったのでしょうけど、手足なしで生き永らえるのも悲惨です。
11世紀、英国はノルマン・コンクエストを体験、征服王ウィリアムは死刑を廃止しました。その代わり手足を切断したり、目をえぐる処罰に変更し、これはノルマン人の習慣を取り入れたそうで、現地人を震撼させたそうです。ふと、この故事を思い出しました。
同じヒンドゥー教でもネパールとインドでは微妙に違うようですが、毛沢東派の背後に中共がいるのは想像がつきます。タイの混乱も想像がつく。タイの国民の四分の一ほどが華僑だとか。インドでも毛沢東派がテロを活発化させており、時々外電のべた記事にも載っていますね。まさにテロ支援国家!
文革時代、自国の貴重な文化財を数多く破壊した中共ですから、他国の経典、ましてサンスクリット経典などゴミのようなものでしょう。日本のクリスチャンが神道を攻撃するのも、私は中国の裏工作も絡んでいると見ています。「日本解放作戦」と称して。
欧米が階級社会なのは知られていますが、階級が違うと全く価値観までが違うのですか!もちろん日本でも微妙に違うと思いますが、それほど差はありませんよね。個性的と日本の文化人が賞賛する欧米も、そんな理由があったとは。
キリスト教に幻滅して、イスラムに改宗する欧州人もおり、一般には仏教よりもこちらの方に人気があるようです。
「嘘も方便」と言いますが、日本のキリスト教徒もこの手段を駆使する。異教徒への嘘は罪にもならないし、平気で嘘をつく。あることないことよりも、「ないことないこと」も平気で言いますよ。基本的にオウムと同じです。「信者でもシンパでもない」と言いつつ、文面からバレバレ。キーワードが「罪悪感」「罪の意識」。昨年、自称非クリスチャンのブロガーと話したことがありましたが、「性悪説の貴方が罪悪感がないとは不思議。人は罪悪感なしでは生きていけないものだ」と答えた時、尻尾を出したと感じましたね。
shiretoko様 私の方こそ、今後とも宜しくお願い致します。
キリスト教の影響で、血族から夫を重んじる方に力点が移ったと聞いたことがあります。中世に成立したニーベルンゲンの歌は夫を殺した兄に対する復讐となっています。ニーベルンゲンの歌だと再婚相手の夫は全くの被害者、ヒロインの復讐の道具にされてしまっているところが大きく異なります。
もともとの北欧神話の場合、夫に自分の息子の肉を食べさせた王妃は再婚で、最初の夫は自分の間にできた息子と一緒に兄弟に殺されています。その際最初の夫が龍を退治して得た素晴らしい財宝も兄弟の手に渡り、それが後に自分たちへの災難を招きます。
もちろん兄弟に対しても恨みの感情は持つのですが、母親が魔法の薬を飲ませてその感情を消し去ってしまいます。そして後日譚があり、夫への復讐後王妃は海に身投げをするのですが、ある国の国王が乗った船が通りかかり、その国王と再々婚となります。二人の間には王子二人と王女が生まれますが、後に王女は他国の王と結婚するものの、悪い家臣の讒言を信じた夫に殺されてしまいます。そして王妃は息子たちを復讐に送り出し、息子たちは王の手足を切り落とすところまで追い詰めるものの、多勢に無勢、返り討ちとなり、大勢の人間を倒して名誉を得たことを誇りながら死んでゆくところで話は終わります。
何とも救いようのない話ですが、戦乱が相次ぎヴァイキングが生活手段だった頃の物語ですから、一家全滅した家も多かったのでしょう。今でも北欧は気候のせいで自殺者が結構多いそうですが、古代から中世ならなおさら陰鬱な気持ちになるはずです。
>ヒンドゥー教の密教は現代も続いているようですね。
密教よりもタントリズムの流れを組んでいるような。「シャークタ派」(性力派)の信仰など、インドあたりなら今でも行われていそうです。
おっしゃるとおり「シャークタ派」は残っているようです。ただ、私はまだ密教とタントリズムの厳密な区別ができるほど詳しく勉強致しておりませんので、ヒンドゥー教の密教についてはこれ以上分かりません。申し訳御座いません。
>そういえば、ネパールにも仏教がありましたね。少し前までネパールはヒンドゥー教が国教でしたが、毛沢東派が勢力を拡張、ついに国教の座を奪われました。 毛沢東派がネパールの教典を焼き払っているそうで、これは気がかりです。
毛沢東派が政権をひっくり返し王制を倒したのは中国の裏工作があったからだといわれています。今度のタイで起こったタクシン派(タクシンは華僑)のデモも中国が一枚も二枚も噛んでいたと言われています。ネパールもタイも王制です。そして信心深い国民性です。次は日本ではないでしょうか。そして、ネパールの教典が焼き払われているとは驚きました。ネパールにある経典はサンスクリット原典からの写本です。非常に貴重なサンスクリット経典です。だからこそ中国共産党政府は焼き払うよう命じているのではないでしょうか。
