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娼婦から寵姫になった女

2007-02-04 20:23:09 | 読書/欧米史
 映画「マリー・アントワネット」や劇画“ベルバラ”でアントワネットの敵役として登場するのが、ルイ15世の寵姫デュ・バリー夫人。特に“ベルバラ”では罪もない小間使いを毒殺し、オスカルの母に濡れ衣をきせようとする冷酷な悪女に描かれているが、これはもちろんフィクション。とかく物語では国王の寵愛をほしいままにした悪女にされるが、実際はどんな女性だったのか。

 デュ・バリー夫人の元の名はジャンヌ・ベキュと いい、1743年8月、尻軽女と評判だった料理婦の私生児としてパリに生まれる。母のパトロンが幼少のジャンヌを可愛がり、修道院に入れて教育した。ここ で9年間を過ごし、15歳である裕福な未亡人の侍女となったが、幼い頃から人目を惹かずにいられないほどの彼女の美貌は、たちまち何人もの恋人が出来る。 これが目に余り解雇されるが、次の勤め先でも多数の愛人を持つ有様。その内に極道者として有名なジャン・デュ・バリー伯爵(偽伯爵らしい)に出会い、その 妾となる。

 デュ・バリー伯爵は美女を見つけると同棲し、飽きると女を富裕な貴族に高く売りつけていた。女に目利きだったので、いつも売 れ行きがよかったが、ジャンヌは手放すのが惜しかったらしく、同棲しながら顧客に有料で貸し出していた。要するにヒモだが、顧客は大貴族やアカデミー会員 の一流文化人、ヴォルテールさえその一人だったと言う。ジャンヌは高級娼婦という訳だが、名士たちと交流する間に洗練された社交術を見に付け、生まれながらの貴族のようなムードを発散させた。彼女の顧客だった貴族はこう表現している。
ジャンヌは背が高く容姿優れ、輝く金髪に広い額、うりざね顔、微笑にほころぶ朱唇、きめ細かく滑らかな肌、そして天下一品の豊胸
 彼女の肖像画を見ただけで、その妖艶な美しさが分かる。私はアントワネットより美貌で優ると思う。

 顧客の大貴族がジャンヌをヴェルサイユ宮殿に連れ込んだことから、国王ルイ15世と出会うきっかけとなった。「ぐうたら王」と呼ばれるほどの女好きの王は(ある記録によると儲けた私生児は61名に上る)、彼女の色香に迷わぬはずがない。王は彼女を正式に寵姫にする決心をする。
  寵姫にするといえ、フランス宮廷では公認愛妾となるのに特殊な儀典が必要とされた。国王自身により王妃や王太子などの王族及び前宮廷に正式に紹介される儀 式を経て、正式に寵姫として認められる。一旦寵姫に宣せられれば、王妃に順ずる扱いを受け、宮廷で権勢をほしいままに出来た。既婚者でなければ寵姫の資格 はなかったので、デュ・バリー伯爵はジャンヌと自分の弟を形式だけの結婚をさせ、彼女はデュ・バリー夫人となる。ジャンヌがついに寵姫になったのは 1769年、王は58歳、彼女は25歳だった。

 晴れて寵姫となったジャンヌに全欧州の王侯は競って媚を送り、盛大な贈り物をした。彼女も贅沢な暮しを送ったのは事実だが、ルイ15世の前の寵姫として有名なポンパドゥール夫人も 似たようなものだった。王太子妃時代のアントワネットとの確執、国王の死後、国事犯として尼僧院に送られたのも事実だ。だが、元来が下層階級出の上に明朗 な性格なので、境遇の変化に適応し、院長や修道女の同情を集めるようになる。知己が取り成してくれたので、尼僧院からもまもなく釈放される。
 釈放されたジャンヌは前国王から拝領した城に帰り住み、華麗な社交生活を送る。旧知の有力者も次々訪れ、来客者にはヴォルテールやタレーランもいたというからすごい。もちろん恋多き彼女はさらに何人かの貴族の愛人となり、昔のような華やかな生活を送った。

  しかし、革命の時代はまもなく訪れた。彼女の愛人も暴徒に惨殺され、身の危険を感じたジャンヌはロンドンに逃れる。だが1793年3月、国王から贈られた 城の差押さえ解除を求めるため(または宝石を取り戻すためとも)、フランスに舞い戻る。彼女はコネを使い、差押さえ解除に成功し、革命派の脅迫を無視して 昔ながらの生活を楽しむ。
 1793年9月、ついに革命裁判所は逮捕状を出し、彼女は監獄に送られた。同年12月、革命裁判所で彼女を裁いた人物 こそフーキエ・ダンヴィル、アントワネットを断罪した鬼検事で知られる。彼はジャンヌを高等娼婦と蔑み、「恥ずべき快楽と淫蕩により人民の富と血を犠牲に した、専制君主の憎むべき共犯」と、死刑を宣告する。

 処刑は12月8日に行われた。処刑を恐れる ジャンヌは宝石の隠し場所を教えると言い、実に5時間も語り続ける。長話をするうちに奇跡が起きるのを期待していたようだ。だが、語り尽くすと獄吏は囚人 護送車に彼女を押込むが、車の中で彼女は恐怖で気を失う。断頭台で首穴に首を挟まれても、彼女は泣き喚き、もだえ狂う。毅然として死に望んだ王妃や女性革 命家と異なり、彼女の最後の言葉はこうだ。
死にたくないの。痛い目にあわせないで。ねえ、お願いよ!」享年50歳。

  「ベルバラ」では冷血な悪女に描いた池田理代子さんも、著書『フランス革命の女たち』では、「冷酷な権謀術数や策略には全く縁のない素直な可愛い女に過ぎ なかった」「ただ美しいドレスやダイヤモンドを身につけ、男から愛されればそれで心を満たすことの出来る」と書いている。彼女の無様な最後は、頭の切れる 計算高い女ではなかったのを如実に示している。美しく気のいい女だったゆえ、多くの男たちに愛されたのだ。
 国王ルイ16世は愛妾1人持たなかったので、デュ・バリー夫人がフランス最後の寵姫となった。多くの美女と関係を持ったルイ15世はフランスで最も幸福な王だが、次の王は悲劇極まる。

■参考:「ヴェルサイユ宮廷の女性たち」文藝春秋、加瀬俊一著

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