アメリカのヒロイックファンタジーで、主人公が2人組みという珍しい作品がある。その小説はフリッツ・ライバー作の『ファファード&グレイマウザー』シリーズ(創元文庫)、文字通りファファードとグレイマウザーが主役。私がもっとも気に入っているヒロイックファンタジーだが、日本のファンタジー小説に与えた影響も少なくないと思う。ストーリーの面白さだけでなく、魅力的なキャラクターがよい。
wikiでは2人の主人公をこう記載している。
-ファファードは長身の北国の蛮族である。出身は氷雪に閉ざされた女系部族で、彼は「文明」にあこがれてそこを出奔した。“灰色杖”と名づけた長剣を使い、音楽の才能も豊富である。
マウザー(グレイ・マウザー、灰色猫の意味)は小柄で機知に富んだ盗賊である。“手術刀”と名づけた細身の長剣と“猫の爪”と名づけた短剣を愛用する。魔法使いの弟子であったこともあり、魔法というものをこよなく愛するが、魔法使いとしての腕はあまり良くない。
作者ライバーは『ランクマーの二剣士』の前書で、この2人組みのキャラクターを誕生させた背景や、その解説が述べている。
-ファファードとグレイ・マウザーは折り紙つきの無法者だが、どちらも人間味をたっぷり持ち合わせ、真の冒険者らしい気概を少なくともダイヤの欠片ほどは残している。2人は大酒を食らい、大飯を食らい、女を買い、喧嘩を買い、盗みを働き、博打にふけり、また剣技を売り物にして、悪党と紙一重の権力者に雇われる…
最初にファファードとマウザーを誕生させた動機は、コナンやターザンやその他大勢のスーパーマンたちより、もっと人間の尺度に近い2人組みのファンタジーのヒーローを登場させたかったからだ…伝説の世界では、たぶんロビン・フッドがこの2人にいちばん近い存在かもしれない。そう、ファファードとマウザーは、まさに一匹狼のロビン・フッドの2人組みなのだ…
数多いシリーズ作の中で、私が好きな作品への感想を書いてみたい。まず、ファファードが“寒の曠野(あらの)”と呼ばれる北の故郷を捨て、文明社会に旅立つ顛末を描いた『雪の女』(Snow Women)。この物語には彼をめぐる3人の女が重要な脇役となっており、3人いずれも勝気な女たちなのだ。この作品に限らずライバーの女性キャラは魅力的だが、淑やか風に見えてもどれも気丈な女達ばかりで、そこがアメリカの小説らしい。イギリスのファンタジー作家トールキン、マイケル・ムアコックの描く女性とは風情がかなり違う。同じ英語圏でもその違いは面白い。
ファファードは早く父を亡くし、母のモールが女手1つで育て上げる。兄弟のない一人っ子のこともあり、マザコン気味な若者でもある。モールは「雪一族」の中でも権力を持つ女家長であると同時に呪術師でもある。彼女は夫を支配したがり、寡婦となった後は何かと息子を押さえつけようとする。ファファードの父は部族の伝統に逆らい、自由な生き方を求めた男だったが、彼が死亡したのは美しく誇り高いモールが己の意に従わない夫を呪術で始末したためなのが伺える。才能と度胸、美貌を兼ね備えた女ほど、男を支配したがるものなのだ。凡庸で従順な性質の男ならそれでも我慢できるかもしれないが、自立心に富む男なら耐え切れないだろう。
だが、そんな母を持つファファードが選んだ女役者ヴラナもまた十歳年長の強かものだったのは皮肉というか、やはり男は無意識のうちに母と同じタイプの女を求めたがるらしい。彼には「雪一族」の娘マーラという恋人がおリ、こちらもじゃじゃ馬だった。自信家の美人でファファードとの結婚後、姑や夫を支配することを夢想している娘でもあった。
