1962年、東映。高倉健、三国連太郎、千葉真一、小林恒夫監督
昭和11年2月26日の未明。栗林中尉(江原)の率いる一隊は岡田 首相官邸を襲ったが投宿中の首相と酷似の義弟杉尾大佐を首相と思い込んで射殺してしまう。隣接の秘書官官舎にいた速水書記官長は急拠、麹町憲兵分隊に救援を求めたが、警戒線の厳重を理由に断られた。速水は福井秘書官を従え、首相の遺骸に香華を供えると申し出て、邸内に入ったが、遺体を見ると、首相ではなかった。
小坂慶助原作「特高」を基に高岩 肇が脚色した。憲兵隊の小宮曹長に高倉健、そのほか山本麟一、今井健二の部下が、占拠された官邸から岡田首相(劇中では岡部首相)を救出する。
昨年のこのころにも見た作品だ。やはり外せない。なかなかハラハラドキドキする展開だ。
「男はつらいよ 噂の寅次郎」1978年、松竹
旅先で偶然、博の父・諏訪(志村)と出会った寅。諏訪に人生のはかなさについて諭され、「今昔物語」の本を借りて、柴叉に帰った。寅は家族を集めて、諏訪の受け売りを物語を話すのだった。その頃、とらやでは、職業安定所の紹介で、荒川早苗(大原)が店を手伝っていた。翌朝、修業の旅に出ようとしていた寅と早苗が出会った。彼女の美しさにギョッとする寅だが 、旅に出ると言った手前、やむなく店を出るが、さくらに出会った寅は急に腹痛を訴えた。
シリーズ第22作。一昨年にも見た。マドンナが大原麗子とあってはもう一度見た。あの声、切ない感じがやはりいい。元気になってほ しものだ。
若山富三郎、伊吹吾郎、藤純子、鈴木則文監督
日露戦争の勝利後、四国道後の侠客熊虎親分が熊本鎮台への協力をめぐり大いに活躍し、悪徳軍人や業者を叩きのめす。
「緋牡丹博徒」の熊虎親分を主人公に仕立てた新シリーズ第1作。脚本は高田宏治。今でいうならスピンオフだろう。緋牡丹のお竜の藤純子、堂島のおたかの清川虹子は欠かせない。遠藤辰彦、天津敏のおなじみの悪党も。
やっと行けた。前に家族3人で行き、開店時に入ったが、予約していなかったので2人ならということだったため、あきらめた。今回は予約済みだ。
雷門からほど近いが、それほど人通りが多いわけではない。ひっそりとして、通り過ぎてしまいそうだが、狭い入り口辺りは外から見ると非常に雰囲気がある。店は狭いのだが、奥は小上がりで、中央に椅子に座って囲めるいろり端がある。玄関辺りに二人用の小上がりがある。3方で座れるいろり端の端に陣取り、手前に鰻重の上1735円を注文。肝吸いも注文。ビール大瓶を飲み、みそ豆420円を食べながら待つ。いろりは最初は本物かどうか分からなかったが、かなりの弱火なので鉄瓶からほんの静かに湯気が立っていて気づかないほどだ。
鰻は大きくはないが、ふっくらで、たれも程よい。こめがうまい。これならたくさん食べることが出来る。雰囲気といい、味といい、なかなかの名店だ。中で奥さんが焼いて、注文が旦那さんが取っている。
ちなみに鰻の骨もつまみに付いてきたのだが、これがうまい。おみやげに買った。妻によると、二度揚げして脂っこくなく、非常にレベルが高い骨だそうだ。それと肝吸いがおおきくていい。
場所は台東区雷門2-18で、都営浅草線の出口に近い。今回の2年間の東京暮らしの最後にと、実兄と飲んだ。2階席に行き、ここはいわし料理が豊富だと聞いていたので刺身などを注文。なかなか新鮮。ただ、ちょっと量が少ないかな。最近は高級魚とあっては仕方がないか。昔は銀座のいわし料理屋によく行ったっけ。このほか焼き鳥などを注文。サワー類がたくさんある。私のトラブルについて、なぜ連絡したかったのかと言われる。まあ、
あのときは会社のことしか考えられなかったのだ。仕方がない。兄も会社のことでいろいろ愚痴が出る。全くサラリーマンってつらい? たまには互いに愚痴るのもいい。兄の長男がアメリカへ留学するということで、お祝いする。
このあと、家の近くの「稲垣」へ移動。ここ でも焼き鳥などでワインかなり飲む。兄が途中トイレから迷ったらしく、戻れなくなってしまった。急に携帯が鳴ったのだ。それはさておき、楽しい夜だった。
