「ティファニーで朝食を」4月14日、札幌シネマフロンティア
やっぱりオードリー・ヘップバーンは何度見てもキュートだ。ここの役はちょっと、はすっぱだが、根はまじめだ(田舎者でもある)。最後はそのまじめさが物を言うわけだ。
原作者カポ-ティーはマリリン・モンローを主役に渇望していた。モンローはこの「コールガール」役を嫌ったのだが、ヘップバーンでかえって良かった。そこには台詞も彼女用に変えたらしく、奏功したのだろう。あまりセクシーさがない方が、この話には良かった。
川本三郎の「映画は呼んでいる」に、ジュディス・クリストという映画評論家の言葉が紹介されている。「無垢の時代は終わりを遂げました。突如、時代はセックスに対してオープンになる方向に動き始めました。60年代になりかかっていたのです」。そう、これは原作は1958年、映画は1961年の公開だ。アパート(日本ならさしずめマンションでしょう)の上下にジョージ・ペパードと住んで、お互いに後ろめたさを持ちながら上昇していこうという二人。それぞれの秘密は出会ってすぐ互いに明らかになる。ベッドでジョージ・ペパードにもたれかかりながら眠るヘップバーンのシーンがあるが、今の感覚から見ると全く淫靡に感じない。それがいい。ジョージ・ペパードも体を鍛えていないのがまたいい。今なら作家だからといってもムキムキにして、セクシーさを出すだろうな。ちなみにそのペパードの服装も、ナチュラルで好感が持てる。
ヘンリー・マンシーニの「ムーンリバー」は何度聴いてもいいね。最後の雨の中、猫ちゃんを中心に包容するシーンはまさに大団円、ハッピーエンド。切れ味があって素晴らしい。セックスと金が全面にでる時代の前夜は、人をまだ信じられた時代だったんだなと感心する。
ミッキー・ルーニーが演じたのがアパートの上階に住む日系アメリカ人「ユニオシ」。久しぶりに見たが、やはり米国人の見る日本人の典型なのだろう。つまり黒ぶち眼鏡と出っ歯。今ではハリウッドの恥ずべき表現とみなされているそうだ。1961年は戦後16年しかたっていない。ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別」は描き方が左過ぎるという向きもあるが、少なくともこのころまでは確実に白人の黄色人種への見方が根強いのだと感じる。