>非インテリ欧米人は未だに仏教(上座部、大乗も含め)は不浄な多神教と見ているとか。
mugi様が別のコラムで同じ国の国民でも宗教が違うと異民族として扱うとおっしゃいました。おっしゃるとおりですが、ヨーロッパの場合、階級社会という歴然とした区別があります。階級が違うと全く価値観が違います。非インテリ欧州人は不浄な多神教と見るのでしょうが、インテリは「仏教は無神論」と見るようです。キリスト教のカミの重圧から逃れたいインテリからすれば、仏教は恰好の逃げ場所になるのだと思います。
>クリスチャンにとって最大の「罪」とは、キリスト教に帰依しないことなのでしょうね。だから、信者の“罪”は特に問題とならず、懺悔すればチャラと思って いるはず。日本国に寄生するキリスト教徒日本人が周囲の異教徒を憎むのも、寄生しなければ食えない少数派という背景があるはず。連中は欧米に移住しても差別されるのを知っており、だから「信仰の自由」を盾に居座るのです。
全くおっしゃるとおりです。私の方から付け加えることは全くありません。
>彼らにはいくらしっかりした文献を提示しても、無駄だと思いますよ。返って、コメントをねつ造、歪曲し、書いてもいないことを書いたと誹謗中傷するのが十八番です。論戦を挑んでもすり替えと論点ずらし、稚拙な虚偽でも平気で書く輩なので、厄介だと思いますね。
おっしゃるとおりです。少し肩に力が入りすぎていました。
>ハハサウルス様、
>空海が注目して真言密教では読誦されているという「理趣経」は、男女の性行為を肯定しているとか。
ご存じの通り漢字の音読みには、呉音読み、漢音読み、唐音読み、慣用音がありますが、一般的には、経典は呉音で読みます。しかし、理趣経は呉音で読みますと一般信者に男女交合のエロい内容が分かってしまうため、僧侶は漢音で読む習わしになっていました。
>かの玄奘三蔵は、経典を持ち帰り翻訳した際、その翻訳に自信があった為、原典を処分したと何かで読んだことがあります。
なぜ原典を処分したかについては、学会でもはっきりとした説はないようです。よく言われるのは、中華思想によりシナ語こそが神聖な言葉であり、それで原典を処分したのではないかと言われていますが、確たる証拠はないようです。
mugi様これからも宜しくお願い致します。
やはり女子供への惨殺はともかく、頭蓋骨の漆塗りまで行った戦国武将は信長くらいでしたか。そのような振る舞いこそが、ドクロ杯の潤色につながったのでしょうね。
シナの春秋戦国時代でも、籠城戦で食糧が付き、やむを得ず子供を交換し合って殺害し、その肉を食べたというケースはありますが、赤の他人の子供であり、やはり我が子を食べるのは忍びなかったのでしょう。
それにしても、紹介された北欧神話は惨い話です。いくら自分の兄弟を殺害されたといえ、夫との間に生まれた我が子を殺すとは、言葉もありません。古代は他人の夫より血族を重んじていたのでしょうか。「ニーベルンゲンの歌」は夫を殺害され、復讐する妻がヒロインなので、まだマシですが、こちらも陰惨な物語ですよね。
ギリシャ神話も殺害と報復の話はありますが、北欧は厳しい気候もあるのか、神話にも反映されているのでしょうね。
私は日本語オンリーの語学オンチゆえ翻訳など到底できませんが、いくら語学力のある人でも文化習慣の異なる外国の書を翻訳するのには意訳が必要なことは想像はつきます。玄奘三蔵が語学力があり、彼の翻訳が日本のみならず他国の仏教に与えた影響は測り知れません。そんな彼も意訳はしていますし、原本では「女男」となっていた個所を「男女」に置き換えたりしています。また彼はソグド人を非難する理由に女が威張っていることを挙げてますが、これは男尊女卑の儒教的価値観でしょうね。こうなるとインド仏教よりも中国仏教となってきます。
はじめ日本の支配層は仏教を宗教よりも、学問として見ていた節があったようです。時代が下るにつれ、現世利益が好まれるようになっていったようですが、これは他宗教も同じでしょう。現代でもキリスト教系カルトも盛んですから。
そんな中でも即身仏となる覚悟をした僧侶はすごい。凄まじい苦行だし、凡人はとても真似できませんよね。せっかくきちんと過程を踏んでも、日本のような温暖湿潤の国ではミイラ化するのが難しい。即身仏になれなかった僧侶もかなりいたはずです。
鳥葬をテレビ特集でご覧になられたとは羨ましい(笑)。もちろんチベットの方ですよね?インド版の鳥葬も見ごたえはあるはずですが、こちらは信者以外に非公開なので、その様子は分かりません。
>>信長の他にはいなかったのでしょうか?
