「クロッシング」28日、シアターキノ
中国との国境に近い北朝鮮のとある寒村で、元サッカー選手で炭鉱員のヨンス(チャ・インピョ)は、肺結核にかかった妻(ソ・ヨンファ)の薬を求め、命を懸けて中国へ渡る。しかし、脱北の罪で追われる身となり、北朝鮮に戻れなくなった。知らぬうちに他の脱北者たちとともに韓国に亡命することになる。妻は病気 悪化し、亡くなり、11歳の息子ジュニ(シン・ミョンチョル)は、父を探しに旅に出る。その途中、幼なじみで両親が連行され、ストリートチルドレンとなったミソン(チュ・ダヨン)に出会う。
2002年、脱北者25人が北京のスペイン大使館に駆け込んだ事件をモチーフにしている監督は「オオカミの誘惑」などのキム・テギュン北側の圧力を排除するため、ロケは中国、モンゴル、韓国で秘密裏に行われた。だが、曰く付きの映画となってしまった。韓国ではほかの映画監督が著作権侵害で上映禁止の仮処分を求める問題が起きた。日本でも、シネカノンの配給で2009年春に公開予定だったが、同社が民事再生法を適用申請し、興行も中止され、別会社の配給で公開となった。
それにしても、結末のむごいことよ。現実の重さを語るなら、こういう結末は筋書き通りなのだろうけれど。ミソンの姿も境遇も何とも言えないほどだ。二人で乗った自転車のシーンは監督らしいシーンだ。 それにしても今更ながら、同じ地球にこうした国が存在すること、その存在を知っていること、その先にどう考え、行動するか、自分たちに 問われ続けている。
「トロッコ」28日、札幌劇場
台湾生まれの夫を亡くした年の夏、妻矢野夕美子(尾野真千子)は遺灰を届けるため、敦(原田賢人)と凱(とき、大前喬一)の兄弟を連れ、台湾中南部にある夫の故郷の村を訪れた。兄弟は日本での生活とかけ離れた家で、戸惑いを覚えるが、徐々にその自然と家族に慣れてくる。敦は父が大切にしていた古い写真を取り出し、トロッコと写る少年が昔の祖父(洪流)の姿だと知る。日本に統治されていたころ、祖父は山林を走るトロッコに乗れば日本へ行けると信じていたと懐かしそうに語った。ある日、兄弟は母に置き去りにされるのではないかと不安を募らせ、トロッコに乗り込んだ。
川口浩史監督は篠田正浩や行定勳らの助監督を務め、今回監督デビューを飾った。原作は芥川龍之介の「トロッコ」。撮影監督はホウ・シャオシェン監督の映画を支えるリー・ピンビン。
監督は「トロッコ」を映画化を熱望し、リー・ピンビンから台湾に今もトロッコが残っていると教えられ、舞台を台湾に移したという。
尾野真千子はやはりうまいというか自然体。芯は強いが、夫を亡くし将来への不安を持つ部分もうまく見せる。ちょっとオーバーな部分もあるけれど、役にぴたっと来る。敦役の原田賢人は髪を切るとがらっと変わった。なかなかだ。そしてトロッコに乗って日本に帰ろうとする。本当に帰れると思ったのか、ちょっと疑問だが。遠くに行って、そこから帰ろうとする際、弟がサンダルを壊し、自分のサンダルを履かせる。泣き続ける弟を元気づけ、家に着く。どんなにか心細かっただろう。そして、母親に自分の気持ちを正直に伝える。そうここで伝えられることが、彼の成長ぶりを示している。そして兄弟は母親に抱かれる。涙、涙である。
それにしても自然がいっぱいだ。こんなに台湾は緑がいっぱいなんだ。そして日本に統治されていた時代の遺物がまだまだ現存する。形あるものもないものもだ。そこがこの映画にいい具合に陰影を生む。暑い気候が生む、ちょっとべたっとした 夏休み。それぞれが前向きに生きようとする季節だ。
「白痴」27日、東宝プラザ