浅草で飲むのもこの日が最後となった。途中のうんこビルが私たちを見下げていた。でかいな。
写真のマグロや焼き鳥は「稲垣」で撮ったもの。右上の長屋門は翌日撮ったもの、ついでに居酒屋富士もこれも雷門のちかくにある。立派に大きな通りに面しているのだが、なかなか渋いいい店だ。これは会社の先輩と行ったっけ。付き合いの長い人だが、最近はいろいろ年をとったせいか、いい話題にならないのが寂しい。一層の活躍を祈ります。あ、右下の店は日中撮ったものだが、一度行ってみたかった店だ。よくいく、オオゼキ雷門店のうらにある。そう、知る人ぞ知る「鷹匠 寿」だ。もっと年取って、脂が抜ければ行けるかな。
1969年、松竹。勝新太 郎、石原裕次郎、三島由紀夫、倍賞美津子、五社英雄監督
岡田以蔵(勝)は土佐の郷士に生まれた暴れ者。後に「人斬り以蔵」と呼ばれる刺客となる。彼を育てたのは土佐勤王党の首領武市半平太(仲代達矢)だった。土佐藩主の執政吉田東洋をはじめ、多くの人間を斬ってきた。以蔵は薩摩の田中新兵衛(三島)と比較されるほど有名になった。武市は以蔵に新兵衛の刀を持たせ、自分を後だてしていた姉小路を暗殺する。嫌疑をかけられた新兵衛は、武士らしく自ら果てた。以蔵はその弱い立場に悩む。そんな以蔵に坂本竜馬(石原)が手を差し伸べた。
橋本忍の脚本。やはりこの手のはみ出し者を勝新がやると面白い。酒と女、そして剣。田中新兵衛を三島が演じているが、確かにうまくはないが、記録性もあって興味深い。あの鍛え上げた腕を見ると、やはり見せたがり、という感じだが、それはそれとして四の五の言わず、腹を斬るシーンなどはなかなかに武士の潔さを前面に出した役作りだった。ネットで見ると、リハーサル後、刀を持っていた手は刀からなかなか離せないほど本当に固かったそうだ。一方、竜馬はどうだろう。期待してみると裏切られる。物語の筋としてもちょっと違和感がある。
「あゝ陸軍 隼戦闘隊」1969年、大映
佐藤允、本郷功次郎、藤村志保、村上三男監督
昭和4年、加藤建夫中尉(佐藤)は、所沢飛行学校の教官となり、連隊旗手から転じた木原少尉(本郷)と中華民国陸軍中尉の趙英俊(藤巻潤)という優秀な生徒を教えた。しかし、昭和12年北支戦線で、加藤隊長は撃墜王の名を欲しいままにしたが、木原が龍のマークをつけた敵戦闘機に不意をつかれ、戦死した。かつての留学生趙英俊の機だった。加藤は、一騎討ちを挑み、遂に撃墜する。内地に帰還し、加藤は戦死した部下の留守宅を廻り、遺族に詫びた。日米は開戦し、最新鋭機の隼が加藤少佐率いる第六四飛行隊に配属され、マレー半島に進撃した。戦果を大いに上げたが、昭和17年5月22日、前線基地アキャブで加藤隊長は、襲来した敵爆撃機を追って撃墜したが、ベンガル湾上で壮烈な戦死を遂げた。
須崎勝弥が脚本。佐藤允らしい豪快な軍人像を描く。宇津井健、露口茂、峰岸徹など若い将校、飛行兵が登場する一方、山下奉文に石山健二郎が。昭和の初めのころまでは、中華民国との軍事協力として中国の将校を教育していたというのは歴史的に見ても非常に興味深い。
「新遊侠伝」1966年 、日活
九州の若松、岡源(神田隆)一家に加助(小林)と留吉(高橋)という男がいた。おっちょこちょいで、二つの組から別々に助っ人に頼まれ、喧嘩の場所で鉢合わせ。お仙(嵯峨)の仲裁で同志討ちをまぬがれた。二人はお仙にぞっこんだった。岡源に対抗する橋伝一家にいかさま博奕でひっかけられた芸者お信(長山藍子)は、助けてくれた二人にほれ込む。鉱石採掘権をめぐって岡源と橋伝は対立していて、加助と留吉は工事分担金を受け取りに小倉の丸林組に行くが五万円を博奕ですってしまった。採掘権は岡源の手に落ち、怒った橋伝(富田仲次郎)は、加助と留吉を倒そうと、板前浅吉(近藤宏)を使って毒フグを食わせた。お仙の働きで助かったが、二人はフグを片手に橋伝一家に殴り込む。
二人のおっちょこちょいぶりが楽しい任侠コメディ。嵯峨三智子がやはり綺麗だ。
