昨日、遺作になった石牟礼道子さんのエッセイを読んでいたらこんな一節がありました。
海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命の連なるところ、
数限りない生類と同化したご先祖様の魂のよりどころが破壊されるということであり、
わたしたちの魂が還り行くところを失うということである。
水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって,言葉を尽くして訴えた。
だが、(言葉と文字とは生命を売買する契約のためにある)と言わんばかりの近代企業とは、
絶望的にすれ違ったのである。
海の汚染を福島の原発の事故に伴う汚染に言いかえ可能です。
わたしたちは大なり小なり、このような今を生きています。