1951年、松竹。ドストエフスキーの原作を久板栄二郎と黒澤明の共同脚本で、黒澤が監督した。森雅之、三船敏郎、原節子、志村喬、千秋実、東山千栄子、久我美子、村瀬幸子、千石規子、柳永二郎。
NPO法人「北の映像ミュージアム」推進協議会主催の「シネマの風景フェスティバル」の映画でした。なかなか見られない黒澤作品で、特に当時の札幌の風景が随所にみられる映画ということで、当時北大生でロケも見ていたという品田雄吉氏が懐かしく思い出を披露していた。確かに札幌軟石で造った倉庫群は創成川か豊平川の東側って感じだ。鉄橋の豊平橋か何かも映っていたね。北大近くの電車通りも。
作品としてはドストエフスキーの世界を日本に置き換えて展開するのはなかなか難しいかなとも思えたが、森雅之の天然的純粋さに周囲、特に三船や千秋などの欲たかり的存在の人物がうまく対比させられて、しかも徐々に当てられる様に自分の罪深さに気付き始めるのが、なるほどと思わせる。そんなに簡単に彼らが気付いていくのか、ちょっと楽観的かもしれないが。ま、その方が望ましいんだけど。
品田氏によると、この作品は当初は前後篇4時間25分で上映されることになっていたが、試写を見た松竹首脳陣が難色を示したそうだ。大幅にカットされることになったが、黒澤監督が「切りたければフィルムを縦に切れ」と怒ったそうだ。
「板尾創路の脱獄王」24日、蠍座
昭和初期、鈴木雅之(板尾創路)が信州第二刑務所に移送されてきた。彼は過去2度も脱獄に成功しているいわく付きの囚人で、胸には逆さ富士の刺青を持っていた。今回も収監直後に脱獄したが、刑務所近くの線路で捕まってしまう。その後何度も脱獄を繰り返すのだが、線路の近くで捕まってしまうのだ。看守長の金村(國村準)は興味を持ち始める。金村が休暇を取ったときに、彼は脱獄し、おとがめが無く金村は法務省で出世していく。
何とも不思議な板尾創路の世界。屋根に張り付くシーンは何ともおかしい。このおかしさはストレートなんだが、全編しゃべることなく、想像をかき立てるシーンが満載しているので、このストレートさも何やら不思議にとてもおかしく感じられるのだ。そして國村準の重厚さが不可思議さを増幅させてくれる。逆さ富士の謎を含めた最後のどんでん返しが、馬鹿馬鹿しいけど、なるほどという感じ。この両義性の中で、自由にやられたって感じだ。
封切り時に見損なっていたが、見て良かった。 それに結構 、網走番外地などの獄舎、脱獄ものの得難い雰囲気も出ていた。役者も友情出演なのか、吉本系の芸人がたくさん出ていて、そこはかとないおかしさに満ちている。
大学生のハル(満島ひかり)は大学生で、安アパートに住みながら、時々年上の彼氏了太(永岡佑)の元に通っている。ある時、喫茶店にいたとき、リコ(中村映里子)という女から同席してもいいか誘われた。彼女は事故や病気で失った身体のパーツを作るメディカルアーティストで、自分を好きだと言ってくれる。ハルはリコに次第に心を開くようになる。
2009年のロンドンのレインダンス映画祭でワールドプレミアされ話題を呼んだ。安藤モモ子のデビュー作。原作は桜沢エリカのコミック「ラブ・ヴァイブス」。
やはり安藤モモ子は一つの大きな才能だ。全編、活きがいい。欠片という部分の解釈も月に見立て「月は満月でない、欠けた日の方が多いんだよ」って。うーん、この不完全さの肯定は、男社会へのNOに聞こえる。ちょうど了太にリコが罵声浴びせかけるシーンがあるが、なかなかスカッとする。
身体パーツの設定は原作にないらしいが、この話は大変象徴的でうまくいった。肉体的、精神的にどうやって他人にアプローチするのか。地味だが、しっかりとした一歩一歩が大切だ。かたせ梨乃の存在もすごい。最近の彼女の出演は、年齢を重ねた凄みが出てとてもいい。