女子供を磔にした武将はいても、頭蓋骨の漆塗りなど信長以外聞いたことがありません。流石に400年以上経っても大勢の武将の中で際立って目立つ人物です。
>>シナさえこんな話はないのでは?
篭城戦で身内を食べる悲惨な話はありますが、あくまでも籠城戦の食糧難の話ですから話の性格が違いますね。そこまでして戦わなければもっと悲惨な目に合う大陸の戦争の苛烈さが垣間見えます。
息子を殺して父親に食べさせる北欧神話ですが、莫大な財宝を廻って自分の夫に兄弟を殺害された王妃が、復讐として行うのです。そして自分の行為を夫に告げて刺殺し、館に放火して大勢の戦士たちを夫の道連れにします。この神話は「ニーベルンゲンの歌」やこの話を元にした「ニーベルングの指環」の元話です。さすがに後二話に息子殺害の話はありません。
北欧神話自体、殺害と報復の話が多く(わが子が復讐の役に立たないからと母親が自分の兄に殺させる話もあり)、温暖なギリシャとはまるで違います。今の北欧のイメージと異なりますね。
>>ハハサウルス様
>>実は京極夏彦ファンで
読んでおられましたか。もしかしたら…、とも思ったのですが、立川流が描かれた小説として知っていたのはこれだけなので紹介させて頂きました。私は姑獲鳥の夏を読んでそのトリックに驚嘆し、説得力ある描写に才能を感じました。
>>立川流を知ったのもこの本がきっかけですが
私もです。ああ言う物体を作るという発想も日本の思想からするとかなり異質じゃないかと。京極夏彦の本から宗教や思想の世界に興味を持った人も多いのではないでしょうか。
何度も申し訳ありません。
かの玄奘三蔵は、経典を持ち帰り翻訳した際、その翻訳に自信があった為、原典を処分したと何かで読んだことがあります。私は「なんてもったいないことを!」と思ったのですが、いくら素晴らしい翻訳だったとしても、原文と翻訳にはやはり多少なりとも齟齬が生じると思いますので、後世に判断を委ねても良かったのではと思います。いろんな解釈がありますし、原典に帰ることは大事です。「伝わる」中「変化していく」ことを避けられないでしょうから。
空海が学んだ密教が、「密教」として日本に入り信仰されたわけですが、伝わった時点で真言密教になったということで、他の密教とは違ってくるのは仕方のないことなのでしょうね。(「きちんと理解していなかった」のなら尚更ですし)mugiさんはじめ他の方も仰っておられますように環境の影響も大きいでしょうね。
鳥葬ですが、私も大分前にテレビで特集を見たことがあります。その時は、さすがにリアルな部分はカットされていて、その後の血の残った大きなまな板のような石だけが映されていました。日本人の感覚では残酷なようですが、自分達の価値観で判断してはいけないのだとも思ったものです。
チベットでもダライ・ラマはミイラとして塔葬されるとか…!? 空海は高野山の奥の院で即身仏になっているとも、いや、入定したわけではないので食事を運んでいるとか聞いたことがあります。即身仏になるには五穀断ちなどの過程をきちんと踏まないとダメですし、環境条件も重要とか…、う~ん、いろいろ考えても深くて今の私の浅い知識ではまとまりません。きちんと系統立てて整理しないと頭の中が出来の悪いパッチワーク状態です(涙)。
スポンジ頭様
実は京極夏彦ファンで、ほとんど読んでいます。あのくどいまでの理屈っぽさがたまりません(笑)。『狂骨の夢』は京極作品の中で一番最初に購入した本です。表紙のイラストに惹かれたあたり、自分でも趣味がいいのか悪いのかと思いますが、それ以来はまっています。
立川流を知ったのもこの本がきっかけですが、それまで読んだ仏教関係の本には出てきたことがなかった(最も私が読んだことのあるのは初歩的なものだけですが…)だけに、やはり「驚き」ました。どの宗教にも分派があって、中には異端扱いのものも多いですから、その辺は知られないことが多いのでしょうね。
mugiさんも書いておられますが、御醍醐天皇が絡んでいるだけに、余計表には出せなかったこともあるのかもしれませんね。宗教は本当にいろいろです…。
憎い敵の頭蓋骨に漆を塗り、金粉をまぶして酒宴の飾りにした戦国武将は信長の他にはいなかったのでしょうか?もし、いれば信長ほどではなくとも知られそうですが、戦国時代でも敵の死体を辱めることはあまり聞かないような。
「タイタス・アンドロニカス」は映画化され、それで初めて知ったのですが、「シェイクスピア作品で最も残酷」の宣伝通り、子を虐殺された父親と母親による陰惨な復讐劇でした。映画ではタイタス役がアンソニー・ホプキンスだったので、凄味がありました。復讐のために赤の他人の子供を殺すのはまだ理解できますが、北欧もギリシャ神話のように母親が我が息子を殺すのは、いくらフィクションでも恐ろしい。日本はもちろん、シナさえこんな話はないのでは?
