『九時の月』(デボラ・エリス著、さ・え・ら書房)を先日読んだ。主人公は15歳の少女で彼女の日常を描いた作品だが、日本の同世代とは取り巻く環境のあまりの違いに言葉もない読者は多かったはず。表紙裏には本書をこう紹介している。
―15歳のファリンは、イランの首都テヘランの名門女子校に通う裕福な家の一人娘。学校では孤立し、運転手付きの車で家と学校を往復するだけの鬱屈した毎日を送っている。
だが、美しいサディーラが転校してきたことで、ファリンの日常は一変する。親友となった二人は、学校だけでなく休日も行動を共にするようになり、互いを想う気持ちを深めていく……
紹介では「互いを想う気持ちを深めていく……」と抑えた表現だが、ズバリ云えば2人は恋に落ちたのだ。しかし思春期の揺れ動く心情を描いた甘い百合小説ではない。作者あとがきに記されているが、「イランの同性愛者人権グループ、ホーマンによると、1979年以降、四千人以上のレズビアンとゲイが処刑されています」。
そして2013年末の時点で、サウジ、モーリアニア、スーダン、ナイジェリアの一部とソマリアの一部でもイラン同様の処罰を科しているという。処刑されずとも、アジア、アフリカ、南北アメリカ、欧州大陸とカリブ海に及ぶ地域の70以上の国々で同性愛者は犯罪なのだ。殊にイスラム圏では同性愛者に対し厳しい対応を行っているのは、中東情勢に通じた方なら知っているはず。
読書メーターには、結末に救いがないという書込みがあったが、イランに関しいささか知っているつもりの私でも同じだった。何しろ美しく気高いサディーラは処刑されてしまうのだから。
まだ15歳の少女を同性愛者というだけで処刑するのか、と日本人読者は驚愕しただろう。かなり前に読んだ『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア著)の中で、十代の少年でも処刑する国が7つあると記述があり、うち6ヵ国はイランを含めイスラム圏だったことを思い出す。
少年たちは何の罪で処刑されたのかは記されていなかったが、まさか同性愛も対象だったのか?ちなみに残りひとつの国は米国。あの中国さえ10代を死刑にしていない、と著者は憤慨していたが。
物語はイラン・イラク戦争末期の1988年から始まる。私的にはファリンとサディーラの恋物語よりも、戦中戦後のイラン社会がとても興味深かった。戦中は日本の戦時下と似ている面も見られたが、戦後は全く異なる。
ヒロインの家庭事情も実に面白い。紹介にある通り彼女の家は裕福だが、父が財を成したのは一代で大きな建設会社を築き上げたためだった。父は遊牧民の出身で建設業のことは何も知らなかったが、図書館に通い、学べる限りのことを独学して会社を創設した。
こう書けば大した事業家という印象を受けるが、その背景もまた興味深い。折しもイランにはアフガンから何百万人もの難民がきており、父はアフガン難民を殆どタダで働かせることにより、会社は大きくなった。住居のない労働者は建設現場に寝泊まりするから、父は警備員を雇う費用が省けた。アフガン難民の中には教育を受けた技術者もかなりいたが、彼らも安く使われる。
労働者たちは地面やコンクリートの上にボロ布を敷いて眠った。給料を上げてほしいと言い出す者は、父が密入国者として強制送還させる。
ある時父の元で働いていたアフガン人庭師が、アフガンにいる家族に生活費を送りたいので、給料をくれるよう要求する。父は前々から買収していた警官を電話で呼び出し、庭師を連行させた。引き立てられる庭師を父は微笑んでみていたが、そこで働いている難民にもわざと仲間が連れ去られる所を見せつける。
ファリンを学校に送り迎えしているアーマドも、アフガン難民のひとりだった。父がアーマドに与えているのは、三度の食事と小さな寝場所(ファリンの家の門の側にある小さな部屋の床に敷いたマットの寝床)のみ。
イランに何百万人ものアフガン難民が来ていたことは知っていたが、これだけの膨大な難民をどうやって生活させていたのか不思議だった。国際機関からの支援もあろうが、上記のようなからくりがあったことは本書で初めて知った。それでも大勢の難民を受け入れたのは評価されてよい。広大な国土を有しながら、中露の様に難民を認めない国もあるのだから。
その二に続く
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3連打で欧州に難民が押し寄せ、ドイツ ギリシア
ハンガリーが勘弁してくれ!と悲鳴を上げてる最中
ドイツがごり押しで受け入れをしていましたが、
その後、ドイツは「合法的に」時給1ユーロで
難民をこき使ってる話を聞き「なるほど」
と思いましたが、この事例もそっくりですね。
続きにも書きますが、異民族のみならず同じイラン人でも上層階級は下層民を蔑視しているのです。主人公の母のように。