トーキング・マイノリティ

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認知症

2017-09-30 11:10:24 | 私的関連

 母方の伯父の葬儀が一昨日に行われた。中年世代となると物故者になる親族が増え、おじの葬儀は今回で4回目となる。伯父の享年は90歳、一般には目出度いと言われる年齢である。
 だが、今年上半期ベストセラーとなったエッセイどおり、本人や家族には「九十歳。何がめでたい」と言いたくなる心境だったと思う。というのも伯父は認知症に罹り、死の数年前からは寝たきり状態、胃ろうで栄養を摂っていた有様。生きているとは名ばかりで、仮に意識があったとしても親族の顔も認識できなかっただろう。

 伯父は高校の数学教師をしていた。温厚な人柄で、何時会っても微笑んでいる好人物だった。そんな伯父がなぜ認知症になったのか、原因は不明だが、教職者にはそれになる人が意外に多いと聞いたことがある。もちろん個人差も大だろうが。
 伯父の言動がおかしくなったのは十年近く前からだ。同じことを繰り返して言うのはもちろん、車を止めた場所を忘れたりするようになったという。

 特に家族にとって困る徘徊をするようになり、暑い夏の日でも上着を3枚も重ねてはどんどん歩く。不審に思った人が何処から来たのか問うと、台湾から来たと答えたこともあったそうだ。伯父は台湾で暮らす幼少時を送っており、認知症になっても台湾での少年時代は忘れなかったらしい。
 伯母も従姉も苦労したようだ。何年か前に会った時に従姉は、「父が父でなくなっていくのを見るのが辛い」とこぼしていたことがある。今の所、私には認知症の家族はいないが、とても他人事とは思えない。いつ何時、老母が認知症になるのか分らないのだ。

 先日会った友人からは、認知症の姑の世話に疲れて入院してしまった女性の話を聞いた。認知症になる前の姑とは特にトラブルはなかったそうらしいが、それ以降は姑の性格は一変したという。
 特に自分のお金を取られたと思い込み、嫁を責めたそうだ。さらに姑は隣近所にも嫁が金を盗む、全く自分の面倒を見ないなど、悪口を言いふらしたとか。返って嫁の心が壊れてしまい、入院したのは認知症の姑ではなく嫁側だった。

 このような話は痛ましく、聞くのも辛いものがある。家族の手に負えず、結局は施設に頼むことになり、伯父の場合も同じだった。伯父はまだ思考力が失われていなかった頃、どんな状態になっても生きたいと家族に話していたことがあったとか。そのため家族は医師に胃ろうを頼んだのだ。この措置をしたのは確か数年ほど前だったと思う。
 火葬が終えるのを待っていた時、従姉は果たして胃ろうで生かしていて本当に良かったのか…と私に打ち明けていた。尤も同じ体験のない私には答えようがなかったが。

 収骨の時、伯父の頭骨が崩れていたのには驚いた。これまで私の出た葬儀で頭骨が崩れた例は初めて見た。たとえ病死した女性さえ身体の骨の多くは灰になっても、頭骨だけはちゃんと残っていたものなのに。
 頭骨は崩れても、大腿骨や股関節らしき太い骨は崩れず残っており、かなり骨ががっちりしていた方でしょう、と火葬担当者は言っていた。確かに伯父はがっちりした体型だったし、そのため体の骨は大丈夫だったにせよ、頭骨が崩れたのは長く意識不明状態だったこともあるのやら。つまり頭を使っていなかったため、頭骨にも影響したのか?

 祭壇に置かれた伯父の遺影はまだ60歳くらいに写されたもので、いい写真だった。しかし、対面時に見た死顔はまるで別人そのもの。病や老化があるにせよ、ここまで顔が変わること自体驚く。ガンや肺気腫で死亡したおじ達の方が死顔はよかった。認知症は死顔まで荒ませるのか?何ともやりきれない思いになる。

 私には認知症に罹っている親族がもう1人いる。一昨年までの叔父は介護認定レベルⅡだったが、今はさらに病状は進行しているようだ。叔母や従妹夫婦が懸命に介護しており、少し話を聞いただけで苦労しているのが伺える。この叔父は80代前半なのだ。

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