フレディ・マーキュリーは火葬をしたそうです。その遺灰の一部は自宅に、後はインドに運ばれたといわれてますが、外国在住のパールシーなら鳥葬は本当に難しい。ちなみにイラン本国では土葬に強制されたとか。
京極夏彦の「狂骨の夢」は初耳です。wikiの紹介やアマゾンのレビューを見ても面白そうですね。文庫本の表紙のイラストが迫力。他の百鬼夜行シリーズも面白そうです。
私もチベットについては全くの浅学で、神秘の国のイメージばかりが独り歩きしているように思えました。チベットの歴史も同じく浅学ですが、神権政治の印象が強く、あまりいい印象はなかったですね。ダライ・ラマもやはり政治家でもあります。
例え中共のプロパガンダ目的でも、これだけの展示物は見ごたえがありました。
「真言密教立川流」や「理趣経」をご存知なら、この派はかなり如何わしい儀式をしていたのもご存知ですよね。髑髏の前で男女交合…R18内容なのでこれ以上は書けませんが、後醍醐天皇がこの宗派の熱心な信者だったとも言われます。その甲斐があったのか、子供は三十数人も儲けたとか。
「真言密教立川流」は「荼枳尼天(だきにてん、上記の女神ダーキニー)」を拝んでおり、この女神は大黒天(シヴァ神)によって調伏されたという説話がありますから、シヴァと関係があります。ただ、悪く言えばヒンドゥー教からのパクリですね。
空海は密教をきちんと理解していなかったという説もあります。学んだ場も唐であり、儒教の影響も強い大陸では後期密教は受け入れられなかったと見る人もいますが、さもありなん、と思います。
立川流は江戸時代に弾圧を受け、断絶したというのが定説ですが、現代人から見てもやはり淫祠邪教の印象が強いですね。かつての日本の歌垣(うたがき)は野合にも発展しましたが、こちらは大らかな印象がありますが、立川流は異質でおどろおとろしい。弾圧されずとも、衰退していったと思います。
春秋社のシリーズ密教はどれも未見ですが、かなり専門的な書のようですね。インド仏教に関心を持っても、インド密教を知らない日本人が多いはず。生き残ったジャイナ教も現代は密教は廃れたのですか。それに対し、ヒンドゥー教の密教は現代も続いているようですね。
密教よりもタントリズムの流れを組んでいるような。「シャークタ派」(性力派)の信仰など、インドあたりなら今でも行われていそうです。
そういえば、ネパールにも仏教がありましたね。少し前までネパールはヒンドゥー教が国教でしたが、毛沢東派が勢力を拡張、ついに国教の座を奪われました。毛沢東派がネパールの教典を焼き払っているそうで、これは気がかりです。
東南アジア諸国にも後期仏教は伝播していたのですか。教えて頂き、有難うございました。イスラム化した東南アジア諸国もありますが、これもインド人ムスリムの布教によるところが大きいそうです。
何故か日本ではチベット仏教=密教のイメージが強いですが、かなり倫理性を重んじる教義なのは意外に知られていませんよね。キリスト教に幻滅した欧州の知識人が興味を持つのも当然だと思います。残念なことに、非インテリ欧米人は未だに仏教(上座部、大乗も含め)
は不浄な多神教と見ているとか。
クリスチャンにとって最大の「罪」とは、キリスト教に帰依しないことなのでしょうね。だから、信者の“罪”は特に問題とならず、懺悔すればチャラと思っているはず。日本国に寄生するキリスト教徒日本人が周囲の異教徒を憎むのも、寄生しなければ食えない少数派という背景があるはず。連中は欧米に移住しても差別されるのを知っており、だから「信仰の自由」を盾に居座るのです。
彼らにはいくらしっかりした文献を提示しても、無駄だと思いますよ。返って、コメントをねつ造、歪曲し、書いてもいないことを書いたと誹謗中傷するのが十八番です。論戦を挑んでもすり替えと論点ずらし、稚拙な虚偽でも平気で書く輩なので、厄介だと思いますね。
どうなんでしょう。でも私もチベットしか知らないのです。古代ならもっとありそうですが。
>>信長=ドクロ杯は有名ですよね。
私もそんな事をしてたのかと思ってましたが、実際は違うんですよね。信長はイメージ的によく合うので信じてしまいます。これが秀吉とか家康なら誰もこんな話を作らないでしょう。やはり苛烈な印象からこんな話も信じられる訳で。
>>息子の肉を父親に食べさせる話
私が知っているのはギリシャや北欧神話なのですが、中国やペルシャにもありますか。古くから血で血を洗う抗争をした地域らしい話ではありますね。「タイタス・アンドロニカス」をウィキで見ましたが、後味が悪い話ですね。あれは初期の作品だそうですが、マクベス等と比較してまだ洗練されていない感じです。北欧もギリシャも、復讐のために母親が我が息子を殺して父親に食べさせるのですが、ここまで来るともう理解の外です。
>>インドで鳥葬をするパールシー
外国居住のパールシーはどうしているんでしょう?インドまで移送して鳥葬でしょうか。インド以外の国だと法律違反になりそうですが。時代と宗教の調和は難しいですね。
>>ハハサウルス様
