雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

「あなたの原点は?」と尋ねられたら、私はあなたをこの場所に連れて行くことでしょう。

2006年09月08日 | アナタニカタリタカッタキヲク
丸の内線・新中野駅で降りて、新高円寺までは2駅分、歩いて約30分弱。

間の駅、「東高円寺駅」を南側の改札から出て階段を登ると、
入り口の裏が、「蚕糸の森公園」。
小学校のグランドも隣接していて、池も温水プールもある、
見た目よりも意外と広いその公園のさらに南側の奥にあるのが、
私が3年間通っていた、中学校です。


「あなたの原点はどこにあるの?」と聞かれたら、
私は迷わずこの場所に連れて行き、
「僕はこの3年間から全てが始まったんだ」と答えることでしょう。

この場所に放り込まれたのは、12歳だった自分。
人より早熟だった(たぶん)私が、
ソレまでの「子供じみた」環境から全く別の環境につれてこられ、
制服なんてものに始めて袖を通して、笑って、泣いて、つらくて、楽しくて、
走り、喋り、色んなものに触れられたような気がして、
15歳になりたての頃に追い出された、この場所に。

追い出されてから20年も経た今も、
一昨日の打ち合わせのことは思い出せなくても、
あの頃の出来事は簡単に頭の中で簡単に浮かび上がるのです。

そして、その20年間の間に、確実に年に数回、
この場所の周囲をゆっくりと歩くのです。
それは感情の「揺らぎ」を自分で押さえつけられなくなったときに、
自分を振り返り確認するための、大事な儀式です。


仕事を早く上がって、それでも段々秋の気配とともに
夜の訪れが早くなってきてるのを実感しながら、
今日、蚕糸の森をゆっくりと歩いたのは、

きっと「ハチミツとクローバー」の最終巻を買って、
帰りの電車で人目も気にせず一気に読んでしまったことと、
ちょっとだけ自分の中で何かが少しずれてることに、
昨日ようやく気づいてしまったからとか、
そんなことが色々重なって、
定期的に起こるアレルギーみたいに、心を疼かせたから、なのでしょう。


桜の花が舞う中を卒業証書もって、はだけた制服のまま友達と歩いてから、
まもなく20年が経とうとしてます。

色んなものを苦渋の末に取捨選択したり、
気がついたら置いていってしまったり、
わざとじゃないのに結果的になくしてしまったり、
交換したり、拾ったり、あとちょっとだけ奪ったり、
そんなことを繰り返しながら、
夏の終わり、あるいは秋の始まりの夜に、
私はこの場所を紺のスーツ姿で歩くのです。


顔つきと体つきはやっぱり随分変わったようです。
最近ようやく気がつきました。


日本では20歳で成人扱いされますけど、
現代の日本人は30歳まではまだまだ子供なのではないかと言われてます。
私も自分自身を見て、そう感じてしまいます。


オマエは、ようやくスタートラインに立てたんだぞ。


年に数回、私はこの場所をゆっくりと歩きます。
あるいは蚕糸の森公園にあるあずまやの中で座って、
一つ一つをゆっくり確認するのです。

そんなことをもう20年も繰り返して、
無くしたものと得たものと、無くしたことで得たものを思い出してきたんです。

それが私にとっての、大切な儀式、なんです。
これからももう何年も続けていくことでしょう。
たとえ高円寺という場所を離れたとしても、必ず年に1度は訪れるのでしょう。


もう、当時のコの字型の建物も、
真ん中に鬱蒼とたたずむ「中庭」も、
さらにその中に置かれていた、大好きだった木造の図書室も、
今は存在しないのだけど。

その頃の思い出は、
建物の廊下の光景とともに、
中庭に茂る草木の感触とともに、
図書館の独特な空気とともに、
一生僕を構成し続けることでしょう。


そろそろ、1年半ぶりに続きを書こうと思います。

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