雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

「ファイナル・デッドコースター」:実はすごい高尚なテーマが隠されて…ないよな、やっぱ。

2006年09月11日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
なぜか今月は予定が崩れていく。
今日も友人達と焼肉を食べるのかなぁ…とおもいきや、
昨日の夜その予定が消えた。

理由的にはしょうがないことなので別に不満とかはないのだけど、
予定が消えるとなんとなくぽっかりと穴が開いた気分で、
何か別のことを無理矢理入れたくなる。

そんな時一番手っ取り早いのは、やはり映画。
タイミング的にも「例の映画」が公開したばかりでちょうどいい。


というわけで、実は予定外で突発的だったのだけど、
本日見てきちゃいました。


「ファイナル・デッドコースター」


前から散々公言してるように、
「ファイナル・デスティネーション」シリーズがすきなんですね、私。
第1作「ファイナル・デスティネーション」は今でも傑作だと思ってます。
DVDこそなぜか持ってないんですけど、TVの深夜とかにやってるのを見ると、
毎回見入ってしまうんですよ。

第2作「デッドコースター」は正直第1作は超えられなかったんですけど、
それなりに見所はありました。

で、それを踏まえたうえで、第3作、そして最終作であります、
「ファイナル・デッドコースター」。
第1作と第2作をあわせた邦題になったのは、
そしてその邦題に相応しく最初の惨事が「ジェットコースター」になったのは、
たぶん偶然のはずです。

でもその邦題の如く、シリーズの総決算的なものになるのかなぁと期待して、
公開前から楽しみだったんですが。

※以下、ネタバレ微妙にあり注意※



がー。


がー…。






がーーー…………。







あー。
やっちまったー。



うん、確実に第1作・第2作の「いいとこ取り」目指して、
見事に「中途半端」になってしまっております。

個人的に、
第1作は「焦らしの美学」で、第2作は「ずらしの美学」だったと思います。

第1作は「細かい現象の積み重ねが、結果とんでもない死に方を引き起こす」
っていうこのシリーズの根幹となる「死に方の美学」を確立したわけです。

逆に第2作は「コレで死ぬのか?」っていう部分で死なず、
安心したとたんに死が訪れるっていう、ある意味ホラー映画の定番だったり
するんですが、それはそれで見ごたえがありました。


で、第3作。

見事にどっちつかず。

むしろどっちかに振り切ってくれれば良かったのに。
「死んじゃう」シーンだけでなくて、
2みたいにえぐい「死んじゃった」シーンもちゃんと見せるとか。

どうやら悪い方向に行ってしまいましたなぁ。
楽しみにしてたぶん、反動で至極残念な感想。

…あ、コレじゃ一昨日の「魔界転生」と真逆じゃん…。


ひとつだけ気になった点があって、
よくよく考えたら、今回「死神に狙われて死んだ」奴らって、
最後の最後を除けば、全員「因果応報」じゃないかと。
店内に飲み物持ち込まなければ起きなかっただろうし、
回りを確認してればすぐに逃げ出せただろうし、
余計な一作業しなければつぶされなかっただろうに、
道具をきちんとしまえば回避できたのにねぇ。


…あ。
ひょっとしてコレが「ファイナル・デッドコースター」の真のテーマ?


んなこたないか。


コメント (1)
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