平城遷都1300年を記念して開催。薬師三尊像のうち、両脇にある日光、月光の二つの菩薩像がメインだ。これらのほか、聖観音菩薩立像、慈恩大師像の仏像、絵画の吉祥天像といういずれも国宝などを紹介している。
初めて寺 の外に出た日光、月光菩薩立像は光背のために後ろの姿は拝めない。また聖観音菩薩立像も厨子内にあるため、側面や背面を見ることはできないが、これらは360度 見られるわけだ。さすがにみんな知っていて、前よりも後ろが込んでいるのが面白い。
とにかく、3メートルもあるのだが、立派だ。幸せな気分である。目も心なしかうるうるしていたかもしれない。柔らかい フォルムは癒やしの効果が満ちあふれている。面白いのは足。立体的で鉄人28号のような足であるのがちょっと可笑しい。
古代インドの女神ラクシュミーである吉祥天像の画もあり、相当色は褪せていたのだが、貴重だ。三蔵法
師こと玄奘三蔵の絵などが並び、その弟子が慈音大師。法相宗では玄奘三蔵を始祖、慈音大師を宗祖とするそうだ。慈音大師
の画 はなかなか色もはっきりしていた。
とにかく込んでいた。雨であまり人がいないだろうと思っていたが、あにはからんや、傘を差した人が入り口をずっと並んでいた。一時間ぐらい待っただろうか。ちょうど午後3時頃だったので、女子高生が多かったんだが。8日までとあって、帰る訳にもいかず。でも見て良かったです。合掌。
1884年にイタリア・トスカーナのリヴォルノというところで生まれるが、エコールド・パリ(パリ派)の画家だ。
展覧会ではプリミティブ美術(原始美術)に惹かれ、カンボジアなど東洋との接点も生まれた流れがよく分かった。特にカリカティット(女性柱像)に力を入れ、デフォルメされたなで肩で、上半身のバランスなど独特の人物像に美意識が反映されているようだ。いずれにしても病弱だったため、彫刻から絵画と移るわけだ。貧困と飲酒、肺結核に苦しみ、36歳で死去。5ヶ月前の展覧会で評価され始めた矢先で、彼の墓には「彼は成功の暁に世を去った」と刻まれているそうだ。日本人はやはり好きな人が多い。多くの人が来ていた。
左は「ジャンヌ・エビュテルヌ」(1919年、個人蔵)。右は画商で友人の「ズボロフスキーの肖像」(1919年 サンパウロ美術館所蔵)。