ファファード以外に美しいヴラナを狙う男は他にもあり、彼女は彼らを冷静に値踏みする。ヴラナの台詞は女の本性が表れており、唸らせられる。
-女というものは、何時もあらゆる逃げ道を用意しておかなくてはならないのよ、あなたにそれが分る?どんな男とでも仲間を組む覚悟で、運命のまにまに誰かを捨て、代わりの誰かを選んでこそ、女は男の恵まれた条件に太刀打ちできるんだわ…
『円環の呪い』で主人公達と関ることになる2人の魔法使い〈七つの目のニンゴブル〉と〈目なき顔のシールバ〉が登場、魔法使いらが与えた教訓も興味深い。恋人達が惨殺された都ランクマーには2度と戻らぬ誓いを立てたファファードとグレイマウザーに後者はこう語りかけ、その通りになる。
-「決して」も「永久に」も人間に縁のなきもの。繰り返し、繰り返しお前達は戻る。
〈七つの目のニンゴブル〉が2人の冒険者に諭した内容も意味深い。人間の移ろいやすさは何時の時代も同じということか。
-誓いとは、その目的を果たすまで守られるだけのもの。いかなる呪いもいつかは解け、いかなる自己流の掟もいつかは破れる。でなければ、人生における秩序は成長の制約となり、規律は束縛となり、誠実さは屈従と悪行となろう…
その②に続く
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wikiでは2人の主人公をこう記載している。
-ファファードは長身の北国の蛮族である。出身は氷雪に閉ざされた女系部族で、彼は「文明」にあこがれてそこを出奔した。“灰色杖”と名づけた長剣を使い、音楽の才能も豊富である。
マウザー(グレイ・マウザー、灰色猫の意味)は小柄で機知に富んだ盗賊である。“手術刀”と名づけた細身の長剣と“猫の爪”と名づけた短剣を愛用する。魔法使いの弟子であったこともあり、魔法というものをこよなく愛するが、魔法使いとしての腕はあまり良くない。
作者ライバーは『ランクマーの二剣士』の前書で、この2人組みのキャラクターを誕生させた背景や、その解説が述べている。
-ファファードとグレイ・マウザーは折り紙つきの無法者だが、どちらも人間味をたっぷり持ち合わせ、真の冒険者らしい気概を少なくともダイヤの欠片ほどは残している。2人は大酒を食らい、大飯を食らい、女を買い、喧嘩を買い、盗みを働き、博打にふけり、また剣技を売り物にして、悪党と紙一重の権力者に雇われる…
最初にファファードとマウザーを誕生させた動機は、コナンやターザンやその他大勢のスーパーマンたちより、もっと人間の尺度に近い2人組みのファンタジーのヒーローを登場させたかったからだ…伝説の世界では、たぶんロビン・フッドがこの2人にいちばん近い存在かもしれない。そう、ファファードとマウザーは、まさに一匹狼のロビン・フッドの2人組みなのだ…
数多いシリーズ作の中で、私が好きな作品への感想を書いてみたい。まず、ファファードが“寒の曠野(あらの)”と呼ばれる北の故郷を捨て、文明社会に旅立つ顛末を描いた『雪の女』(Snow Women)。この物語には彼をめぐる3人の女が重要な脇役となっており、3人いずれも勝気な女たちなのだ。この作品に限らずライバーの女性キャラは魅力的だが、淑やか風に見えてもどれも気丈な女達ばかりで、そこがアメリカの小説らしい。イギリスのファンタジー作家トールキン、マイケル・ムアコックの描く女性とは風情がかなり違う。同じ英語圏でもその違いは面白い。
