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性的虐待ほう助罪に問われた日本人修道女

2021-05-11 21:40:32 | 世相(外国)

 中共に忖度、台湾の国旗を“白旗”で載せる赤新聞・河北新報だが、国際面ではたまに興味深い記事が載ることもある。5月5日付の第5面最下段には、「日本人修道女ら被告に」という見出しのベタ記事があった。以下は記事全文。

【サンパウロ時事】南米アルゼンチン西部メンドサにあるカトリック系聴覚障害児童施設で司祭らが入所者に性的虐待を繰り返していた事件で、虐待ほう助罪などに問われた日本人修道女の小坂久美子被告ら9人の公判が3日、メンドサの裁判所で始まった。国営通信によると、小坂被告側は訴えの棄却を求めた。
 事件は施設(2017年に閉鎖)で05年ごろから16年にかけて発生。司祭らが当時4~17歳の約20人に性的虐待を重ねていた。施設で働いていた小坂被告は虐待を助長した罪などで17年に逮捕、起訴されていた。事件をめぐっては、19年11月に司祭2人に禁錮45年と同42年、庭師の男に同18年の有罪判決が言い渡されている。 
 AFP通信によると、被害者の姉妹の一人は「子供たちの面倒を見ていた修道女らの協力なしには事件は起こらなかった」と強調。父親の一人は「事件露見を恐れ、彼らは(子供たちに)手話を習わせないことで隠蔽(いんぺい)を図った」と小坂被告らを非難している。

 トップ画像は電子版日経新聞からの借用。この修道女、どんなツラしてる?と思い検索したら、日経新聞記事がヒットした。この記事には「小坂被告は1977年に家族とともにアルゼンチンに渡り、メンドサの施設では2004~12年ごろ住み込みで働いていたとされる。被害者の元入所者の証言を基に起訴された」ことが載っている。
 ノンクリ日本人の大半は修道女と言えば、きっちり修道服に身を包んだ慎ましい女性をイメージするが、小坂の画像には仰天しただろう。俗人並のラフなТシャツ姿に肥満体。暑い南米ゆえ修道服の着用は義務付けられなかったとしても、この姿はあまりにもラフすぎ。品もなく片田舎のおばさん同然だが、今や修道女にはこんな女が少なくないのか?

 今世紀初めからカトリック教会の性的虐待事件がメディアに取り上げられるようになった。カトリック教会が問題を長く隠蔽してきたことも報じられ、ノンクリ日本人の間にも知られるようになっている。この種の事件は破廉恥な聖職者が密かに行っていたと思われがちだが、被害者が訴えたように修道女らの協力なしには起こらなかっただろう。

 虐待に関与した日本人修道女のニュースで、ふと昔のコメントを思い出した。「キリスト教の私見」というタイトルで、Nobなる自称カトリック信者から長文コメントがあり、Nob氏は「キリスト教では「心を貧しくせよ」と教えています。キリスト教世界では「心が貧しい」はほめ言葉です」という。そして私がドン引きしたコメントの一部を引用したい。
こんな不確かな誰も証明できない知識(キリスト教の歴史)を心に多く持つことは心の貧しさに反します
もっとも私たち生身の人間が心を底から貧しくすることはそれは困難ですが。だからこそ無心に祈るのです。祈ることは神に願うことではなく己の心を貧しくすることです徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます」(2011-02-19)

 聖書自体、不確かで誰も証明できない知識の集大成なのだが、Nob氏は自ら進んで無知蒙昧の奴隷になることを理想としているらしい。氏の結びの一文は実に意味深だった。
心が浄化され、ニコニコと他人の言うことを素直に聞くことができればと願いますが、残念
 小坂被告はさぞニコニコと司祭の言うことを素直に聞いていたことだろう。元々修道女は司祭には絶対服従を強いられており、子供たちに手話を習わせないことで隠蔽を図るのも心が貧しいから。

 キリスト教史研究者にも奇矯な主張をする者がいて、そのツイートを紹介したい。
しばらく前まで、キリスト教嫌いだという人のことが、よくわからなかったが、最近、キリスト教にではなく、キリスト教で食べている人々のいやらしさ(日本国内に限る)が目につくようになり、ようやく合点がいくようになった。ブッキッシュな傾向のために、世間知らずのところがあり、気づきに遅れた。」(2011年11月22日)

 この女性研究者殿が、キリスト教で食べている人々のいやらしさが日本国内に限られていると見るのは不見識も甚だしい。カトリック教会の性的虐待事件など、2002年に米国のメディアが大々的に報じており、日本でもメディアが取り上げている。
 ブッキッシュな傾向のため、など弁明としても稚拙極まりなく、全くの世間知らずでも研究者は十分に勤まるようだ。この研究者はブログでこうも言っている。
一般国民としては、一次資料や直接体験に基づかない限り、自己流の安易な憶測で勝手気儘に発言しない態度が重要であろう

 但し研究者全員がこう考えているのではなく、拙ブログにコメントされるmottonさん(理系男性研究者)の意見を紹介したい。
憶測で書くのは(私的な行為であり)問題無し、憶測で書くことで他人を傷つけるのは(公的な行為であり)ダメ、でいいではないかと」(2016-04-06)

 カトリックに限らず破戒僧はどの宗教にも一定数いるし、オウム真理教事件が騒がしかった頃、私の職場の上司は「だいたい坊主は昔からスケベと相場が決まっている!」と言っていた。
 成人女性信者と合意の上でコトに及ぶスケベ坊主はともかく、障害児童施設で性的虐待を繰り返していた聖職者は外道の極み。この外道どもに最低でも禁錮18年の有罪判決を言い渡したアルゼンチンの裁判所には驚嘆した。日本なら同種の事件が起きても十年以下の懲役刑だろうし、我が国は子どもの人権では南米以下だ。

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2 コメント

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Unknown (牛蒡剣)
2021-05-11 22:17:50
>憶測で書くのは(私的な行為であり)問題無し、憶測で書くことで他人を傷つけるのは(公的な行為であり)ダメ、でいいではないかと」

簡潔ですがうなずくしかない!素晴らしい!これはいいコメント!mottonさんの発言にしびれました!
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-05-12 22:32:03
 mottonさんのコメントには簡素でも鋭い指摘があり、拙ブログでも時々引用させてもらってます。対照的に文系は下っ端研究者でも威張り散らし、素人に説教しますが、その素人よりモノを知らないことも少なくない。特に女は。
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