気弱な優等生ユウキ(高良健吾)は電車内でのトラブルを、幼なじみのカブ(市原隼人)に助けられた。二人は同じ恵美須高校に通っていたと知り、ユウキは誘われてボクシング部に入部 する。お調子者だが天性のボクシングセンスを持つカブは、大会で勝ち進む。だが超高校級ボクサー稲村(稲村雅士)との対決で負けてしまうと、敗北のショックからボクシング部を退部してしまう。一方、真面目に鍛錬を重ねていったユウキは、着実に強くなっていった。
市原隼人はかなり突き抜けていて、今回は見ていて楽しい。鬱陶しい感じがするときもあるのだが、役が持つコミカルさに救われた。あの金髪はいい。お好み屋という設定もありきたりだがグッドだ。そして高良。今売れに売れているが、そんなにいいのかどうかよく分からんが、真っすぐで、ちょっともぞもぞ一歩前へ行けず、見たいな感じが、同世代を中心に共感を呼ぶのだろうか。
元放送作家の百田尚樹による青春小説を「デトロイト・メタル・シティ」の李闘士男が監督。やはり普通ならまじめな奴が上手くなると言う臭い展開を避けるのかも知れないが、アリは確実に力を付ける。そこに人生の妙があり、二人の友情も強いものになる。こういう感じの筋は、男にはどこかここか、経験があるものだが、互いが抱く違和感を超えて、相手のためになろうとする姿は立派だ。
なお稲村は本物のプロボクサーだそうだ。市原、高良もボクシングの猛訓練したという。
「ひとり旅」22日
2006年に亡くなった吉村昭の最後のエッセイ―集だ。「戦艦武蔵」の取材に長崎に100回以上(これぞまさしく足繁くという表現がぴったりだが)行った思い出など、これまでの取材行について語った話を中心にまとめたもの。
昔から当時の天候を調べつくす氏の執念は、畏敬の念を持って先輩たちから聞かされていたものだ。生麦事件で馬に乗ったイギリス人をどうやって肩から切り下ろすことができたか。なるほどというしかない。桜田門外の変における当時の天候の話も興味深い。
氏は酒も飲むのだが、昼間は飲まないという。行きつけのすし屋が、その商店街からどんどん 人が遠のいて行くのと軌を一にするかのように、さびしくなっていく。閉まるのが困るので、それこそ足繁く通う週に二度三度と。結局閉めるてしまうのだが、最後のあいさつに来た店主が桶に寿司を持ってきてくれ、そのお返しに店に餞別を届ける話など。
そうそう、店で飲んでても、警察の人に見られるとぼやいていた。作家とは見られなかった、苦笑している。タイトルのひとり旅とは取材旅行はほとんど一人で行くということから取ったようだ。やはり、カーキ色のコートを着た刑事の匂いがするね。
氏と城山三郎氏は共に昭和二年生まれで、氏が城山氏に同じに匂いを感じているというエッセイはなるほどいう感じだ。うーん。小料理屋で酌み交わすシーンはたまらない。
「ラジオの波の音」という話では、ベルリンオリンピックの前畑頑張れの実況中継に興奮した様子が語られている。生田斗真主演の「人間失格」でもこのシーンがあったが、アナウンサーの声が低くなり、ザーという音が聞こえると「これは波の音だ」というシーン。映画では伊勢谷友介が語るのだが、吉村氏の場合は兄たちがこう語ったのだそうだ。
それにしても、氏の史実を調べることへの執念には頭が下がる。この情熱は学ばなければ。今年は秋に北海道文学館で氏に関する講演会があって、妻の津村節子さんが来る予定だとか。
「ダブル・ミッション」22日、札幌劇場