ファファードは早く父を亡くし、母のモールが女手1つで育て上げる。兄弟のない一人っ子のこともあり、マザコン気味な若者でもある。モールは「雪一族」の中でも権力を持つ女家長であると同時に呪術師でもある。彼女は夫を支配したがり、寡婦となった後は何かと息子を押さえつけようとする。ファファードの父は部族の伝統に逆らい、自由な生き方を求めた男だったが、彼が死亡したのは美しく誇り高いモールが己の意に従わない夫を呪術で始末したためなのが伺える。才能と度胸、美貌を兼ね備えた女ほど、男を支配したがるものなのだ。凡庸で従順な性質の男ならそれでも我慢できるかもしれないが、自立心に富む男なら耐え切れないだろう。
だが、そんな母を持つファファードが選んだ女役者ヴラナもまた十歳年長の強かものだったのは皮肉というか、やはり男は無意識のうちに母と同じタイプの女を求めたがるらしい。彼には「雪一族」の娘マーラという恋人がおリ、こちらもじゃじゃ馬だった。自信家の美人でファファードとの結婚後、姑や夫を支配することを夢想している娘でもあった。
ファファード以外に美しいヴラナを狙う男は他にもあり、彼女は彼らを冷静に値踏みする。ヴラナの台詞は女の本性が表れており、唸らせられる。
-女というものは、何時もあらゆる逃げ道を用意しておかなくてはならないのよ、あなたにそれが分る?どんな男とでも仲間を組む覚悟で、運命のまにまに誰かを捨て、代わりの誰かを選んでこそ、女は男の恵まれた条件に太刀打ちできるんだわ…
『円環の呪い』で主人公達と関ることになる2人の魔法使い〈七つの目のニンゴブル〉と〈目なき顔のシールバ〉が登場、魔法使いらが与えた教訓も興味深い。恋人達が惨殺された都ランクマーには2度と戻らぬ誓いを立てたファファードとグレイマウザーに後者はこう語りかけ、その通りになる。
-「決して」も「永久に」も人間に縁のなきもの。繰り返し、繰り返しお前達は戻る。
〈七つの目のニンゴブル〉が2人の冒険者に諭した内容も意味深い。人間の移ろいやすさは何時の時代も同じということか。
-誓いとは、その目的を果たすまで守られるだけのもの。いかなる呪いもいつかは解け、いかなる自己流の掟もいつかは破れる。でなければ、人生における秩序は成長の制約となり、規律は束縛となり、誠実さは屈従と悪行となろう…
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トールキンやハワードやムアコックの作品は読みましたが、ファファード&グレイマウザーと言うのは知りませんでした。密林でレビューを見ましたが、なかなか好評ですね。でもレビュー数を見ると知っている人は然程いないのでしょうか?
コナンシリーズも全訳はでませんし、この手のものを真剣に読むなら英語が必須と言うのも困ります(苦笑)。ムアコックのエルリックシリーズは面白いのですが、続編以降毛色が変わった感じで、私は昔の方がよかったです。ナチス相手に戦ったり、第二次世界大戦後も登場したり、活躍する時代が異常に広がっていました。あのストームブリンガーも別の主人公の作品で再登場したようですが、あれはそれまで何をしていたのか気になります。モデルは村正だと聞いたことがあるのですが、本当なんでしょうか?エルリックの映画があれば見てみたいですね。
邦訳されている『ファファード&グレイマウザー』は全5巻ですが、3巻目のあと20年以上も新刊が出なかったのです。私もネットで4~5巻目が出版されていたことを知り密林に注文、ようやく読めた次第で。邦訳の長い中断がネックになっていると思います。
仰るとおりコナンシリーズも全訳は出てませんし、翻訳者によって文体が違っていましたね。私としてはハヤカワ版の方が好みでしたし、挿絵の武部本一郎の絵が最高によかった!