横レス失礼します。京極夏彦が真言密教立川流に関わりがある「狂骨の夢」を書いてます。私はこの辺りの宗教知識が全くないのですが、「日本にこんな信仰があったのか!」と言う驚きがありました。娯楽小説としても一級ですので、良ければどうぞ。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E7%8B%82%E9%AA%A8%E3%81%AE%E5%A4%A2&lr=&rlz=1R2DAJP_jaJP349&aq=f&aqi=g9g-m1&aql=&oq=&gs_rfai=
チベット仏教については、他の仏教と異質なものを感じていましたが、子供のころに読んだチベットを舞台にした冒険活劇の小説の影響でとても神秘的なイメージを抱いていたことと、ダライ・ラマへの好印象位で、詳しくは知りませんでした。今回、mugiさんが写真入で記事を書いて下さったお陰で、印象を新たにすることができ、機会があったら関係書を読んでみたいと思います。
今回の記事を読んでまず頭に浮かんだのが、shiretokoさんも書いておられますが、「真言密教立川流」です。空海が注目して真言密教では読誦されているという「理趣経」は、男女の性行為を肯定しているとか。この理趣経を経典として誕生したのが立川流で、髑髏が崇拝されていると読んだことを思い出しました。シヴァ神も関係するのではなかったでしょうか。
空海が学んだ密教が中期密教ということですが、その頃既に後期に差し掛かっていたのでしょうか?その辺の詳しいことは私にはわかりませんが、空海が密教を日本に伝えた時、それは最先端の仏教だったとか。最澄も空海に密教の教えを請うたそうですが、最澄が学校の先生のイメージならば、空海はカリスマ性抜群の一匹狼のイメージ(単純な発想で恥ずかしいのですが)を持っています。
女性原理を取り入れた立川流は、淫祠邪教の烙印を押され江戸時代には絶えたということですが、やはり日本では一般的に受け入れ難いような…。私もちょっと引いちゃいますね。それこそ“密かに”というところでしょうか。
>それにしても、ジャイナ教にも密教があったとは知りませんでした。ジャイナ教は仏教と違い、少数派にせよ現代までインドで続いて
いますよね。本当に生き残ったジャイナ教と消滅したインド仏教は好対照です。
ジャイナ教に密教があるのは、前述のテキストに書かれてありました。私が偉そうなことを申せませんが、密教は紀元5,6世紀から始まった全インド的な運動のようですね。仏教は13世紀に密教どころか仏教そのものがインドから消えていきますが、おっしゃるようにジャイナ教は生き残ります。しかし、密教に関しては、現在ほとんど力を持っていないようです。また、ヒンズー教の密教は、最も多様性があり、現代にも残っておりますが、密教の派によっては、下層のカーストの信仰となっており、差別的な扱いを受けているようです。
mugi様、スポンジ頭様のおっしゃるように、チベットは気候条件が厳しく、ある種過激な信仰になっていると思います。チベット仏教はインド仏教の後期密教まで継承した正統な後継者とよく言われますが、完全にそうとは言い切れないと思います。ネパールにはネワール仏教というものがあり、こちらの方がチベット仏教より本来のインド仏教に近いという説もあります。もっとも、ネワール仏教はヒンズー教との習合が強いそうです。
また、後期密教はインドから北(ネパール、ブータン、チベット)だけに伝えられたのではなく、現在は残っておりませんが、タイ、スリランカ、バリ、スマトラにも伝播していました。こちらの後期密教は、チベット仏教と違いヒンズー教との習合が強かったようです。
チベット仏教は密教のイメージがどうしても強いですが、顕教を非常に重視しています。また、教義が、日本仏教、上座部仏教よりも論理性を重視しますので、ヨーロッパでは受けがよいと聞きます。最近のヨーロッパ人は、キリスト教を信じられない人が増え、特に知識階級はチベット仏教、禅に興味を持つ人が多くなっています。とくに、ドイツ、フランス、イギリスに多いようです。
>日本のキリシタン迫害など、中国・朝鮮のそれに比べればかなり温いし、欧州の異端審問、宗教対立など同じ一神教のイスラムと好対照です。宗教に帰依すればするほど、妄想が膨らむのでしょうね。ルサンチマンの自尊心を満たすのに、宗教くらい効果的なものはないかも。
反日キャンペーンを繰り返しながら、日本に居続ける日本人キリスト教徒には心底敵意を覚えます。
キリスト教が最も「罪」を犯しているのに全く反省がありません。mugi様、私が日本人キリスト教徒に対して持っている敵意よりも、日本国に寄生するキリスト教徒の日本人に対する敵意の方が遙かに強いと思います。前司教に対する反論というだけではなく、豊臣、徳川政権がキリシタンを弾圧した正当性を、一度しっかりした文献を提示して徹底的に論じようと思います。
これからも書き込みをさせて頂きます。
笛の材質を知らなければ気にも留めないでしょうけど、「大腿骨」と意識してしまうと、やはり妙な感覚になるのでしょうね。人間の大腿骨で作られた笛があるのは、もしかするとチベットくらい?
