
穏健派にせよ、もしイスラム政党党首が大統領選で勝利、フランス大統領になったならば?そんな衝撃的な設定の近未来小説『服従』(ミシェル・ウエルベック著、河出書房新社)を先日読了した。2015年後半、この作品は河北新報の毎週日曜日の読書欄で取り上げられ、以下は文芸評論家・陣野俊史氏による書評の全文。
―話題の書だ。今年1月、パリで起こったシャルリ・エブド襲撃事件当日に発売されたが、事件の余波でこの本のイベントはキャンセルされ、著者は身を隠す事態に。現実の事件と、イスラム教を嫌悪する主人公の内面の描写があまりに共鳴し過ぎていると話題になった。
舞台は2025年のフランス。大統領選挙で、極右の候補者を破った穏健イスラム政党党首のモハメド・ベン・アッベスが大統領に就任する。パリ第3大学で19世紀末の作家ユイスマンスを研究している主人公の身辺にも、変化が訪れる。
ユダヤ人だった恋人はフランスを出て、イスラエルへ。大学教授の身分はいつの間にか剥奪され、大学の名称はソルボンヌ・イスラーム大学に変っていた!治安は奇跡的に良くなり、女性が労働市場からいなくなったせいで、失業率が急速に好転していた。新大統領の下、女性は再び家庭へ戻ってしまったのだ。
近未来の、イスラム教の強い影響下にあるフランス社会を描いた小説だろうと思って読んだ。しかし、予想は裏切られた。確かに構図はそうだが、この小説の背景には、長く西欧社会を支えてきたキリスト教文明や西欧的価値観の退潮がある。それを象徴的に体現するのが主人公に他ならない。地味な文学研究を続ける学者という設定が、一つの価値観の衰退を表現する。
主人公は最後の方で、イスラム教への(半ば強制的な)改宗を要請され、大学に復職する。いわば社会復帰を果たすために、イスラム教を受け入れるのだ。これまで必ずといっていいほど、著者ウェルベックが用意していた劇薬のような仕掛け(それは無差別テロのこともあれば、「新しい人類」のこともあった)は、今度ばかりは最後まで出なかった。
大きな社会の変化を記述するウエルベックの筆は実に淡々としている。それが衰退の兆しなのか、文学か、社会か、それとも文明全体なのか。読後、無数の問いが湧いてくる。
大抵の河北の読書案内は、この地方紙のリベラル色が全面に反映されており、紹介されるのも左派の作品ばかりとなっている。面白そうな書もたまに見かけるが、大見出しで取り上げられるのは決まって左派の作家や思想家、社会学者の書ばかりなのだ。
そのため私には読む気にもならぬ書ばかりになっているが、この作品は別だった。文芸評論家の陣野氏やウエルベックの名も共に初耳だが、ムスリムがフランス大統領に就任するという設定だけで興味を引いたし、河北の読書コーナーのコピー「西欧の衰退 衝撃の描写」からも関心を掻き立てられた。
しかし、全くの期待外れだった。内容が下らないだけでなく、面白くなかった。現代フランス文学自体、興味がないため読んだことはなかったが、テンポがとにかくスローモー。陣野氏の書評にあるとおり、作者の筆は実に淡々としており、これは現代フランス文学の特徴なのか、或いは作者自身の作風なのかは不明だが、久しぶりにツマラナイ外国文学を見た思いになった。
日本ではさして注目されなかったが、この作品は書評にあるように欧州で話題となったという。巻末には佐藤優氏による解説があり、本文よりもこちらの方が遥かに良かった。解説は佐藤氏と彼の友人であるイスラエル人との対話が中心になっているが、後者によればヘブライ語訳も出ていて、イスラエルでも大きな話題となっているとか。この友人の方がより鋭く欧州やイスラム世界を分析していると感じた。
件の友人とは、佐藤氏が外務省国際情報局で主任分析官を務めていた時のカウンターパートで、イスラエル・インテリジェンス機関の元幹部だそうだ。軍事インテリジェンス機関でソ連情報を担当した後、対外インテリジェンス機関に移り、分析部門、工作部門、管理部門で活躍した人物だという。
その②に続く