最近立て続けにラフィク・シャミの本『ミラード』『蠅の乳搾り』を読んだ。彼はドイツ在住のシリア人で、ドイツでもっとも読まれている作家の一人とされる。シリアもアラブの国の一つであり、アラブ=イスラム教徒のイメージがあるが、シャミは少数派のキリスト教徒なのだ。
アラビア語で“誕生”を意味する「ミラード」は主人公の名前。ミラードはシリアのキリスト教徒の村マルーラ生まれとなっており、著者が書いたとおりモデルがいるのだろう。波乱万丈のストーリーも楽しいが、アラブ社会の背景が興味深い。
シリア-他のアラブ諸国も同じだろう-での言論状況は、宗教、性、政治の話は禁断のトライアングルとされるそうだ。例えば、西部劇で酒場に現れたガンマンが注文するものは、字幕で「茶をくれ」となるらしい。もちろん茶でないのはサウジアラビア人でも分かるが、そうでないと宗教界がうるさいのだ。これでは民主主義などアメリカが強要しなくとも、根付く事はないだろう。
シャミは、アラブ人は未来永劫に渡り自分の心の奥底まで相手にさらけ出したりはしない、どんなに心を開いた間柄でも、と書いていたが、アラブにこれから 行く予定の人は記憶に留めて置いた方がよいだろう。アラブ人が日本人をちやほやするのは、実は懐目当てなのだが、これを同じ東洋人としての友情と勘違いす る者が多いのだ。昨年イラクで人質になった世間知らずのロマンチストが典型だが。
短編集「蠅の乳搾り」の中で、『我が友ヌー ヌーとクルド人に捧げる』が特に面白かった。シリアにもクルド人が30万ほどおり、彼らはここでも貧しい生活を強いられている。歴史の授業の描写は面白い。生徒からも軽く見られている教師がウマイヤ朝(661-750)について、周辺諸国は輝かしいアラブ文明の前に門戸を開放して野蛮状態を脱した、と講義したのだ。実際は後の西欧帝国主義と変わらぬ軍事征服を“門戸開放”と表現するが、生徒の一人が「では、トルコに4百年間、フランスに25年、我々は門戸を開放していたのですね」と混ぜ返す。すると教師は憤然として「それは植民地主義で、事情が違う」と答えた。
この教師は十字軍時代のサラディンを「アラブの英雄」と呼んだ所、著者のクルド人の友人・ヌーがすかさず「サラディンはクルド人ですよ」 と抗議する。著者は初めて彼をクルド人と知ったらしい。周辺で誰もサラディンをクルド人と言った者はなかったから。反論された先生は「サラディンは素晴ら しいイスラムの戦士だった。アラブの心を持っていた。だからアラブ人だ」と我田引水気味の説をぶつと、「それなら僕はマーロン・ブラントだ」と、この俳優 のファンの他の生徒が突っ込み、クラスは笑いに包まれた。
中国もチベットを農奴制から解放したと教えているので、どの国の歴史認識もこのようなものだろう。ただ、中国で上記のような反論をする生徒がいるのだろうか?
アラビア語で“誕生”を意味する「ミラード」は主人公の名前。ミラードはシリアのキリスト教徒の村マルーラ生まれとなっており、著者が書いたとおりモデルがいるのだろう。波乱万丈のストーリーも楽しいが、アラブ社会の背景が興味深い。
シリア-他のアラブ諸国も同じだろう-での言論状況は、宗教、性、政治の話は禁断のトライアングルとされるそうだ。例えば、西部劇で酒場に現れたガンマンが注文するものは、字幕で「茶をくれ」となるらしい。もちろん茶でないのはサウジアラビア人でも分かるが、そうでないと宗教界がうるさいのだ。これでは民主主義などアメリカが強要しなくとも、根付く事はないだろう。
シャミは、アラブ人は未来永劫に渡り自分の心の奥底まで相手にさらけ出したりはしない、どんなに心を開いた間柄でも、と書いていたが、アラブにこれから 行く予定の人は記憶に留めて置いた方がよいだろう。アラブ人が日本人をちやほやするのは、実は懐目当てなのだが、これを同じ東洋人としての友情と勘違いす る者が多いのだ。昨年イラクで人質になった世間知らずのロマンチストが典型だが。
短編集「蠅の乳搾り」の中で、『我が友ヌー ヌーとクルド人に捧げる』が特に面白かった。シリアにもクルド人が30万ほどおり、彼らはここでも貧しい生活を強いられている。歴史の授業の描写は面白い。生徒からも軽く見られている教師がウマイヤ朝(661-750)について、周辺諸国は輝かしいアラブ文明の前に門戸を開放して野蛮状態を脱した、と講義したのだ。実際は後の西欧帝国主義と変わらぬ軍事征服を“門戸開放”と表現するが、生徒の一人が「では、トルコに4百年間、フランスに25年、我々は門戸を開放していたのですね」と混ぜ返す。すると教師は憤然として「それは植民地主義で、事情が違う」と答えた。
この教師は十字軍時代のサラディンを「アラブの英雄」と呼んだ所、著者のクルド人の友人・ヌーがすかさず「サラディンはクルド人ですよ」 と抗議する。著者は初めて彼をクルド人と知ったらしい。周辺で誰もサラディンをクルド人と言った者はなかったから。反論された先生は「サラディンは素晴ら しいイスラムの戦士だった。アラブの心を持っていた。だからアラブ人だ」と我田引水気味の説をぶつと、「それなら僕はマーロン・ブラントだ」と、この俳優 のファンの他の生徒が突っ込み、クラスは笑いに包まれた。
中国もチベットを農奴制から解放したと教えているので、どの国の歴史認識もこのようなものだろう。ただ、中国で上記のような反論をする生徒がいるのだろうか?
映画”少女ヘジャル”を観て、初めてクルド人問題について考えさせられ、Web上で調べているうちにこちらのサイトを拝見致しました。クルド人問題に限らず、様々な国や地域の状況やあり方について述べられており、とても勉強になります。
これからも時折お邪魔させていただくかもしれませんが、何卒宜しくお願い致します。
私も映画が好きなので、観た映画を語り合えたら素晴らしいと思います。
こちらの方こそ、宜しくお願い致します。
実は昨日の夜、「マザー・テレサ」他の記事に1,400件もの大量の悪質コメントスパムが送信され、コメントをストップしてたのです。
2秒に一度のペースで送信ですので、そのままにしていたら数千にもなったでしょう。ネット上でも異常者はいるものです。
こんな悪戯に興じているのなら、面白い本を読んだらいいのに、と思いますが、この類は本など無縁でしょうね。
国際的に有名なブログでもないのに、何故私の弱小ブログが狙われたのか全く分からないので不気味です。他にもやはり中国語のスパムコメントを送信された方もいるそうです。「小人、閑居して不善をなす」とは、まさにこの類です。