信長はドクロ杯で酒を飲んだのではなく、単に「首級を髑髏にして、箔濃(はくだみ)にして見栄えをよくしていた」だけだったのですか!正しい情報を教えて頂き、有難うございました。
信長=ドクロ杯は有名ですよね。何年か前に読んだ堺屋太一の小説でもこの潤色が見られ、側近が「上様の感覚はちと異様や」と言うシーンがありました。
潤色がドクロ杯程度だった日本と違い、さすが他国は苛烈ですね。大陸あたりならさもありなん、と思いますし、春秋戦国時代に殺害こそされませんでしたが、簀巻きにされて便所に放り込まれ、辱めを受けた人物もいました。北欧神話の話も初耳です。
敵の息子の頭蓋骨を酒盃に加工せずとも、直接息子の肉を父親に食べさせる話が中国やペルシア神話にありました。シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」も、母親に息子の人肉パイを食べさせるというおぞましい場面が見られます。
私もネットニュースで、最近はチベットでも鳥が死者の体を食べなくなったことを見ました。インドで鳥葬をするパールシーも、肝心の禿鷹の数が極端に減り、困っているそうです。
私が聞いた時は「ブオォー」と言う低い音だった記憶があります。とりたてて変わった音じゃないのですが、「大腿骨」と聞いた時はギョッとなりました。
>>ドクロ杯で酒を飲んだのは信長
これは小説家の潤色で、実際は自分が滅ぼした浅井長政達の頭蓋骨に漆を塗り、金粉をまぶして酒宴の飾りにしただけだそうです。私だったらそれを見ながらお酒など無理ですが、生死が身近にあった当時の人はさほどの事ではなかったのでしょう。ちなみにこの件は「信長公記」に記載されているそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013499175
ドクロと言えば、春秋戦国時代の話で、自分を利用した挙句滅ぼそうとした君主を返り討ちにした君主が、相手の頭蓋骨を便器に投げ込んだ、もしくは直接便器として使用した、と言う話があります。また、北欧神話で王に対する復讐のため、王子を密かに殺して頭蓋骨は銀の酒盃に仕立て、歯と眼を装身具に加工して、酒盃は王、歯と眼はそれぞれ王妃と王女に献上したと言う話もあります。北欧の場合は神話ですが、両方とも非業の最期を遂げることが多い時代が反映されているので、気性が異常に激しくないと生き残れなかったのでしょう。
何で聞いたのか忘れましたが、近頃は鳥葬にしても鳥が以前のように死者の肉を食べに来ないのだそうです。人間の体が公害汚染されているので鳥が食べなくなっているのだそうですが、チベットでもそんな問題がぼつぼつ出てきているとは、と驚いた次第です。
この映画はフルカラーでしたか!上司の話ではかなり前に見ており、私がその話を聞いたのも十年以上も前なので、記憶が曖昧ですが、確かモノクロと言っていたような…
試しにネット検索してみたら、1958年、「西北ネパール学術探検隊」がヒマラヤ最奥地の調査をしており、その報告書として「鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記」が出ているそうです。「世界ではじめて奇習“鳥葬”をとらえるなど、日本の野外研究学派の基礎を築く大きな成果をあげた」との解説があり、その時の記録映像でしょうか?