原作は「小説新潮」連載の小説で、甲斐久尊が脚色。1951年に藤田進、森繁久弥らによって、同名の映画がある。舞台は若松で加助、留吉が登場するが、野球の話らしい。
「草の花」24日夜、西新橋1-21-2
会社の仕事で友好関係にあるのが同業他社の2社だ。計3社の担当者を束ねている事務局のメンバーと2社の担当者、そして私とバトンタッチしてくれる先輩との合計6人と。送別会兼引き継ぎ会議だ。仕事の話も含め、盛り上がる。私ごとのドタバタはさておき、いろいろ気兼ねなく付き合ってこれたのが幸いだった。少々私には荷が重い、異分野だったのだが、いろいろ教えてもらった。感謝、感謝。店は古民家を改造した今風の店で、韓国料理が出た。なんか福永武彦の小説のような名前だが。そういえば、息子さんの話も出てたね。
深酒はできないので、1次会で終わりましたが、何はともあれ、関係者諸氏にはこの1年、お世話になりました。本当にありがとうございました。また昭和40年(以前)しばりで、歌いまくりたいですね。これからも、縁があるはずと信じています。
ポール・ウォーカー、ヴェラ・ファミーガジョーイ(ポール・ウォーカー)は、イタリア系マフィアの一味で、警官殺しに使用された銃の後始末を頼まれ、自宅の地下室に隠す。隣に住む、息子ニッキーの友人オレグ(キャメロン・ブライト)がその銃を盗み、ロシア・マフィアの一味である 父親ユゴルスキー(カレル・ローデン)を撃ってしまう。銃の出所が知られることを恐れたジョーイはオレグを探しまわる。
一カ月後にまた見るとは思わなかったが、こちらの方が書き込むのが後になってしまった。監督・脚本はウェイン・クラマー。なかなかスピード感があって面白かった。最初のシーンは一体どんな理由でなったのか、そして本当はどうなってるのか。非常に重層的な映画でもある。タランティーノも絶賛らしい。
「あぁ、結婚生活」
1940年代のアメリカ。会社経営者ハリー(クリス・クーパー)は長年連れ添った妻パット(パトリシア・クラークソン)との生活を捨て、若く美しい戦争未亡人ケイ(レイチェル・マクアダムス)と一緒になりたいと考えていた。親友のリチャード(ピアース・ブロスナン)にケイを紹介する。一方、妻は自 分がいなければ生きていけないはずと信じ込んで、なかなか離婚を切り出せない。いっそ殺してしまおうと、毒薬を入手する。そんな中、リチャードはケイを好きになる。
この4人たち、特にハリーは男から見れば非常にうらやましい限りだが、映画的だがやはりどこか間が抜けている。それは善良という言葉でくくっても良いほどだ。舞台となっている米国のよき時代、当時描かれていたラブコメ調の映画のようで、懐かしい感じをにおわせる。今時、胃薬を替えての毒殺なんかあり得ないだろうし。
それにしてもパットのしたたかさ、と言ったらきついが、男はこうしてだまされるのか。いつもとんがって、厳格なクリス・クーパーが何とも言えず人間的なのは面白い。結局、ピアース・ブロスナンが得したのかな。レイチェル・マクアダムスはまだ見ていないが「消されたヘッドライン」に出てるらしい。アイラ・ サックス監督
向島といえば、粋な町の名残がまだある。まだあるなんて言っちゃ悪いかな。夜に行かないとなあ。昼間でも一度行ってみたかったのが、ここだ。活性生ジュースが飲みたかったのだ。
あるブログに生ジュースのうまい店で紹 介されていた。店は検(見)番通りと言われる通りにあるのだが、なんか可愛らしい古い、メルヘンチックな雰囲気。そう看板がそう思わせるのか。中のテーブルなんかに絵が描いてあるし。宮沢賢治的な童話的な雰囲気さえする。そう、何かタイプスリップしたような気持ちにさせられるのだ。
昼過ぎに行ったのだが、客は二人。2代目の店主のお兄さんが一人でやっていた。
二日酔いに良いのは?と聞くと、「活性生ジュース」600円を勧めてくれた。緑のそれは、セロリやパセリなどいろんな青野菜のほか、蜂蜜、レモンなどが入っているのだろう。飲みやすい。なかなかいいぞ。これは。