うーん、時間の無駄だったのか。久しぶりに途中で出たくなった。
さえないペンのセールスマンのボブ(ジャッキー・チェン)は、。実は中国から出向しているCIAのエージェントだった。隣に住むシングルマザーのジリアン(アンバー・ヴァレッタ)との結婚を考え、エージェント稼業をやめようと考えていた。ある日、ジリアンの3人の子どもたちの面倒をみることになり、その一人がボブのパソコンからロシア側の極秘データをダウンロードしてしまう。
ジャッキー・チェンのハリウッド進出30周年記念作。監督はブライアン・レヴァント。
ジャッキー・チェンのこれまでの映画のエッセンスを集めている点では、お徳だが、心は躍らない。スピード感、激しいアクションシーンも正直言っても、言わなくても後退している。年のせい。当たり前だろう。そういう点では、多くを望むのは酷だろう。ファンには良くても、それ以外は退屈だろう。緊張感がないんだから。最 後のNG集は、見たい人が多いかもしれないけれど。リスペクトはするが、そこで終わりなら、金返せだ。
「ブライトスター」21日、札幌劇場
1818年、ロンドン郊外ハムステッド。新鋭詩人ジョン・キーツ(ベン・ウィショー)は貧しかったが、親友の編集者ブラウン(ポール・シュナイダー)の家に居候していた。隣家の長女ファニー・ブローン(アビー・コーニッシュ)は再訪を得意にして、ブラウンの家へよく訪れたが、ブラウンとは仲が悪かった。だが、繊細さを持つキーツに次第に惹かれていく。新しく出た詩集「エンデミィオン」も読み、その才能を理解する。そして弟を結核で亡くし、詩の酷評に落胆するキーツを慰める。次第に二人は愛を育むが、キーツも結核になってしまう。
「ピアノ・レッスン」のジェーン・カンピオン監督。英国最高の詩人ジョン・キーツは25歳で亡くなるが、その短い生涯に愛したのがファニー・ブローン。その純粋で、哀しい恋愛を描いた。ファニーの描き方は快活である。だが時代は依然として慎み深さを求めていた。その中での二人の恋愛は密やかだ。母親に知れても、それは大手を振っての恋愛では無かった。婚約をしたものの、結婚は断念。そしてイタリアへ療養しに行くが、帰らぬ人となる。
映画タイトルとなった詩「ブライト・スター」は1819年に書かれ、翌年ローマに向かう船の中で書き改められ、ファニーへの手紙に添えた。すでに病気は重く、二人ともこの療養の旅は今生の別れにつながる恐れがあることに気付いていた。こういうぎりぎりの狭間にあるとき、この詩の生命力は俄然輝いていることを誰もが知る。
あとでこの詩を 紹介しよう。
ニューヨークで母(ケリー・プレストン)と暮らしているロニー(マイリー・サイラス)と弟のジョナ(ボビー・コールマン)は、夏休みを疎遠になった父(グレッグ・キニア)と過ごすために、ジョージア州の海辺の町へやって来た。両親は離婚し、父親はここで一人で暮らしているのだ。ジョナはすぐに父親と楽しんだいたが、ロニーは感情をうまく表現できず、つい反抗的な態度をとってしまう。そんなとき、遊びに出たとき、ウィル(リーアム・ヘムズワース)という青年と出会った。そして次第に彼に惹かれていく。だが、ある日、父親ががんで倒れてしまう。
マイリー・サイラスは全米 のトップアイドル。「きみに読む物語」のベストセラー作家ニコラス・スパークスが彼女を想定して原作、脚本を書いた。ディズニー映画的な甘さも苦さも中途半端な感じがぴったり。マイリーはリーアム・ヘムズワースという相手役と交際しているそうな。やるじゃん。それにしても彼女の声はこの手の恋愛ものには不向きじゃないのか。最初は耳をふさぎたくなった。コメディ向きだ。