それにしても、カラーでしたらかなりリアルな映像ですよね。それでもリバイバルされたら、やはり見に行くかもしれない(笑)。
人間の遺体を、解剖と言うくらいに、内蔵とか鳥が食べやすいように、解体してしまうのです。鳥にとっては、まず内蔵がご馳走で、肋骨とかを真ん中から割きます。腹部も真ん中から穴を開けて、内臓をむき出しにして、鳥が食べやすいようにします。
真っ赤な血が流れ、太陽がさんさんと照る、乾燥した空気の中、鳥たちが内臓、そして肉を食いちぎる様子を、しっかりカメラで撮影してありました。
チベットは、高地で、雲も少なく、紫外線も強く、カラーも鮮明でした。
衝撃的な解体シーン故に、当時話題となったけど、また小生は高校生だったように思うけど、映画館で、強烈に色彩豊かなチベット仏教の寺院とか、仏画とともに、記憶に残っている。
天然色が鮮やかなことでも、評判だった映画です。
頭蓋骨で作られた法具を間近で見ると、やはり迫力がありましたね。いかに見事な金細工を施されるにせよ、私なら願い下げですが、多くの日本人も同じ思いのはず。以前、仙台市博物館での何かの催しで、チベット仏教儀式で使われたという大腿骨で作られた笛も展示されていましたが、これも強い違和感を覚えました。大腿骨の笛って、どのような音色となるのか不明ですが、やはり気味悪そう。
日本人でドクロ杯で酒を飲んだのは信長くらいではないでしょうか。信長の残虐性を語る上で、必ず挙げられるエピソードです。
以前、私の職場の上司が、「鳥葬の国」というフィルムを見たそうで、チベットの高僧が鳥葬される様子を収めたモノクロフィルムだったそうです。ちゃんと鳥が食べやすいように、遺体を切り刻んでおり、これも日本人が見たら死者への冒とくに感じますが、鳥葬は丁重な葬儀であり、これは身分が高い僧侶くらいしか行われなかったとか。
私もこの特別展で初めて「仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して敷皮にする」との伝説がチベットにあることを知り、仰天しました。東南アジアの仏教国はここまでではないと思いますが、仰る通り、チベットのような荒涼な地となれば、仏教も苛烈になってくるのでしょうか。そういえば、モンゴルもチベット仏教を受け入れましたね。
現代でもヒンドゥー教には性エネルギーを有効に使うという考えがあるそうです。そのために秘儀のようなことも行われているとも言われていますが、やはり日本人にはよく分からないですね。その一方で息詰まるような禁欲も説いているから、ますます不可解。
もし日本に後期密教が入ったとしても中国経由になるので、インド後期密教よりはかなり薄められているはず。
ヒンドゥー教を“ネオ・バラモン”教と呼ぶ欧米人学者もいます。ヒンドゥー教もまた仏教の教義を取り入れて変容、さらにドラビタ系の
土着宗教も取り込み、仏教を圧倒していきました。ヒンドゥー教もよくいえば柔軟で融通無碍な面があり、知識人の教徒もこの宗教にはこれといった定義はないと語っています。
それにしても、ジャイナ教にも密教があったとは知りませんでした。ジャイナ教は仏教と違い、少数派にせよ現代までインドで続いて
いますよね。本当に生き残ったジャイナ教と消滅したインド仏教は好対照です。
今回の特別展でチベット人行者や高僧の肖像彫刻もありましたが、こちらは明らかなモンゴロイドの容貌をしていました。元からチベットはインドと隣接しているため、仏教滅亡以前からも人の交流はあったはず。チベットには仏教、ヒンドゥー教徒にとっても聖地とされる場所があり、インドの映画監督サタジット・レイがチベットを舞台とした小説を書いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/d835977f803cafed79d601bcc07d6d1b
カトリックに限らず日本人キリスト教徒が日本を非難する口実として、徳川時代のキリシタン迫害を執拗に挙げていますね。仰るとおり、まさに自己正当化するにはこれ以外ないのでょう。しかし、その原因となったのはまずキリシタンによる迫害とテロ、欧州人宣教師の走狗となっていたためであり、キリシタンに一切要因があるのです。しかも、当時の新大陸で原住民へのジェノサイドを重ねていた。元から聖書には「聖絶」の教義があり、ジェノサイド公認、奨励宗教ですから。
日本のキリシタン迫害など、中国・朝鮮のそれに比べればかなり温いし、欧州の異端審問、宗教対立など同じ一神教のイスラムと好対照です。宗教に帰依すればするほど、妄想が膨らむのでしょうね。ルサンチマンの自尊心を満たすのに、宗教くらい効果的なものはないかも。
反日キャンペーンを繰り返しながら、日本に居続ける日本人キリスト教徒には心底敵意を覚えます。
そして私も河口慧海の『西蔵旅行記』を抄訳(だったと思います)で読んだことがあるのですが、そこに身分の高い人物の処刑場面の描写がありました。たしか水死させた後、遺体を解体して川に流してしまうのです。日本人からするとグロテスクな話ですが、チベット仏教の死生観とも絡み合っているのでしょうか。