帰りにパンをおみやげで持って帰ろうと聞くと、カウンターにあるいくつかのパンを説明してくれた。どれもクルミが入っている。人気というのがクリームチーズと干しぶどうが入っているやつ。帰って食べるとなかなか歯ごたえがあるパンだ。腹持ちが良いだろう。グラハム粉という粉を使ってるらしい。なかなかおいしい。
面白い店だ。2代目の店主は話好きだし。
「チェンジリング」24日、TOHO錦糸町
1928年、ロサンゼルス。クリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は電話交換業務の主任をしていた。郊外の自宅で、息子ウォルターと二人で幸せに暮らしていた。だが、家で留守番をしていたウォルターが家からいなくなり、行方不明になった。つらい毎日を過ごし、5カ月後、息子が発見されたとの報せが警察から届いた。マスコミも注目する中、駅のホームで再会を果たす。だが、その子どもはウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった。
クリント・イーストウッド監督の実話を基にしたサスペンス風の映画。見てからしばらくたって考えても、やはりアンジェリーナ・ジョリーの熱演は特筆ものだ。それを引き出し、このドラマに真実性と迫真性を与え、ディテールをきちんと描くことで、当時のひどい警察の捜査、周囲の無理解さを浮かび上がらせた。彼女を助ける長老教会の牧師にジョン・マルコビッチ、彼女を助けると思いきや精神病院送りにするロサンゼルス市警青少年課の警部にジェフリー・ドノバンなど。
それにしても、人間を拘禁できる警察が権力をかさにきたら、とんでもない事態になることは間違いない。この時代はまだ人権への配慮が足りず、一宗教者の力などで助かった。もし今の時代なら、マスコミ、弁護士などがその役割を担うだろう。つまり権力に対抗する力がどんな時代でも必要で、その力を十分に発揮させなければ、存在する意味が無いと断言でき よう。当時のマスコミはどうしていたのだろうか。あまり描かれなかっただけに…。
「桔梗家」23日夜
同じフロアの上司と同期のTと3人で。八丈島から帰ってまっすぐの足でやってきた。店は両国橋に近いうなぎやどじょう、なまずを出す老舗だ。おいしい料理に、焼酎。へろへろになりました。ものいえば唇寒しという風潮をみんなで蹴飛ばし(蹴るのは良くないけど)、「元気出せ」という言葉に思わず涙が出る思いでした。
「Ich bin der」俺はそれだ。俺は俺だ、何物でもないという意味だろう。「随所に主となれ」というのは「臨済録」の言葉だ。「随所作主。立処皆真」
つまり自分のアイデンティティーを忘れるな、主体的に生きろということだ。
ごちそうさま。いろいろ、ありがとうございました。それにしても出ると決まってから送別会続きだが、人の心の暖かさを 知る今日この頃だ。
尚、写真は翌日近くを通ったので店を。朝青龍の店もついでに。
八丈島
夜1 0時頃、東海汽船のフェリーで竹芝桟橋を出て、午前9時過ぎに神湊港に到着。あてもなく、観光協会の人に当たって、まずレンタカーを借り、田代荘という民宿に決定。
シーズンではないので、私ひとりの宿泊だった。初日は天気もほどほどよかったので、三原山の道路を車でひたすら登る。八丈富士という山の絶景が素晴らしい。道路はジグザク道路だが、すれ違う車がほとんどないのがいい。道路っぷちに赤い花。アロエの花かな。
末吉地区に着いた。ここにはみはらしの湯という 公共温泉がある。なかなか眺めがいいところだ。空港や港からちょっと離れているのが難点だが、まだ結構新しい施設で、心地よい。近くに灯台がある。
八丈島には温泉が何箇所かある。目的のない旅で、せっかく間もなく東京ともお別れとあって、滅多にいけないところを選んだ。小笠原諸島も考えたが、日数がかかりすぎる。温泉もある八丈島にしたわけだ。
このあと、洞輪沢温泉へと行く。これは小さい。サーフィンの若者たちが汗を落とすところらしく、小さいが湯の量はたくさんある。外観は公衆トイレって感じだが。 湯は少し黒い。 ちなみに車は軽自動車。一人とあれば、別に問題なく、 結構快適でした。