ムアコックの小説で私が読んだのは『火星の戦士』だけです。1巻目のイラストが松本零士だったので、つい買って3巻目まで読みましたが、主人公が物理学者のためか、バロウズの火星シリーズに比べて印象が弱かった。この主人公名がマイケル・ケイン、英国の俳優にも同名の人物がいました。
コナンが圧倒的な生命力と筋肉の力で物事を戦いとるなら、私の読んだエルリックシリーズは主人公が内省的で肉体的にもひ弱、人の魂を吸い取る魔剣、ストームブリンガーなしでは戦士でいられない、と言う辺りが対照的で面白かったです。意志を持つこの剣は好んでエルリックの愛する者を殺すのですが、エルリックがこの剣を嫌っても棄てられないと言う辺りも屈折してました。
グローリアーナと言う架空のエリザベス一世の時代を舞台にした本もあるようですが(未読)、レビューを見る限り陰謀渦巻く筋のようで評価もよいです。
武部本一郎の挿絵のコナンもネットで見ましたが本当に架空の古代世界と言う雰囲気ですね。今出ているコナンシリーズの挿絵は辛い(溜息)。某巨大掲示板でも批判が多く、もっと考えて欲しかった。
ムアコックの小説は陰鬱な内容が多いのでしょうか?コメントから察するとエルリックはアンチヒーロー型に思えますし、現代のヒロイックファンタジーならコナンのようなスーパーヒーローでは返ってリアリティがないのかも。「火星の戦士」はバロウズの火星シリーズをもとに書いたと思いますが、同じご都合主義でもバロウズの方がずっと面白かったですよ。強いヒーローはもう小説でも現れないのかもしれませんね。
私は武部本一郎の挿絵入りのコナンシリーズを持っているのです(笑)。ネットで武部の挿絵集を検索したら絶版状態、中古で30万の値がついていました。コナンはまさにスーパーヒーローですが、著者のハワードが母の死に耐え切れず若くして自殺しているため、著者自身の理想だったのかも。
私がまともに読んだのはエルリックシリーズともう一つ別の作品だけなのですが、他の作品も主人公が悲劇的結末を辿ったり、自分の運命に悩み続けます。エルリックは邪悪な、しかし滅びようとしている帝国の最後の皇帝で、自分の帝国をまともな方向へ向けようとしますが、結局自分の手で滅ぼし放浪の身となります。そして自分の存在意義に悩みながら数々の戦いに赴きますが…。この苦悩するキャラクターは、事実コナンのアンチテーゼだそうです。
ハワードが若くして死んだのは残念です。もっとコナン物を執筆して欲しかったですね。ストレス解消には一番いい(笑)。
紹介されましたファンタジー「エターナル・チャンピオン(永遠の戦士)」ですが、さわりだけでもコナンのアンチテーゼなのが伺えます。コナンに苦悩は無縁ですよね。圧倒的な筋力と生命力で敵を圧倒してしまう。もちろんコナンも失敗はするし、超常的なものに恐れを抱いたりする。キンメリアの一介の蛮族から最後は文明国アキロニアの王になる。魔術師により王位を追われても、また奪還したり、とかくパワーに溢れるヒーローでした。
ファファードもまたコナンのアンチテーゼでもあります。ファファードも北方の蛮族の出、並外れた長身と体力は持ちながらも、文化への関心が強く、吟遊詩人としての才能もある。身だしなみにも気を使います。コナンはオシャレや芸術方面には無関心でしたね。ただ、作者のルーツも関係があるのか、ファファードはヴァイキングを思わせる金髪碧眼の設定に対し、コナンは黒髪。ライバーはドイツ系でハワードはアイリッシュ系だそうです。
ところで、ハワードの先祖のアイルランドはケルト系ですから金髪のような感じがありますが、黒髪も多いんでしょうか?欧州人の頭髪の色もよく分りません。
ファファードは大男なので体力はありますが、それよりも剣術を使うシーンが殆どです。著書ライバーはフェンシングが趣味だったので、フェンシング用語がよく使われています。蛮族の出でもコナンと違ってジェントルマンですね。
ケルト系は金髪より赤毛のイメージがありますが、アイルランドに行った司馬遼太郎の『街道をゆく』では赤毛が意外に少なかったとありました。実際U2のメンバーも1人を除いてダークヘアですよね。ハワードも碧眼ですが、ダークヘアだったとか。英国の作家ジャック・ヒギンズ(アイリッシュ系)の小説によく登場するIRAの闘志リーアム・デブリンも黒髪に碧眼の設定でした。