>>仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して
以前アラビアン・ナイトで、改宗した人物が異教徒の父親に改宗を迫り、聞かれずに平然と殺してしまう話があり(ここの辺り記憶モード、読んだ私は仰天)、一神教だからかと思っていましたが、どうもそうでもないですね。過酷な気候で信仰されると一神教でも多神教でも同じ結果になるのかもしれません。
密教の仏像ですが、インドで密教が現れてきた頃、ドラビタ族が力を持ち始め、それで密教の仏像は、アーリア系の容貌からドラビタ系の容貌に変化したと言われています。mugi様が別のコラムで、神仏習合はヒンズー教でもあったとおっしゃいましたが、ヒンズー教の基になったバラモン教(アーリア系)と仏教との間で力をもってきたドラビタ系を取り込む競争があったのではないかと思います。一つには密教という形でドラビタ系を取り込もうとしたのではないか。密教は仏教だけでなく、バラモン教、ジャイナ教にもありました。結果的には、バラモン教(アーリア系)が仏教、ドラビタ系の民族宗教を全部取り込み、仏教に対して勝利したのではないかと思っております。
チベットの仏像がなぜアーリア系の容貌なのかを考えますと、mugi様が示唆された、インドで仏教が滅亡してインドの高僧がチベットに亡命してことが、可能性として大きいと私も思います。
チベットの貴重な文化財、そしてチベット人の宗教精神文化を徹底的に破壊してきた中国共産党政府がこのような展覧会を行うのをみると、中国人の面の皮の厚さに閉口しますが、現状ではどうすることもできません。
こちらのコラムと話が違いますが、別の欄で紹介させて頂きましたカトリックの前司教のブログに面白い記事がありました。
http://mr826.net/psi/catholic/6a295a01306f30593066795e306b753167653059308b
豊臣秀吉から徳川政権に至るキリシタン「迫害」について(特に徳川家康)、徹底的に批判を浴びせています。ここまでくると妄想ではないかと思うのですが、キリスト教徒にとって、自己を正当化できるのはもはやキリシタン迫害しかないのでしょう。この文章を読みますと、ニーチェは正しかったのではないかと思わざるを得ません。彼らキリスト教徒の心の中にはルサンチマンしかないのではないかと思うのです。
これからも宜しくお願い致します。
上記に挙げられた昨年の記事は憶えています。同じ秘宝展が仙台にも来たので是非見たいと思い、博物館に鑑賞に行きました。チベット仏教で何故あれほどドクロ装飾が使われるのか不可解ですし、他の仏教国にはまず見られない特徴かもしれません。男女合体像ならインドのカジュラーホーが有名で、ここを訪れた人のブログ記事も結構あります。
http://www.sekatabi.com/diary/archives/2006/10/post_317.php
男女合体像はインドが本家でしょうけど、「現世肯定的で、派手で、陽気に見える」と思えませんか?気候の違いもあるのか、チベットのそれはダークな印象がありますね。
チベットの僧侶は他の仏教宗派と同じく建前は妻帯法度ですが、実際は隠し妻がいた者もあったはず。仏教僧が妻帯、肉食するのは日本くらいだそうですが、妻帯をしない仏教僧もまた少年への性的虐待行為をしているかもしれません。かつての日本の寺院も稚児などは、性的欲望の対象にされることもありました。これも妻帯を許さないという非人間的な戒律から来ているのです。
このチベットの仏教秘宝展示は、昨年12月に小生が上野で、古代ローマ帝国展と同日に鑑賞したのと同じもののようです。
「ローマとチベット」と題して論評しました(
http://79909040.at.webry.info/200912/article_1.html)。
小生も、ドクロがしょっちゅう出てくる異様な仏像類が、秘宝として、珍重されていることに違和感を持ったし、男女合体像にも、世界の宗教の中でこんなものが他にあろうか?と驚いたものです。ヒンドゥー教の画像、群神図類などは、豊かな胸、くびれた腰、などエロチックですから、その流れとは分かるけど。
そういえば、河口慧海の『西蔵旅行記』では、慧海を匿ってくれた恩人の夫妻も、結構夜はおさかんであったというような記述があったし、チベット仏教は、決して禁欲オンリーの教えではないのかも知れません。
チベット仏教の僧侶達も、結構妻帯していたのではないでしょうか?
最近西欧では、カトリック神父達の少年に対する性的虐待行為とかのスキャンダルが、次々に発覚したりして、やはり僧侶もきちんと妻帯させないと危険極まりないという議論のようです。プロテスタント僧侶はかなり前から妻帯を許されているので、性的スキャンダルが少ない。日本も、一休禅師、親鸞をはじめ、主要な僧侶が早々と妻帯して、この問題を解決した。
カトリックの偽善性も、妻帯許可でけりがつくはずと思う。