次に行ったのは中之郷地区。中之郷温泉というのがある。これも公共温泉だが、ここは透明なお湯。帰りに八丈牛乳を飲む。
さて、まだまだ温泉へ。この日の最後は樫立地区のふれあいの湯。ここは駐車場も広く、全体に大きい。 4件目とあって湯あたりしそうかなと思うが、短い時間しか入っていないので大丈夫だ。2月下旬では、少し湯冷めしそうになるが、日中は気温も結構あるので、 これまた大丈夫。でも夜は結構冷えたなあ。
まだ時間があるので、八丈島歴史民俗資料館に立ち寄る。島の歴史をひと通り学ぶ。八丈島と言えば、みんなどんな想像をするだろうか。やはり流人の島だろうか。慶長11年(1606年)、豊臣秀吉の家臣で五大老のひとりであった宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れ、流されたのが最初のだという。以来1800人が流されたそうだ。ただ、流されてからは比較的自由に暮らせたようで、現地の女性と結婚したりして、長生きした人も多かった。樺太探検で有名な近藤重蔵の長子富蔵は父の屋敷の権利問題で隣人7人を斬り殺し、流罪になった。83歳で没するまで在島60年の間に、八丈実記69巻をあらわしたそうだ。
産業は黄八丈と呼ばれる織物。島酒も薩摩の流人が伝えた本格焼酎だ。島の産業がよくわかる。資料館の近くに玉石でできた石垣も。やはり南の島だなあ。
一通り見てまだ夕食まで時間があったので、喫茶店でちょっと休む。八丈島の牛乳を使ったアイスを載せたコーヒーフロートを注文。
さてやっと6時ごろ戻り、夕飯に。魚はアジや鯛、くさや、あしたばのお浸し、里芋、豆腐など。午前中はおばあちゃんしかいなかったが、奥さんがいろいろ話相手になってくれた。おばあちゃんは疎開で石狩の方に行っていたことがあるとか。奥さんたちは夫婦で養鶏もやっているそうだ。朝食に烏骨鶏の卵が付いていた。島酒にはもオレンジのようなかんきつ類も。絞って飲むとうまかった。
夜は少々寒かった。電気炬燵があったのだが、時々足を温めたほどだ。
さて翌日は、天気が悪い。雨が降っていた。とにかくやることがないので、すごい風と雨の中、見はらしの湯へ。灯台が明かりをつけてました。露天風呂も必死の形相で入りました。
次に行 ったのは、東京電力の地熱・風力発電所。中之郷地区だ。道内でも森町にあるような地熱発電がある。最近、風力発電も加わった。島の発電事情を見ると、夏の昼間の最大需要は1万1000キロワット。ディーゼルがほとんどを占めるが、地熱発電で3300キロワット賄っている。これは深夜の最低需要量に匹敵する。風力は500キロワット。
霧が多くて外観がよくわからなかったが、広報施設でよく勉強できました。帰りに農産物直売場によっていろいろ買った。
帰りの道でこんな看板。 猫の手だ。結構、島には猫が飼われているようだ。
昼はあしたばうどん。あしたばを練り込んでいる。なかなか味わい深い。このときはすごい雨で、かなり濡れた。でも店を出たらなんと止んでいた。
空港で、島寿司。白身の魚を醤油に漬け込んだものだ。マンゴープリンも。あっという間の二日間。天気がいま一つだったが、面白かった。
1968年、東宝。森雅之、緑魔子、高島忠夫、砂塚秀夫、谷口千吉監督
石黒信吉(森)と丸木久平(高島)、森洋介(砂塚)の三人の詐欺師は、競艇で八百長を仕組み、三百万円を手にした。だが、その金を謎の女に持ち逃げされてしまった。女の残したマッチを手掛りに、ホステスの麻美(緑)を見つけたが、すでに情夫の保釈金に金を使い果たしていた。麻美は金庫破りの技術を持っていて、彼女が仲間に入ることになり、信吉は三百万円の穴埋めに、バーに税務署員に化けて乗り込み、脱税の口止め料として大金をせしめた。次に信吉はベトナム特需で儲けた東西油脂工場の廃液による地元の奇病の話に飛びついた。新聞記者に化けて実態を調べた。
松木ひろしと田波靖男が共同でシナリオを執筆。森雅之のスマートな詐欺師。彼と高島、砂塚の凸凹コンビに緑魔子が絡んで活躍する詐欺話だ。時代が時代だけに公害問題、沖縄の米軍、ナパーム爆弾の話を取り入れ、結構真面目な部分もあるのが面白いし、単なる娯楽ものでないこの映画の味になっている。最初の競艇の話辺りは普通の与太話というか、ありがちなドタバタ喜劇の要素が強いが、意外と社会派的な映画の要素がある。 ほかに東野英治郎、小沢昭一、藤村有弘、ロミ山田、山岡久乃。桂米朝も出ていた。
「幕末」2月21日、 年、 東宝。中村錦之助、吉永小百合、三船敏郎、伊藤大輔監督
雨の日、不自由な足 に下駄を引きずった商人が藩の上士山田(山形勲)にぶつかり斬られた。土佐藩では士分以外に下駄は禁制だったからだ。下士の中平(片山明彦)は怪我人に下駄と雨傘を与えた親切があだとなり、同類として山田のために討たれた。この一件で、坂本竜 馬(中村)の心を揺ぶり、脱藩へとつながる。江戸を訪れた竜馬は、かつて剣の腕を磨いた千葉道場に落着いた。千葉は時の幕府海軍奉行勝海舟(神山繁)を開国論者とみて、嫌っていた。竜馬は海舟を訪ね、国を憂うる心を知った。慶応元年。竜馬は長崎に社中を創設し、海運業に乗り出す。そして竜馬は中岡慎太郎(仲代達矢)と共に薩長二藩連合のために奔走する。社中の留守を預る近藤が規約違反の廉で詰腹を切らされた。竜馬は長州の桂と薩摩の西郷との間を周旋して、無事に成功するが、同時に竜馬は幕吏に狙われるところとなる。
脚本も伊藤大輔。原案が司馬遼太郎で、原作としないのはかなり監督自身の色が濃いということらしい。お良役に吉永小百合。西郷に小林桂樹、後藤象二郎に三船敏郎、武市半平太に仲谷昇など。
慶応3年10月15日、明治天皇が徳川慶喜からの大政奉還の請願を勅許した。11月15日、竜馬の風邪の見舞いに来た中岡は「新政府綱領八策」を議論していた。そこに刺客が込りこみ、二人の生命を奪い去った。竜馬33歳、中岡30歳。何とも惜しい命ではある。仲代の中岡の友情を感じさせる演技がいい。
伊藤監督最後の作品だが、このときの脚本を生かし、監督が亡くなった翌年の1982年、テレビドラマ「竜馬がゆく」として制作される。
「ゾロ目の三兄弟」1972年、東 映。小林旭、田中邦衛、渡瀬恒彦、土田早苗、山下耕作監督
昭和28年ごろの大阪。大西仁助(小林)は、安兵衛、三次の二人を従え、和田倉(河津清三郎)一家の縄張りに進出し、大阪鶴橋に河内仁吉一家の看板をかかげた。仁助の出身地中野村では、工場進出をめぐって、特産豚毛ブラシ業者の山本源吉(遠藤辰雄)と村長一派が対立。仁助の弟で、農家の稼業を継ぐ多度吉(田中)が、業者の先頭に立っていた。ある日、父危篤の知らせで、生まれ故郷に仁助と末弟の船員永三(渡瀬)がかけつけ、三兄弟が顔を合わせた。三兄弟は父親の死をめぐって、内輪もめするが、源吉の家に間借りした水野万紀(土田)の出現でピッタリとやんだ。芸者だった万紀は、和田倉一家代貸の林蔵(天津敏)に身うけされたが林蔵にいや気がさし逃げ出してきた。村長一派は和田倉一家と手を組み工場設地を強行しようとし、和田倉は代貸の林蔵らを中野村に送り込み、ブラシ業者たちにいやがらせする。多度吉や村民たちは、村役場に押しかけするが、和田倉一家の邪魔にあう。
千代田区丸の内2で地下鉄千代田線の二重橋駅から近い所のビル内。「祢保希」と書く。土佐料理の店で、都内に何軒かあるチェーン店だ。皿鉢料理、それにクエがある。
部内の送別会だ。あまり飲む気もせ ず。あいさつもしたくはなかったが、送ってくれる人に悪いので、少しした。不快にさせたくない。
私も言いたいことはたくさんある。だが、言えない。言わない。結局、口を閉ざすしかないのだろう。今の私には人権なんかないのだ。
貝になる。下を向く。顔を上げられない。どうしてか。この状況の中では、相手に聞き届けられないだろうし。いくら心で反省していても。
悔いはない。だって自らまいた種だから。落ちた犬は叩かれるしかない。
もちろん一次会で退散。10年前の東京からの異動のときも送別会は苦かったが、今回はどうだろう。
悔いはやはりあるよな。
それにしても悔いじゃなくて、クエは脂っこいね。